講座「スマホ情報だけで大丈夫?」を終えて

2019年1月、妊娠関連の講座を毎年おこなっている茅ケ崎市男女共同参画センターへ行ってきました。今年は「スマホ情報だけで大丈夫?出産ジャーナリストに聞く妊活から出産まで」というテーマでした。

スマホのみで妊活や出産、産後ライフの情報をとっていく時の落とし穴を、情報を出す側として舞台裏もお話ししながら考えていただきました。

そして私もこの機に、DeNAの健康サイト「WELQ」が信憑性の低い情報や盗用が目に余り閉鎖に追い込まれた事件を詳しく調べてみました。

この事件は、講座にいらした方の記憶にはあまり残っていなかったようです。一般の方にはあまり関心が持てるものではなかったのかもしれません。でも取材費と時間を投じて人と会い、記事を書くという仕事をしてきた者にとって、この事件は「やっと指摘されたか」という大きな喜びを感じた事件でした。というのは、ライターを書いたたき、検索サイト対策のみを求めてコピペ記事を量産させてきたDeNAのやり方は、極端なケースだったというだけで、ネットの世界ではそんなに特殊な考え方ではないからです。

講座が終わる頃には、いつも手の中にある無料情報の背後がいろいろとわかっていただけたかと思います。


事件以降、医療情報サイトの作られ方は、どこまで変わったでしょうか。

「医師の監修あり」ということをアピールするサイトも出てきましたが、医師監修のあるページでも書いている人に知識がなければ、用語の解釈に間違いがあったり、つじつまが合わない文章になっていたりします。医師の監修とは現実には、医師によっては隅々まで見てくださいますが、必ずしもそういう方ばかりではありません。

サイト全体をひとりの産婦人科医がみているようなサイトもありますが、専門分化の時代には、どんなテーマでも監修できる医師など存在するはずはありません。産婦人科は、腫瘍、周産期(出産の前後)、不妊治療というように中で分かれています。そして、それぞれ日進月歩の勢いで変化していきます。

形ばかりの医師の関与では、効果がよくわからない健康食品に医師のおすすめの言葉が書いてあるのと同じです。

旧来の紙媒体では、いい医療記事を作ろうとするなら、「今、このテーマをやるなら、どの医師に取材するか」を決めるところから始まります。

1人の医師ではバイアスが生じる可能性もあるので、対立する意見が存在することがわかったら、複数の医師に取材に行く必要がありますし、看護や心理など、他の分野の専門家や、ご両親、患者さんの声がなければ理解できないこともたくさんあります。

だからこそ医療ジャーナリズムというものが生まれました。

名前も顔も出して、まともな取材をして記事を書いている人間が、フリーの立場で動いている者も含めて安心して仕事ができるようになれば、医療費や不妊治療の助成金ももう少しお金が生きるものになり、出産ももう少し楽にしていただけるようになると思うのですが。

そうしたことに気づいていらっしゃる方と仕事をさせていただけたら、といつも思っています。

2019年1月20日


白神山地のマタギ道を歩く

白神山地は「手つかずの自然が残されている世界遺産」として知られる。私もその言葉に惹かれて、青森看護協会の仕事のあと弘前から乗合バスに1時間ゆられて白神山地のある西目屋村に向かった。
けれど、その翌朝、白神マタギ舎でガイドしていただいた白神は、人が思慮深くその恵みをいただき、植物や生き物、動物たちを友だちのように思ってきた生活の森だった。山に入って生計を立てていた人がそこで山菜やキノコを見つけてうれしかったり、人恋しくなって寂しかったりしたあとは、例えば炭を焼いていた小さな窯だったりするのだけれど、それは私たちの目にはわからないほどつつましくて教えていただけかなければわからない。

ガイドをしてくださったのは、現役のマタギである工藤茂樹さん。マタギの人が多く暮らしていたが今はダムに沈んだ砂子瀬に生まれ、今も本籍に砂子瀬の地名を持ち続けているという。工藤さんと歩くことで、知らなければ「手つかずの自然だ、ブナだ、杉じゃない」くらいのことを言って終わったであろう森が、人が共に暮らしてきた世界に変わった。

白神に行こうと思っていろいろと調べた時に一番わかりにくかったのは絵地図的な観光マップ以外に地図が見当たらないのだ。やがて、そのわけを教えてくれたのが『白神の意味。』(自湧社)という一冊の本だった。

