『安全なお産、安心なお産』が手を離れていきました

今年は、大きくとらえればこの一冊を書いたと言うことに尽きます。岩波書店から10月末日に出る『安全なお産、安心なお産−「つながり」で築く、壊れない医療』です。

この本が出版が決まったのは今年の2月でした。企画書を書いていた頃の日記を見ると、こんなことが書いてあります。
「岡井先生(昭和大学産婦人科教授で今放映中のTVドラマ「ギネ」の原作者です)のところで入局者が増えている。大変だ、と騒ぐ時期は終わり。<つながる><分かち合う><信じ合う>肯定的な言葉を探すこと。明るい光を入れて、崩さなければならないものを明らかにすること」

取材は時間の巻き戻しから始めました。NICU(新生児集中治療管理室)も超音波もないころのお産はどんな風だったのか。市民は病院を妄信するしかなかった時代はどんな状態だったのか。さらに避妊も中絶もない多産多死の時代、女性が素手で命に対して向かい合っていた時のことも、限りはありましたが考えてみました。

そして、そこに現代の産科医療、新生児医療の技術革新がどのように訪れ、普及していったか。その輝きは、どこでどうして影を作り出すに至ったか。そうした歴史の流れをたどってみました。

技術革新の進むままにひた走ってきた現在の周産期医療は、気がついたら人もお金も、政策もついてきていない状態になっています。加えて女性の生活や身体も大きく変わって、産むことがどんどん大変なことになってきました。

お産を「何て面白いテーマだろう」と思って20年ちょっとやってきたので、この危機的な時代に何か役に立ちたいと思ってこの本を書きました。各地に講演に呼んでいただくたびに、会場のある町から夕方ゴトゴトとローカル線に乗って足を伸ばし、1〜2泊の取材をして帰りました(何しろ会いたい方は各地にいるのです!)。呼んでくださるのは私の何かを読んでくださった方ですから、まさに読者の方に支えて頂いている格好です。

舞台裏を話せばきりはありません。「見たい、知りたい、感じたい」とさまざまな場をお訪ねしましたが、申し訳ないことにこの本の表面には描けなかった場もあります。大学医局が学生を対象に開催する入局説明会、ヘリコプター搬送、出生前診断による中絶のこと、そして重症心身障害児施設にも行って、入所中のお子さんと遊ばせてもーいただきました。今回は行間に読みとっていただくにとどまってしまいましたが、私にとってどれもとても大きな体験でした。いずれ、ゆっくりと取り組める日が来れば・・・と思っています。

たくさんの方に「書かせてもらった」本でした。取材したいと思っていた方と偶然会えたことも多々あって、たくさんの方の生の声が出てくる本ですが、私のこの時期の出会いの記録でもあります。

当分続くかと思っていた母の介護が昨夏突然に終わったということもあり、「仕事しなさい、何か役に立ちなさい」と母に言われているような気もしていました。

そんなわけで、私としては、これまでの仕事の中でも特に馬鹿がつくほど真面目に、損得なくコツコツ書いた本になりました。

ライティングを職業にしている人間として一冊の本の取材にここまで無尽蔵に時間を使ってよかったのかどうかは疑問とすべきで、こうしてすべてを終えた今、反省することが多々あります。一緒に仕事をしている方たちに我慢していただいたこともあり、家族も普段から慣れている彼らとはいえよく我慢してくれたなあと思っています・・・。これからの時代は医療もやみくもに長時間労働をしてはいけないと盛んに言われているわけですが、最後には私も自分についてそれを言い聞かせることになりました。

でも、もらったものは、もう返すことはできないのだそうです。それを負って、明日の自分を変えていきたいと思います。

11月初めには書店に出るようですので、どうぞよろしくお願いいたします。

【写真】 『安全なお産、安心なお産−「つながり」で築く、壊れない医療』第三章「赤ちゃん救命最前線、NICU(新生児集中治療管理室で起きていること」を書き始めるときのプロットです。何十時間ものインタビューや資料から取り上げたい話を切り出し、全体を組み立ててから書き出します。この前後が一番しんどいときで始まりと終わりが快楽、というのが大体の進行パターンです。 2009/10/17