2005年03月一覧

坂本廣子さんのサバイバルクッキング

下の子への春休みサービスで、子供クッキングの本で知られる坂本廣子さんの「サバイバルクッキング教室」に親子2人で行ってきました。娘が図書館で坂本さんの本をやたらと借りてくるので応募してしまったら、当たってしまったのでした。

坂本さんは神戸の方です。10年前の阪神淡路大震災に遭われ、その時に料理の専門家として、くふうして食べていくことが生きる意欲につながっていくことを体験されました。

坂本家では娘さんが本箱の下敷きになり、救い出したときは息が止まっていたそうです。それが親の手による人工呼吸で息を吹き返すことができ、「だっれも助けに来てくれない」状況で、自分の力で生き抜く知恵の大切さも身にしみたそうです。

食料が供給されたのは3日後。それまで、冷蔵庫も、ガス・水道・電気もない中で、たまたま家にあるもので食いつながねばなりませんでした。

教室は、坂本さんのそんな体験をもとに、ガスボンベのコンロを使い、洗い物もほとんど出さない方法でおこなわれました。包丁を使うのは野菜を切る程度。ボウルの変わりにビニール袋を使い、お皿も新聞紙を折ってくぼみを作り、その上にアルミホイルを敷いて作りました。

1週間も食べなかった私に数日間食べられないことへの恐怖はまったくないけれど、暖かい料理が命を暖め、手足の先まで力を注ぎ込む感覚はよくわかります。まして恐ろしい震災のあとでのあの感覚って‥‥想像すると胸が熱くなります。

メニューはすいとん、パンケーキ、乾物サラダ(切り干し大根、棒寒天、わかめをビニール袋の中で揉んでもどし、お醤油とごま油をたらしただけ)。日米の伝統食で構成されたメニューで、「伝統食=保存食=非常食」という関係がよく見えます。もっと知りたいと思う方は、坂本さんが一緒に被災されたイラストレーターさんと書かれた『サバイバルクッキング』(偕成社)に詳しいです。

ところで、この企画は日清食品でした。社会貢献兼プロモーション? 本社にあるクッキングスタジオでおこなわれ、その壁には「昭和33年チキンラーメン発売」に始まる日清食品の年表が。おみやげパックの中にはマイクロビーズでできた「出前一丁特製クッション」なる謎のグッズが入っており、帰宅後きょうだいで争奪戦に。

娘は、帰ってからずっと出前一丁特製クッションを枕に(とられないようにしている)、「食べることは生きること」と坂本さんに署名していただいた『サバイバルクッキング』を読みふけるのでした。

<写真>できあがったサバイバル料理二人前。すいとんのお椀だけはプラスチックですが、ビニール袋で覆ってあるので汚れません。 2005/03/29


荻窪・断食明けグルメ

荻窪・断食明けグルメこの週末は、断食後初めて友永ヨーガ学院に行きました。断食講座でご自分も一緒に断食していた友永淳子先生のこの日の指導はノリノリでした。断食明けに感じる命の輝き、これは、小さな「再生」なのでしょう。断食をして、明けた人の心身には、新しい太陽がのぼるのです。

私もやたらと集中してしまい、終わったときは、どうしてもこうしても背骨が真っ直ぐになってしまうという、あの、なんともいえない独特な気持ちよさで一杯になっていました。帰りに友永先生が「河合さん、復食すばらしく順調のようですね、何も言わなくても、見ただけでとてもよくわかります!」と讃えて下さいました。

終わってから自然食の八百屋さん「グルッペ」で買い物をし、半日の休日出勤を終えた夫と落ち合って荻窪の「ちょっと亭」で讃岐うどんを。断食以来初めての外食です。ラーメンの有名店がひしめく荻窪ですが、ここのおうどんも本当においしい。

しかし、ほんとにちょっとの量のおうどんであるにもかかわらず、2/3杯くらいで「やばい、食べ過ぎだ、苦しい」という状態になってしまい、あとは夫が悦び勇んでたいらげてくれました。

それから、西荻の天然酵母パン屋さん「リスドォル・ミツ」へ。復食の指導では、食べてよいものは、まだ、ご飯、お味噌汁、煮たお野菜くらいなのですが、この週末からパンが食べられるようになります。それで、最初に食べるパンは、たとえ数切れ食べられるだけでも、ぜひ、ここのパンを食べたいと思っていました。