「白神山地の中でこの山の魅力について考え、隔絶感という言葉にたどり着いた。私たちが日常生活している産業化社会の文明からの隔たりがこの山の魅力であり、価値だと思う。
この山地の核心部では産業化社会の影はきわめて少ない。そもそも地図上に描かれるような道すらない。山岳地域に限らず、このような土地は日本やヨーロッパの先進諸国にはもうほとんど見られない。白神と並んで世界遺産地域に登録された屋久島でさえ、整備された登山道が縦横に走っている。・・・・私たちの白神山地の調査が本格化したのは昭和61年(1986)頃。谷をさかのぼり、しゃにむにヤブをこぐ調査だったが、昭和63年からはヘリコプターによる調査が可能になった・・・こうした過程で、白神山地で暮らす人々の生活にふれる機会が増え、人々がこの山地の自然資源をいかに利用してきたか、それがいかに高度の文化の域に達しているかということがわかってきた。


この伝統的な自然資源利用、つまり生活活動は、産業化社会のものではない。例えば、白神山地には地図に書かれた道はないが、マタギ道は縦横に走っている。しかしその道の多くは、経験的に自然知をベースに描かれたメンタルトレイルであって、踏み跡はない。鉈目すら希だ。マタギたちは、地図も磁石も使わずに、自分の記憶をたどって正確にこれを往来する。・・・」(『白神の意味。』序文)

しかし、林道建設のために伐採が計画され、その反対運動が起きたこときっかけに白神というところは突然有名になって世界遺産に登録された。そして皮肉なことに、世界遺産の指定はマタギの人たちにも狩猟や採集を禁じるもので、かつ、指定地域をはずれたところでは山の幸を乱獲する人たちを増やしてしまったという。こうして農耕以前の貴重な文化を生きていた人たちは、生計を立てることができなくなってしまった。

マタギ人たちが伝えてきた自然との共存は、実は、とてもはかないものだ。
工藤さんは一本のミズナラの木を悲しそうに見ていたのだけれど、その木かつては舞茸がたくさん出た木なのだという。舞茸は20代で出る木を見つけたら、その人がおじいさんになっても繰り返し出てきてくれてその人の生活を潤してくれる特別なキノコ。それは、マタギの人たちには、舞茸が再び出てこられるように採る技術があったからでもある。それがあるとき誰かが入ってきて舞茸を全部むしり取っていった。踏んではいけないところも踏んでしまった。その木には、もう舞茸は出てこなくなってしまった。


また他のところでは、木にナンバーが大きく書かれていた。一般の人間には山で生きてきたマタギのように森を記憶することはできないから、誰かが印をつけていったのだ。山に入る資格がない人たちのこうした行動がマタギの人たちを悲しませている。そのうえ、自分たちは長く、大切に守りながら採集してきたところに入ることができないのだ。
実は世界遺産に指定されたため採集が禁じられた地域ではキノコが増えすぎて木をだめにしてしまう現象も起きているという。食べて食べられる白神の生態系の中には、人間も入っているというのに。

マタギ道に、お借りしたスパイク地下足袋と軍手という装備で入る。斜面では草をつかんでも大人の一人や二人は大丈夫と教えてもらう。地面には去年木から落ちてきた落ち葉の絨毯とそこに生きる愛らしい植物や微生物たち。葉緑素を持たずに地面からの栄養だけで生きる全身が真っ白な花も咲いている。
マタギ道は見ただけでは道の存在はほとんどわからないけれど、歩いてみれば、そこは工藤さんたちが大切に守って来た道筋だとすぐにわかる。登山道と違って常に蛇行して進むのも特徴で、工藤さんは登山家がまっすぐ歩くことが不思議でしかたがないらしい。ブナの根は横に広がり、からまりあって、斜面を上り下りするときに安心して足を置ける段を作っている。人が作った階段と違って崩れることはない。うちの近所の坂にある、一部がくずれかけてみんなが怒っている階段などよりよほど安全。
谷へ降りて川を渡り、また登っていったところに、その昔大きな地滑りが形成した広々とした窪地が広がっていた。水を集めているらしくやわらかなシダが一面に広がっていた。
そこにカツラの巨木が立っていた。


今、写真を見返しても涙があふれる。工藤さんは、私がガイドをお願いしたときに書いた「人がほとんど入っていない森を感じたい」というわがままをかなえてくれた。ろくに体力もない、本来ならこんな所に来るに値しないかもしれない人間を決まった時間内でここまで連れてきていただくにはいろいろと考えてくださったのだろう。有難いとはこのことだ。

