送り火

京都では南禅寺、建仁寺などの禅寺を回り、町屋をレンタルし一泊。レンタル主は古いお米屋さんで、食事はつかないけれどお米と「美人ぬか」という洗顔用の米ぬかがつきます。キッチンに鍋釜はあり、錦小路などでお総菜を買い物して気ままに安く京都滞在をするにはいい感じです。

奈良では、何年か前から奈良公園一帯で「燈火会」というイベントをしていて、公園一帯が夕方からロウソクの灯った筒でいっぱいになるのですが、これに、東大寺の万燈供養会の日に行ってしまいました。

火灯し頃にはちょうど奈良の古い町並みが一番きれいに残っている「ならまち」にいて、とてもいい雰囲気。そこから猿沢の池で奈良の大文字焼き(京都と一日ずらして奈良でもするのです)を待って陣取る人たちの間を抜け、興福寺を経て東大寺を目指します。「燈火会」ボランティアの人たちがいっぱい出て、おびただしい数のロウソクを点火していました。

大仏殿にはちょうど大仏さまの顔が見える位置に窓があるのですが、この日とお正月だけはそれが開きます。遠くから真正面に、火の明かりの中で見る大仏の姿は、う、う、30分以上も並んで入ってすごく大変だったのですが、達成感がありました。イマジネーションを駆使して開眼の時の世紀のパーティーを想像したり、津島祐子さんの『ナラ・レポート』を思い出したり。

さらにその翌日には、REBORN宮下さんファミリーと五山送り火を見ました。もはや、お祭り野郎です。京都の北、とっても素敵なデザイン書の本屋さんが一件ぽつんとあかりをともしていた、静かな松ヶ崎の町。そこに浮かび上がった送り火の明るさ、松明の燃えるにおい、もうもうとあがる煙‥‥その場でしか味わえないものでした。

大文字焼きがなぜ大の字なのかはまだわからないのですが、インドの古い哲学には「大(マハット)」というものがあるようです。これは、五大要素である地、水、火、風、空が作る世界を超えた地点で現れるもので、その上にある光だけの世界の手前だそうです。人体でいうと、眉間のチャクラに当たるそうです。

本当の説はわかりませんが(もしかしたら、もう誰もわからないかも)、この考えでは、大の字は、あの世の人とこの世の人がつながるにはぴったりのポイントですね。 2005/08/16