すると、着いたお店の前ではなんと整理券が発行され、数人が並んでいます。テレビで放映されたばかりだとのこと。しかし、お店の前の香りだけですでに感動してしまうここのパンは、本当に、どこまでも素晴らしいです。

日曜日、うちのDVDにこの「リスドォル・ミツ」の放映が偶然入っていることがわかりました。TBSの「夢の扉」という番組。店員をしかりとばす店長さんの映像、食べたパンを開発している映像などがたっぷり見られて、子供も夢中で見ていました。

天然酵母のパンって、実は、私、特に好きなわけではありません。一般的には。なぜなら、「自然なんだから、こうでもしかたがないのよ」という感じで、フレッシュでないものが売られたり、カリッ、フワッ、がなくてボソッとしていたりした経験が多いのです。そういうものを食べると「自然って、ガマンすること?」と思ってしまいます。

自然派だからイイ人なので、腕が悪くてもよい、というのはナシだと思います。技を磨こうとしない人、本気にならない人には、自然は微笑まないものです。

今後、少しずつ食べられるものが増えます。チーズ、豆類、卵等。肉、魚はまだ1週間くらい先なので、毎日湯豆腐なんぞを食べています。 2005/03/26


洗濯機で鏡が割れる

今日の朝は衝撃的なできごとがありました。洗濯機がガッシャーン!!という大音響を立て、あわててあけてみると、直径30センチ以上もあった大きな鏡が中で粉々に割れています。ななな、なぜ!?

洗濯かごの中に鏡が入っていて、入ってしまったらしいのですが、さあ、誰が犯人かということになり、おばあちゃんがまたヒャーヒャーとヒステリックにコーフン。

イライラしてしまった私は、(もう食べているのでイライラもできるし、怒ることも出来ます)思わず「うるさーーーーいっ!」と大声を出してしまいました。その時です。思わず‥‥ごくん‥‥と丸飲みしてしまいました。50回噛みなさい、と言われていたおかゆを。

ああ、それからの気持ち悪かったこと。胃がまったく動かないのです。ふせって、友永先生が「陣痛の時におすすめ」といっていたヨガの呼吸法「ウジャーイ」を続け(フー、ンー、フー、ン−という感じの息なんですが)、耐えているうちになんとかおちつきました。

食べているときに怒ってはいけないんですねえ。

普段はなんとかなってしまうけれど、今、私の胃は、孫悟空が三蔵法師にはめられた頭の輪みたいになっているのでした。

断食って、断食道場という泊まり込みのところでおこなう方式が多いようですが、こうして普段の生活の中でしていると、自分の生活のこともよくわかります。

お昼、電気屋さんに電話をすると「大変珍しいケースですのでわかりませんが」と言いながら来てくれて、洗濯機を点検してくれました。そりゃ、珍しかろうよ。何とかまた使えるようにしてくれました。

明日は、三蔵法師様のお心にそって朝ご飯ができますように。 2005/03/22


復食の連休

「さあ、食べるぞお!」連休の朝、始まった復食。食べるのは、1食につきおみそ汁のうわずみわをお椀半杯、10倍がゆお茶碗半杯です。

そのおいしかったこと‥‥!!今まで飲んだ中で一番おいしいおみそ汁でした。舌がとても鋭くなっているのは明らかでした。塩辛さから具の野菜の甘み、だしの複雑な旨味へと移り変わっていくその七色の変化が、グルメ漫画さながらに感じられました。

あくまりおいしくて自分が作ったものとは信じられず、子供を呼んで「ママの作ったおみそ汁って、おいしい?」と聞いてみました。「うん、おいしいよ」と言います。「で、今日のは、特においしい?」「ううん、いっつもおいしいよ」

いつも、こんなにおいしいもの食べていたんです。こんなに恵まれた暮らしをしていたんです。で、私ってひょっとしてものすごく料理がうまいのかも?!

