樫の木を伐る

子どもが小さいとき、おそらく、私か子どものポケットか何かに運ばれてやってきた1個のドングリ。それがわが家の庭の壁ぎりぎりの所に根を張り、二十年くらいの時を経て枝を広げ、生い茂っていました。

それは二階にある私の仕事部屋の高さになり、そして、そこからさらに、もっと高くなって、私の仕事部屋のベランダは木の中にいるような状態になっていました。

この数年は毎年のように小鳥が巣を作り、仕事中、春は巣から聞こえてくる絶え間のない小鳥のおしゃべりが聞こえていました。こうなって初めてわかったのですが、鳥は夜中でもよく鳴きます。

風の日は、森の音がしていました。

秋になると、きれいなグリーンのドングリが玄関先に落ちてきて、秋の始まりを知りました。

落ち葉とドングリの季節ともなると、これは、もう住宅地にはあり得ない様子となって体力勝負そのもの。1日何回掃いても、まったく追いつかないありさまでした。

やがて、いかにも大きくなってきて壁が割れてしまう怖れも出てきたので、伐採を考え始めたのはもう何年も前のこと。それから、どこかで大きな高い木がのびのびと枝を広げているのを見る度に、うちの木もここに生えることができればよかったのに、とそんなことばかり思っていました。

好きなだけ、空に枝を広げる木の姿は本当に素晴らしいものだと思います。

昨年に見積もりをとって、でも出生前診断の本を仕上げようと思っていたので、伐ることに耐える自信と余力がありませんでした。

でも今年は、小鳥の声が全く聞こえなくなって巣を落としても大丈夫だと確信できたことを好機として水落さんという植木屋さんにお願いしました。長女と長男が学校で一緒だったおうちのパパなんですが。

何か準備しておくことはありますか?

電話でそう聞いた時に、水落さんは「お塩を杯一杯くらい」と言いました。それを聞いただけで、もう胸が締め付けられるようでした。

その日の朝が来て、水落さんはまず道具の準備をすませ、そしてお塩を私から両手に受けて木の根元にふりかけ、木と話をしてくれました。水落さんはクリスチャンなので、お祈りはアーメンで終わりました。

水落さんは、見たことがないような、本当に丁寧に方法で、少しずつ枝をはずし、幹を小さくしていきました。最小限のチェーンソー、手のこ、そしてロープの作業。陽ざしの中を、木挽きの粉が小雪のように舞い続けました。

うれしいことに、幹がもう一本根元から別れていて、それは残すことができました。太い木に押されて曲がっていましたが、曲がっていないところまで切り戻してもらい、手を入れてもらいました。

そして、今は季節がよいので、切り株からも、新しい芽が吹いてくるだろうということでした。それは、剪定していけば、もう同じことは繰り返さなくてすみそうです。

大好きだった大きな木。大きな木と一緒に暮らすことができて本当によかった。木がくれた風の音の記憶や、隣にいるように暮らした小鳥たちの記憶はいつまでも消えることはありません。

大きな木が一本あるだけで、そこで生き物たちは命をはぐくむことができ、人は癒やされます。そのことを教えてくれて、そして私にいつまでも続く安らぎを心の深くにくれた一本の私の樫の木に、心からありがとうと言いたいです。そして、新芽が吹くのを待ちたいと思います。
2015/05/27