種子島のシンポジウムに遠隔参加

今日はお昼から夕方までずっと、動画サイト「USTREAM」で、種子島でおこなわれたへき地離島周産期医療フォーラムの中継を見ていました。

また、私が送ったビデオレターのあと、ウェブカメラを使ったテレビ会議システムで2分間会場とつなぎ、種子島唯一の麻酔科医で司会の高山先生と2分間お話しました。カメラに本棚が映るので、始まる前に斜めっていた本をまっすぐに起こすなどゴソゴソ・・・

19日の日記で練習したシステムです。会場の、まだウェブカメラを使ったことがない方には、ステージに映し出されたパソコンの画面でリアルタイムの遠隔コミュニケーションを見て頂くことができました。本当に簡単でよかったですよ。このウェブカメラのシステムを持っている子育て支援ネットワークの「がじゅまるの家」では、これを利用した小児科相談をおこなっているとのことです。

私の後には、有名な岩手県のモバイル妊婦健診を活用し、沿岸地域の医療過疎を支えてきた小笠原先生が同様のシステムで岩手のネットワーク「いーはとーぶ」のことなどを紹介されました。

またそのあとには、ステージで高山先生がスタッフ男性の心電図や血中酸素飽和濃度をモニターし、鹿児島大学の先生がそれを読み取るというデモンストレーションもありました。

助産師さんの活躍。ALSO(Advanced Life Support in Obstetrics 「オルソ」と呼ぶそうです)という家庭医などを対象にした分娩取り扱いの教育。妊婦さんの情報をクラウドで地域の医療施設が共有するシステム。そしてインターネットの活用など、現在へき地で進んできていることがよくわかりました。

そして私がこのシンポでとても印象的だったのは・・・

基調講演をされた池之上克先生と、現在種子島のお産を島内唯一の産科医として支えていらっしゃる住吉稔先生のお二人は、かつて五つ子を育てた医師チームのお仲間だったそうです。

ニュースを賑わせ続けた五つ子の成長は、当時、日本の医学はこんな素晴らしい段階に達したのだということを示す象徴でした。先に先に、上に上にと進んだ時代でした。突出した一施設がどんどん先へ行く医療が、全体の希望だった時代でした。今、その先生たちが、その進んだ医療の光が影を作りかねない地域のために尽力されているのです。

住吉先生は、種子島で行政が出産場所の確保に本気で乗り出し初の公立産院を作った時、59歳という還暦を過ぎた年齢で島に赴任されたとのことです。そして今は、毎朝のように「種子島のお母さんたちをお守りください」と祈る散歩で1日を始めていらっしゃるとのことでした。その道から見えるいうあたたかい太陽の写真が強く心に残っています。

島のお産を守るということは、心意気のある、人間味あふれる方たちの結晶なのですね。感動しました。でも、こうした心意気のある方に綱渡りをさせてはいけないし、やはりシステム構築が不可欠です。

産科医不足で最も苦しんだ県のひとつ・岩手県が、今、日本中からモデルとされています。それは震災の時の立ち直りの速さにもつながりました。周産期医療の人間にとっては、この度の震災は産科医不足が深刻だった地域と不思議なほど被災地が重なっており、連続性のあるストーリーになっています。

お声をかけてくださった高山先生、いい機会をどうもありがとうございました。高山先生に『安全なお産、安心なお産−つながりで築く壊れない医療』を高く評価していただいて、本当にうれしかったです。 2011/11/26