食べてる、という感じがします。上記の量でも、腹八分目にちょうどよくいただいた感じ。午後には空手に行ってしまいました。

なぜか今日に限ってハードなお稽古でした。五重塔の下で連続蹴り、右50本、左50本、中段、上段、全部で200本‥‥これはさすがに途中で限界になりました。

復食2日目の今日は、おかゆが5倍がゆになり、お野菜の煮たものを少し食べてもいいことになります。じゃがいも、かぼちゃ、菜の花、大根などを、それぞれ本当に一口ずつ、いつもの10倍も20倍も味わって食べました。

食べないでいる幸せ

食べられる幸せ

‥‥今回一緒に断食をしたある年輩の方の言っておられた言葉です。

ただ、家族にとって、仙人状態の私は食べられるものもなく、ショッピング欲もないので、連休を遊ぶ相手としてはつまらないやつだったかもしれません。よくつきあってくれたと思います。

でも、家族も今回、なにがしかの感化を受けたようです。

8才の娘は、夕食のお魚に添える大根おろしをすらせたところ、大根が消滅するまですってしまいました。キケンなことではあったのですが、「たべものをそまつにしないの」と言ってがんばっていたので、「気をつけて」と言いながら、がんばってもらいました。 2005/03/21


断食最終日

今朝は光り輝くいいお天気でした。

マザリングフェスタの相談員をしに行きました。会場は子育てを楽しんでいるなあ、という感じの親子でいっぱい。

REBORNスタッフや助産師の大坪さんや、モーハウスの光畑さん、『お産選びマニュアル』を読んでくれた方、イメジェリークラスのOBさんなどにお会いし、少し相談もお受けし、そのあと友永ヨーガ学院へ。

今日は1時間のヨーガのあと「復食説明会」です。今日は1日でおかゆ一杯を食べてまだ断食の内なのですが、明日からは「復食」。何でも食べる状態まで2週間もかけて、ゆっくり、ゆっくりと戻していくのだそうです。

実は、断食は、この復食が一番苦しいという人が多いのです。それは、食べ始めることで欲が出てくるので、それと闘いながら小さくなってしまった胃に耐えられる量を守らなければならないから。ここで暴食することは非常に危険なことなのです(胃の激痛で七転八倒したという方の話も聞きました)。

仙人の私は、もうおしまいです。少しずつ欲が戻ってきています。中村屋の前を通った時も、カレーのにおいに「ん〜!」と強く惹かれました。下駄屋さんにかわいい下駄を売っているのを見て「かわいい、欲しい」と思いました。

断食という魔法は、日向の氷のように、小さく、小さくなっていきます‥‥。

でも、素敵なことを今日友永先生が話してくれたのですが、お釈迦様が悟りを開いたのは、過激な断食をされていた最中のことではなく、「こんな苦行をしてもだめだ」と思い、スジャータという娘の乳がゆを食べたあとのことでした。

お釈迦様は、食物を食べたからこそ悟りが開けたのです。

断食あけて初めてのおみそ汁、それはそれは素晴らしい味なのだそうです。それは決してすぐには飲み込まず、十分に味わって下さい、とのこと。どんな味なのだろう?! 2005/03/19


断食5日目

断食5日目断食中の眠りはとてもライトで、閉じた目をあくだけ、という感じで目覚めるのがふつうです。消化エネルギーを使っていないので、短く浅い睡眠で足りるというわけ。

しかし今朝は久々に起床時が眠く、驚きました。実は昨晩は、新しい単行本の企画について打ち合わせがあったのです。エネルギー使っているんですね。企画という作業は。

今朝から重湯をとります。「食べなきゃならないんだな」という感じ。自分は食べなければ生きていない、という現実に向き合いました。

何も食べない日数を、希望者は1日増やすことも出来ます。しかし、復食に必要な日数が2日増えるということで、私は予定通りここで折り返すことにしました。

協力してくれているまわりのことを思うと、そうなります。この世界、欲望を絶つことは最大の贅沢だと思いました。

これから少しずつ、私の断食という夢は終わっていきます。旅が終わりに近づいたのとまったく同じ気分です。

でも、この断食の間に見えたことは、私の一生にとてつもない影響を持つかもしれません。食欲を絶ったとたんに見えたのは、この世界にあふれている、過剰なエネルギーと要らない欲望でした。

町は「さあ喰え」「さあ買え」と欲情をかき立てています。私たちはそういう楽しい欲望を達成して楽しみながら、身体に病気のモトをたくわえ、支払う金銭を得るために過労になり、手に入れられないものがあれば悲しみます。

そして人間は、食べれば食べるほど胃袋が大きくなってもっと食べたくなり、買えば買うほどもっと買いたくなります。

そして、食べ過ぎは健康をそこない、結局何も食べられない身体になるかもしれません。買いすぎはモノにあふれて収拾がつかない家を作ります。あり余ったエネルギーは暴走してイライラする力となります。

これは物欲、食欲だけにとどまりません。私たちは大きすぎる胃袋だけではなく、大きすぎる大脳を持っています。この大脳も、有り余るエネルギーを発散するために、いつも闘争の相手を探します。