観光で何かにお金を払って、今回ほど価値を感じたことはかつてなかった。その土地の美しい宝物を見せていただき、立派な文化を教えていただいて、その方たちの生活を支えるため、宝物をこれからも守っていっていただくために、お金を支払わせていただく。それは喜びでしかなく、これがホンモノの観光というものだと思います。

私は今度いつ白神に行けるかわかりませんが、今日も美しい白神の森に、植物と動物と人の共存の森に、朝と昼と夜がめぐっていると思うだけでとても幸せな満たされた気持ちになります。

白神マタギ舎のスタッフの皆さんと、連日の大変なお仕事の合間をぬってこの体験を共にしてくださった健生病院産婦人科の齋藤美貴先生、日帰りもできた出張をもう一泊させてくれた家族に心から感謝します。

白神マタギ舎さんのウェブサイト

http://matagisha.sakura.ne.jp/home.html

2018年6月20日


日赤看護大の写真展打ち合わせ

5月22日(火)から6月4日(月)まで日本赤十字看護大学のラウンジで写真を展示します。念願の、学生さんに見ていただくという企画です。
打ち合わせに行って、大学の井村真澄先生と、同じ建物の中に在る助産師学校の萩原先生のツーショットを撮らせていただきました。
学生さんの生活空間のなかでの展示となります。学外の方は、一階のカウンターに一声お声をかけてください。時間などの詳細は追ってお知らせします。

自分が生まれた「日赤産院」入り口の雰囲気を、いつもここで偲んでいます。よく似た門が家の古いアルバムにあるので。。。
「産婆」の時代からこの学校を見守って来た大きな松の木。

2018年5月11日


国際助産師の日写真展のお知らせ

5月5日はICM(国際助産師連盟 )が定めた「国際助産師の日」。この日にちなみ、授乳服専門店「モーハウス 青山ショップ」で、助産師を主人公にした写真展を開催することになりました。
スタートは5月1日で5月25日まで続きます。
テーマは「What is a midwife? 助産師とは何か」

展示する写真を準備しながら、私は、改めて、自分はこの深い問いを抱えて出産にのめり込んでいったのだということをまざまざと思い出しています。写真展ですが、写真をセレクトしながら、その答えを書くことにも取り組みました。
私が春に行ったニュージーランドでは、リスクの程度も出産場所も問わず、すべての妊婦さんに国費で「担当助産師」がつくとのこと。助産師がすべての妊婦さんのそばにいてほしいという思いから、今回は手術室から自宅までさまざまの場の写真を選び、歴史的変遷や海外事情にも触れます。
■国際助産師の日写真展@モーハウス青山ショップ
https://www.facebook.com/events/405570529907772/
2018年4月28日


一本のミルク

パパが毎晩来て、ミルクを一本飲ませてくれる。
その記憶は、この子のどこに残っていくのだろう。この赤ちゃんの「見る」「聞く」「感じる」はどんな風なのだろう。そして「意識」は。まだお腹にいる時期の赤ちゃんは、私たちが忘れてしまったやり方で見たり聞いたり感じたり、覚えたりしているのかもしれない。
言葉が始まるずっとずっと前のお話。

埼玉医科大学の総合周産期母子医療センターで2018年2月から周産期医療のさまざまなシーンを撮影しています。今夏から来年にかけて医療施設、周産期関連の学会等で発表していきます。
2018年4月19日


3か月間の安静を超えて

3ヶ月間MFICUに入院され、頑張ってきた方の帝王切開出産を撮らせていだだきました。長い心配と点滴の日々を超えてのゴール。こんなありきたりな言葉しか出ませんが、すごく感激しました!!
この方は、入院中のお写真も撮らせていただこうとしたのですが状況が案じられ、撮らせていただけるチャンスがありませんでした。いつ陣痛が来てしまうかもしれない不安の連続は、どれだけ大変なことだったかと思います。
このあと、入院中からの担当助産師さんが手術台の上で授乳介助されていました。
あとでお話を聞くと、手術はとてもこわかったけれど、よく知っている助産師さんと顔見知りの看護師さんがそばにいてくれたことが「もう全然違う!」というくらいの安心感になったそうです。
今、周産期の麻酔が問題になっていますが、産科とは別に麻酔科の先生がいて活躍する手術の良さも大変よくわかりました。

