2016年02月一覧

「バースハピネス」を考えるシンポジウム

2月28日 京都で「母親たちが企画するシンポジウム バースハピネスを考える 」を主催した「りんごの木 」のメンバー。それそれが地元でお産を語る会のような活動をしているグループの代表者だそうです。朝の打ち合わせに行くと、代表の古宇田さんは赤いベレーにグリーンのセーターで見事に一個のりんごになっていました…カワイイ。

コンセンサス形成という形式で会は進められました。寸劇で会のテーマが示されたあとに幸せな出産を実現するための政策が提言され、それが是非やるべきことかどうかを会場が投票の形で評価して集計→医療資源が有限であることなどをめぐる議論→また集計。

最後に、私のファン助産院で撮影した写真…幸せと信頼が一杯の2つのお産をただ、ただ写し取ったものです…を5分間のスライドショーで見ていただきました。上映後、助産師になったばかりというまだ本当に若い助産師さんが前に来られて大きな目から涙をポロポロ流し、助産師になって良かったと言ってくださったのがとても嬉しかったです。なぎちゃん、ありがとうね。

150名の部屋は満席、隅々まで本当によく工夫されたユニークな力作イベントでした。

育児支援と大きく違い、お産を幸せにする活動は、 さまざまに特別な困難を伴いがちです。
REBORNがたくさんイベントをしていた頃から見ると日本経済に貢献する女性はうんと増えた。
けれど、お産が女性がすることというよりお医者様がしてくれるよくわからないことだという意識は変わらないし、かえって強まっている気もする。

出産というものはあんまり思い出したくないことだ、幸せなお産などイメージできない人ももしかしたら増えている。

子どもではなく母親の幸せを求めるのは女性の医学的リスク意識の欠落やわがままだ、はては宗教だという人もたくさんいます。それは、そういうところに走る人たちもいるわけだけれど
ごく一般的に考えれば、本当は、お母さんを幸せにしてあげれば、そのおかあさんは子どもを幸せにしようとする。

今のままだと、やっぱりお産ってやりたくないことであり続けると思います。
2016/02/29


にぎやかな掛け軸

京都入り。町屋に泊まっていたら、つい先日、そのおうちでは赤ちゃんが生まれたそうです。だからなのか、掛け軸の鶴夫婦にはたくさんのひな鳥がいて大きな口をあけていました。これからバースハピネスのシンポジウム。 2016/02/28


産後うつ、産後ケアについて思うこと

この数年、産後うつ、産後ケア、マタニティブルーに関連するニュースが激増。

私は30年前に初めての出産をして「母子ふたりぼっち」をマンションの10階で経験し「なんだ、これは。ノーマルな人間の生活ではない」と思ってこの仕事を始めた人間です。ですので、今さら感は、もう、たっぷりです。当時は「密室育児」という言葉がマスコミで作られた頃でした。そして、ちょっとだけ社会のに話題になり、ほどなく忘れ去られました。

これは、すでに少なく見積もっても2世代は経ている問題です。日本中の個人が見て見ぬふりをして、無視し続けて、お母さんだけが歯を食いしばって子どものためにこの産業・家族形態の変化による無理、無茶を耐えしのんできたのです。

お母さんも言いにくかったのは、やはり、こういうことを公言するのは子どもがかわいそうですからね。私も長女には、自分が小さかったときにお母さんは楽しくてしかたがない育児をしていたと思っていてもらいたいです。でも、やはり、その子も子どもが生まれたら、同じような悩みに直面しかねません。また、どんなことでも子どもについて思ったことに私は嘘は言いたくないので、私は著作や講演の中でそうした思いを繰り返し公言してきました。

ふつうに考えても、一日の大半を言葉も話せない人とだけいたら、ホルモン云々という前に、誰であってもおかしくなる可能性はたっぷりあるわけです。

でも、あまりにも遅いけれど、やっとあの時期の大変さがキャンペーンされるようになったのは本当によかった。ただ、このように世間が生まれたてのお母さんに注目してくださるなら、「あともう一声!」と思わずにはいられないことがあります。

それは、妊娠期と出産直後のケアの大切さです。

今、産後ケアを一生懸命にやっている助産師さんたちは、妊婦健診や分娩の現場には一種の諦念を持っている人が少なくないように感じます。産婦人科の人手不足や、産み場所減少から来る出産施設の混雑は深刻。空きベッドを出さないために、産科が単科病棟ではなくなる混合化が起きており、妊婦さんがターミナルケアの方と同じ病棟になるケースも珍しくありません。