そして、意味のない議論のための議論にふけり始め、その目的はとても結論を導くこととは思われません。しかし、少し磨かれた頭脳は、その優れているところを見せたいのです。今日も、ネットという便利な道具を通じて、意見交換という名のデッドヒートを繰り返します。

でも、私は少しずつ、そこへ帰っていきます。

その世界で、せめてささやかなくふうをしながら、何よりも大事な健康で狂わない心と身体を守っていこう。一生のあいだ。

断食は、魔法のめがねでした。この見方は以前から読んだり聞いたりしていましたが、断食中の私には、教えでもなく哲学でもなく、見えて聞こえた体験に近いものだったのです。2005/03/18


断食4日目−本断食2日目

身も心も、すっかりセーブモードに入っています。

パソコンを放っておくとスリープしますね。まそに、あれです。生き物にこんなモードが入っているとは知りませんでした。いろんなものがついているんですねえ‥‥人間って。

プルルルル‥‥毎朝、班ごとに電話が回ります。「元気ですか?」と聞き、最後の人が班の人の体調をまとめて友永先生に連絡します。

体温も測ります。私の今朝は36.8度で普段よりきもち高め。こういう身体変化は100人100様で驚くほど違います。35度あるいは34度台まで下がる人もいます。

昨晩は、あんまりドシーンとおちついて、眠ったら死んでしまうかと思いました。しかし、布団に入るとなんだかとても素直に気持ちになり、ふと、子供のように眠れそうな気がしました。そう思えたとたん恐怖心が消え、すぐに眠りに落ち、目覚めてもなんとなくポヨーン。

そんななのに、10分で夫のお弁当を作った私って、なんてエライ。妻の鏡!?‥‥いや、そうじゃないんです。実は、私、普段、通勤時刻が早い夫だけはお弁当を作っていません。そりゃそうですよね。女は夫より子供よ−これは常識。

それがなんだか、今だけでも作ってあげたいのです。無理と無駄と欲望の世界で働かざるを得ない人に、何かをしてあげたい。

いろいろな人がいます。無理、無駄、いたずらに募る欲望に気づかないで生きている人、知っていてやらざるをえない人‥‥そして、小さい子たちは、なんてそういうものからフリーでいること。泣きたいときにぽろぽろと涙を流し、嬉しいときにスーっと笑う子供たちの無為のすばらしさ。

「断食ハイ」です。心の中に素直な部分がどんどん広がります。静かに、そして、やわらかくなっていきます。イライラ、憤慨、自己顕示のような気持ちは、やろうとしてもできない。そんな無駄をしていたら死んでしまうもの。

1本の草のように、静かに幸せに生きています。2005/03/17


断食3日目−本断食1日目

断食も安定飛行に入った感じ。

今日と明日が「本断食」。水分だけで、ほんとに何も食べません。

きのうまでは、特に朝方にムカムカ、頭痛、寝汗などいろいろな反応があったのですが、今日は特になんともなく、ただ、いつもより少しポーッとしているだけです。

今日は友永ヨーガ学院でのヨガのあと、友永先生を囲んでのミーティングに出ました。「少し、ぼうっとしているかもしれませんが、これが何よりものお休みなんです。普段はエネルギーが有り余っているの。それで余計なことをたくさん考えているんですよ」と友永先生。

そうか。断食は胃袋だけではなく、精神もお休みなんですね。

やればやるほど働き者である、成果が上がる、とみんな毎日いろいろなことに追われて生きているけれど、ふとそこから降りてみると、夢から覚めたような気がします。本当は断食している今が夢なのかもしれませんが。

断食は、最小限の自分に近づきます。あんなにたくさん食べて、山ほどの用事をかかえて、真剣な顔をして走っていた数日前の自分。そのイメージも、自分でありながら、「食べている人」の群れの中へ足早に消えていきます。

断食は、終わったら、もしかしたら教訓めいたことを言いたくなるのかもしれませんが、まっただ中の私は、そういうことを言いたい気持ちはありません。

ただただ、経験したことがないほど静かな、おちついた気持ちです。生理的に、有無を言わさない力によって、引力のままに下へ、下へ、と向かっていきます‥‥とてもいい気持ち。2005/03/16


断食2日目

断食は、先日からAll About「出産医療・産院選び」にインタビュー記事をアップした友永淳子先生(荻窪・友永ヨーガ学院)が年3回行っているコースに参加してやっています。

