わが家の戦後

息子のライブ、朝「ほんとに来ないで、お願いだから」と釘を刺され「おかあさんに二言はありません」などと行ってしまった私は、ほんとに見に行きませんでした。バンドの他のご家庭ではみんなこっそり行ったのに、馬鹿正直な私です。

しかし息子は喜んでくれ、校内ですれ違ったとき投げキスを送ってきました。息子も馬鹿息子です。結局、「来年は行くからネ」ということになったので、まあいいか。

祭りも台風も、そして選挙も去ったいいお天気です。今回の選挙は、わが家も見事に地滑りました。とりわけ劇的だったのは私の母で、選挙から帰ってくるとボーゼンと「私が自民党に入れたわ。自分で驚いたわ」と言いました。今朝もまだ言っていました「この私が‥‥この私が、自民党にいれるなんて」

母は女性選挙権ができた時に二十歳になり、戦後、『青鞜』を愛読していた自分の母親と共に感動的な第一回目の投票をしたそうです。それから就職したのは国家公務員、戦後にデモ隊が皇居になだれ込んだ「血のメーデー事件」なんぞも実際に知っている組合運動の人でした。

母は80才なのですが、きのうの選挙では少し楽になったかもしれません。長い間、時代に合わない憤りを持ち続けていたので。わが家の戦後も終わりにけり‥‥かな。 2005/09/12