助産院も、晩産化から分娩が激減していて、産後ケアが中心になるところが多いです。お産まわりから、助産師さんがどんどん減ってきている・・・

助産師さんの存在感が小さいお産から来る結果として、退院時、母乳の出が悪いお母さん、子育てが不慣れなお母さん、そんな中でスマホにかじりついてその中の情報に振り回されるお母さんが増えています。母乳は、全部母乳でなくてもある程度あげられれば、お母さんを安定させる効果もあってずいぶん助かるのですが・・・。そして、お産の時の対応にしても、あまりにも忙しい所では、ご両親が嬉しい温かい思い出を作りにくいです。

そうした状況を変えることこそ、本当は「根っこ」からの育児支援だと、助産の世界ではずっと考えられています(助産とは、医学が産後うつ、異常妊娠などの病理を扱うのに対し、ケアを中心に産む人のためになることを考える分野です)。

しかし、今の状況では、ケアがないことがあまりにも当たり前になり、ケアの不足が見えなくなっています。入院中〜退院後しばらくの時期に出産施設でほとんどケアがないお母さんが、もうぼろぼろになって、やっと地域の家庭訪問の日を迎えても、事態は深刻化していることが少なくないということは容易に想像されます。

出産には、異常妊娠に対応する産科学の他にケアが必要だという認識を広げるために、今年、私は助産が行き届いた妊娠、出産、産後を撮っていきます。それが、目に見えるように。

明後日、京都で開かれるシンポジウム「バースハピネスを考える〜母になるプロセスを支える」で5分程度のスライドショーとして年末から撮り貯めてきた写真を初公開します。 2016/02/26


「産めよ増やせよ」は昭和17年にここから始まった

晩産化について発言する機会が多い私は、かつて国家が兵力増強を目的に「早く結婚しましょう、そして若いうちに産みましょう」と言っていた時代の歴史が気になり、折に触れて情報を集めてきました。

戦中・戦後の早婚奨励、多産奨励と今の少子化対策ではどこがどう違わなければならないのかを、常に考えていきたいからです。

結局、今でも「労働人口の減少」「少子高齢化」を避けるために国は少子化政策に晩産化や不妊対策を盛り込んだのですから、実際のところ、その線引きはそんなに明瞭な線にはなり得ません。「いいえ。今の”ライフプラン教育は『産めよ増やせよ』とはまったく違うものですよ」なんて誰にも言えないと私は思っているのです。

ひとつの謎は、あまりにもよく使われる「産めよ増やせよ」というコピーがどこから来たのかということでした。それが、今、母子保健法制定50周年を記念して国立公文書館で開かれている企画展「生まれた。育てた。-母子保健のあゆみ−」でわかりました。内閣府情報局が国策の一環として発行していた『写真週報』昭和17年4月29日号に掲載された「これからの結婚はこのやうに」でした。そこで謳われた「結婚十訓」の十訓目が、以後マスコミで展開されたキャンペーンの典拠となったそうです。

「結婚十訓」

一 一生の伴侶として信頼できる人を選びませう
二 心身共に健康な人を選びませう
三 お互に健康証明書を交換しましょう
四 悪い遺伝の無い人を選びませう
五 近親結婚は成るべく避けることにしませう
六 成るべく早く結婚しませう
七 迷信や因襲に捉はれないこと
八 父母長上の意見を尊重なさい
九 式は質素に届はすぐに
十 産めよ増やせよ國のため

日本では、こうした非人道的な妊娠政策がとられた歴史があり、その終結も国際的に見てかなり遅く、かつ曖昧でした。ですから、長い間、出産年齢や遺伝は、触れなば直ちに反対運動が起きる「タブー」とされて不妊対策が遅れたように思います。

また出生前診断についても検査を水面下に潜らせ、遺伝カウンセリングの整備を送らせる要因となりました。

企画展は、明治から今日に至るまでの母子保健の流れを全体的に紹介していて他にも興味深い展示品がいっぱいありましたが、妊娠教育が各地の自治体で一斉に開始された今、この時期に、戦時下のこの問題が実物をもってわかりやすく示されたのは意義があることだと感じました。 2016/02/17