土曜日に説明会と個人面談があり、この日から普段の8割に減食。日曜日は6割減食で準備をしました。全部で30人くらいが今回のコースに参加し、毎日おこなわれる断食用のヨガにできるだけ通うことになっています。

1日目の月曜日は玄米がゆ一杯。2日目の今日は重湯一杯。他に口に出来るのはミネラル水と、番茶と、あとは「パイロゲン」というややフシギな健康飲料のみです。

「何で断食するの?」と何人かの人の聞かれましたが、一番大きい理由は「えっ!やってみた〜いっ」という欲望でした。欲を絶ってみたいという欲望です。こういう人は、欲がないのか、欲張りなのか?→後者、ですね。お産もそうですが、自分の身体が冒険するのはとても楽しいことではありませんか。

仕事も家事も普通にします。けっこういつも通りにできますし、ここがとても不思議なのですが、食欲にかられて苦しいという感覚がまったくないのです。家族のご飯も平気で作ります。

本当に、電源を切ったかのごとく、今の私は食欲という基本的欲望をパチッと絶ってしまっているのです。なぜそんなことができたのかは、わからないまま。

断食している人の世間を見るまなざしは独特なものです。どうしても、食べている人との間に隔たりができます。家族さえも、「もの喰う人々」となり、私と違う世界にいます。

見ていると、うちの家族はいろいろな食べ方をしています。

小さい下の子が、親の作ったごはんをうれしそうに食べているのを見るのは、ほほえましい。私の前でバームクーヘンを食べるとき、「失礼します」と言った夫と長女も、いいなあと思った。

しかし、おばあちゃんが、気の向くままにお総菜や甘味を買いちらし、長々と食べていたり、下手すると買ったたけで放置して古くしたりするのを見るのはつくづく情けない。

しかし、そんな光景も、断食中の頭にはいらだちは浮かばず、ただ、人にはこういう面があるなあ、それに征服されないように意識をしっかりもたないといけないんだなあ、と静かに思うわけです‥‥ああ、ほんとにお坊さんです。

友永ヨーガ学院 断食講座
http://www.tomonagayoga.org/fast.html

2005/03/15


空手について本を読む

空手について本を読む先日の取材帰り、大型書店で空手の本をあさりました。沖縄古伝空手心道流の宇城賢治さんという方が書かれた『武術空手への道』という本を買いました。その冒頭に、前回の日記の答え?と思う言葉がありました。

「武術の歴史をひもといた時、武術とは本来自分を護ることにあり、また敵を倒すことにありました。しかしそのような生か死かという場に臨み、またそのような場を何度もくぐり抜けることによって、武術のあるべき姿は必然的に「戦わずして勝つ」という方向へ導かれていったと言えます。そしてそこに「戦わずして勝つ」を裏付ける術技や心のあり方などの極意が生み出されていったと考えます」

こんな教えもあるそうです。

勝ちに三つの勝ちあり
打ち込んで勝つは、下の勝ちなり
勝って打ち込むは、中の勝ちなり
戦わずして勝つは、上の勝ちなり

宇城氏は、これは命をかけて武術をおこなっていた時代ならではの感覚だと書いています。本当にそうですね。そして、武道が命をかけることのないスポーツになったとき、この極限の技も、精神性も、共に失われたと批判しています。

スポーツでは必殺技を使って相手が亡くなると困るので技が衰え、そして命というものに対峙しなくなったところに精神性の衰えもあったということでしょう。これは、動物の命を取る猟師、漁師たちこそ、動物の魂を感じ、その重みを感じられる人であるのと同じだと思います。

ところで空手は、中国の少林寺拳法が元になり、琉球で確立したものです。琉球はハワイと同じように太平洋の軍事拠点であり、小国が生き残るため、600年前に武器を廃棄し、中立国となりました。

武器を失った琉球の人たちの、自分の身を守る手段として「空の手」で戦う術が編み出されたそうです。究極の護身でしょうか。

今日は空手サンデーの2回目でした。自分の中で少しだけ武道について理解でき、すっきりしたので、娘と元気に行く。

それからうさぎさんを爪切りに連れて行き‥‥ゆっくりお風呂に入りました。

実は、明日から私、断食するのです。

初めてです。このところ初めて続きなのですが、受験も終わり春が来るところで、私としては以前からねらっていたこと‥‥。

ヨーガの先生の指導で、1週間。ちょっと聖なる気分です。2005/03/13