@埼玉医科大学総合医療センター総合周産期母子医療センター
病院のご協力を得て、周産期医療のさまざまなシーンを撮影しています。今夏から来年にかけて医療施設、周産期関連の学会等で発表していきます。
2018年4月10日


​出生前診断のシンポジウム@湘南鎌倉総合病院
湘南鎌倉総合病院で先週末3月31日に行なわれたシンポジウムに来てくださった皆さま、親子の未来を考える会さんが配信したライブ動画を見てくださった皆さま、どうもありがとうございました。
井上裕美先生から「英国で胎児超音波を学んでいるドクターが帰国する・・・」という話をお聞きしたのは昨年のことでした。胎児診断がより詳しくおこなえることは胎児治療や安全性にもつながりますが、中絶や妊娠中の苦悩につながる可能性があることは否定できません。
井上先生とは、かつてはフリースタイル出産、出産のヒューマニゼーション研究会などたくさんのプロジェクトを「産む人が真ん中の医療がいいね」の想いでご一緒した。けれど、私が生殖医療や出生前診断の仕事で忙しくなってからは長らくご無沙汰していました。その井上先生から相談された今回のシンポジウム。そこには、タイトルに、やはり「”人間味のある”出生前診断を目指して」とありました。
カチャリ!と金具がつながった音。
ああ、やっと環がつながったと思ったものです。
出生前診断は、新型出生前診断よりはるかにたくさんの疾患がわかる胎児超音波の最新技術とと、この医療の何たるかを一般の人に伝えるたぐいまれな力を合わせ持った林先生の登場によって今後大きく変わっていくと思います。
この日「ロンドン三人組」と呼ばれていた林先生、市田先生、松永さんから詳細に伝えられた英国事情は、技術もシステムも、これまで国内ではほとんど知られてこなかった話。私はこのことは『出生前診断』でぜひ入れたくて新幹線に何度も乗り、GEにも行き、英語とも格闘して書きましたが半年くらいあがきました・・・それを、いや、それより詳しいことをこの三人にあの場で立体的に聞くことができた方たちはものすごくラッキー!です。
英国から帰国したばかりの助産師さん・松永真由美さんは、英国ではチーム制の担当助産師が出生前診断も含めて女性を支えていることを詳しく伝えてくれました。
日本では「遺伝カウンセラー」「臨床遺伝専門医」といったスペシャリストに会わないと出生前診断は受けるべきではないという体制作りが進められていますが、実は検査件数が多い海外では、遺伝カウンセラーが出生前診断を受ける人全員に会うのは不可能なこと。では誰がそこを補っているかと言うと、英国では、まずは助産師が話します。その後、必要に応じてもっと専門性の高い専門家に会っていくことになります。
日本では、一般の産科の先生への教育は開始されたと思いますが、助産師さんに対してはどうでしょうか。
日本ではまだまだ助産師さんが「自然なお産」や「産後ケア」といった限定的な小さな世界に閉じこもっていないでしょうか?
今日の胎児の検査は染色体異常も含めて超音波検査が圧倒的にたくさんの疾患を見つけているわけですし、日本も、胎児をみるのに遺伝学的検査しかなかった時代にできた枠組みを一度見直してみなければ身動きが取れなくなることは必至かと思います。
13トリソミーのあったお子さんを出産された体験をお話ししてくださった小坂あゆ子さんのことは、来られた方皆さんずっと忘れられないと思います。あゆさんは以前から存じ上げていて講演で使われたマタニティ・フォトも私が撮らせていただいたものなのですが、ご夫婦が羊水検査で診断を確定することを拒まれた理由も、初めて知りました。医療現場では、染色体疾患があるかどうかは出生後に延命治療をするかどうかの決断にかかわることがあり、ご夫婦はすべての治療をしたいと考えていたため、羊水検査は要らないと回答したのだそうです。
自然で、科学にも人間にも敬意をもった温かい会ができたと思います。日本はこのテーマについて半世紀近くも不毛な是非論を続けてきましたが、これからは、未来をもっとイメージしていきたいと思えました。ニュージーランドに行って、何も日本の事ばかり考えている必要はないと思えるようになったのかもしれません。
今度は、英国もこの目で見て来たいものです。それには、まず、年明けから膨大に抱え込んでしまった素材のアウトプットをしっかりがんばりたい!!
投稿した写真は佐野仁啓さんから一杯いただいています。​
2018年3月31日


