被災地の方からお話を聞いて

『AERA with Baby』被災地だより取材を、引き続き東京から電話で。気仙沼の方三人にお話を聞きました。

はじめにお話ししたのは「ピースジャム」という団体。粉ミルクや紙おむつが買えなくなったお母さんの様子に緊迫感ある危機を感じた佐藤賢さんという男性が、たまたまポケットに入れて避難していたお金で物資を買い、避難所や自宅避難の親子に物資を配り始めたのがピースジャムの始まりでした。現在は赤ちゃんがいても仕事をしたい、しなければならなくなったたくさんのお母さんのために母子支援の雇用を創出しようと、子連れで働けるジャムの製造、販売を開始しています。

そして、そのピースジャムから支援を受けていたお母さんのお話も聞きました。また、そのお母さんと避難所で同室で、子ども同士もとても仲良くなった方のお話も聞きました。この方は「ガソリンが満タンになるやいなや、ふと」脱出するという選択を思い立ったそうです。今は沖縄に移住していらっしゃいました。

とても海に近かった小学校では、生徒数は約半数に。役所にお聞きすると、気仙沼市では、昨年、津波で亡くなった方たちより遙かに多い数の方が気仙沼を去りました。

行く人もいます。残って、何かしようとしている人もいます。また、残って何をしない日々をただパチンコで送っている人もたくさんいます。行っても、心がふるさとに残っている人もいるし、もうふるさとと別れようとしている人もいます。

みんな、みんな本当の話をしてくださったと思います。

その前には仙台でもたくさんの方からお話を聞いたし、福島や山形のお話も聞いてきました。

テレビで1年間繰り返されてきた「感動ドラマ仕立て」ではない、本当の声に触れて、限りある時間でもこの取材ができて本当によかったと思いました。

これから原稿書きます。 2012/02/11