東京の雪を見ながら遠いオホーツクを思う

(オホーツクから帰った直後に書いた文章です)
僕の名前は救ちゃんっていうんだ。病院へ行く途中の救急車で生まれたから、救ちゃん。僕は覚えていないけれどさ、そうらしいよ。
お母さんのすぐ近くの病院は「ハイリスク妊娠」を受けないんだ。お産のお医者さんがひとりしかいないから。それでお母さんは1時間くらいかかる隣町の病院に行ったんたけれど間に合わなかったんだ。僕、三人目だからさ。
それで、そのお話を聞きたいって、東京からおばさんがやってきて、他にもいろいろな人が来て話をしていった。救急車に一緒に乗っていたおばあちゃんが呼んだんだ。ハイリスク妊娠って危ない妊娠のことらしいけれど、そういう人って結構たくさんいるんだね。もう一人欲しいんだけれど、ここに住んでいる限り産まないっていう人もいたよ。
その人が帰る時、おばあちゃんと送った。僕がこの元気なおばあちゃんに持ちあげられていたら、ふわっと風が吹いてきて、雪がキラキラになって僕たちを光が包んだ。おばさんを空港に送っていく助産師さんが言った。
「すごーい。きっといいことあるわよ!」
本当にあるといいね。
今朝は東京でも少し雪が積もりました。
私は、流れてくるニュースに大きな違和感を感じました。
東京中心に回る世界。
地方の悩みは多勢に無勢。
それは東京の人だって雪で転んで打ち所が悪かったら大変なことになるかもしれないし、電車が止まったら大変だけれど。
でも、私がついこの間までいた町では、心拍数の下がったお腹の赤ちゃんが、もう生まれそうな産婦さんが、真っ暗な雪道を延々と走っている。
それを守る人たちは医師だけではない。救急隊や、同乗の助産師さんたちの心労にも、限界というものがある。
病院で待っている人も、人数が少ないから休むひまがない。
だからどうしろうというのだと言われたら、私にも一挙解決の名案があるわけではない。
でも、知るべきことは、いつも、見えないところにたくさんある。
知ることが、すべてのはじまりだ。
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今朝「東洋経済オンライン」に記事がアップされました。
救急車の中で出産せざるを得なかった母の声
「北の町に住む母たちを覆う厳しい現実」前編
http://toyokeizai.net/articles/-/210329
何とかビジネスマンたちに、本当にそこに行かなければ、聞こうとしなければ聞かれることはない、国でも自治体でも学会でもないお母さんたちの切なる声を届けれられますように・・・!!
お母さんたちとの出会いをくださった白幡さんと川崎さん(私の本の読者だった白幡さんがつないでくださいました)、ご協力いただいたお母さんたちと紋別地区紋別消防署の皆さま、そしてここにお名前を挙げきれないオホーツク地域のみなさんに心から感謝申し上げます。そしてお話は、遠軽編の後編に続く。
2018年2月28日


山彦の滝

こちらは北海道遠軽町の「山彦の滝」。凍る滝として有名です。そしてもちろん、古くから大切にされてきた聖地です。

27日の朝一番、私を呼んでくださった遠軽商工会議所青年部の方と行きました。最高の森林浴でした!本当に楽しかった。あの清々しさ、いつまでも忘れることはないと思います。

たくさんのいろいろな、小さな足跡がありました。誰も姿は見せてくれませんでしたが、すぐそこにいることが丸わかりな雪の楽しさ。

今日は一眼レフで撮った写真を整理し、オホーツク・ロス、雪&氷ロスな一日でした。ああ、白くて広いものが見たい。
これから皆既月食を見て、出会った方々も観ているその同じ月を楽しみましょう。
2018年1月31日


育休中の助産師さんを真ん中に

『助産雑誌』(医学書院)9月号巻頭グラビアで京都・足立病院の助産師さんたちを撮っています。集合写真、真ん中が育休中の方でこの方の赤ちゃんを師長さんが隣で抱いています。

演出なんかしていないですよ。自然にこうなる職場っていいなあ、と思いながら撮ったんです。

実は産科医療の現場というところはとてもハードで人員に余裕があるところも少なく、全国的に見ると必ずしも産む人に優しい職場ではありません。

だから、まずは、ここから確実に変わっていけたらいいのにと、いつも思っています。

2017年9月1日