断食5日目

断食5日目断食中の眠りはとてもライトで、閉じた目をあくだけ、という感じで目覚めるのがふつうです。消化エネルギーを使っていないので、短く浅い睡眠で足りるというわけ。

しかし今朝は久々に起床時が眠く、驚きました。実は昨晩は、新しい単行本の企画について打ち合わせがあったのです。エネルギー使っているんですね。企画という作業は。

今朝から重湯をとります。「食べなきゃならないんだな」という感じ。自分は食べなければ生きていない、という現実に向き合いました。

何も食べない日数を、希望者は1日増やすことも出来ます。しかし、復食に必要な日数が2日増えるということで、私は予定通りここで折り返すことにしました。

協力してくれているまわりのことを思うと、そうなります。この世界、欲望を絶つことは最大の贅沢だと思いました。

これから少しずつ、私の断食という夢は終わっていきます。旅が終わりに近づいたのとまったく同じ気分です。

でも、この断食の間に見えたことは、私の一生にとてつもない影響を持つかもしれません。食欲を絶ったとたんに見えたのは、この世界にあふれている、過剰なエネルギーと要らない欲望でした。

町は「さあ喰え」「さあ買え」と欲情をかき立てています。私たちはそういう楽しい欲望を達成して楽しみながら、身体に病気のモトをたくわえ、支払う金銭を得るために過労になり、手に入れられないものがあれば悲しみます。

そして人間は、食べれば食べるほど胃袋が大きくなってもっと食べたくなり、買えば買うほどもっと買いたくなります。

そして、食べ過ぎは健康をそこない、結局何も食べられない身体になるかもしれません。買いすぎはモノにあふれて収拾がつかない家を作ります。あり余ったエネルギーは暴走してイライラする力となります。

これは物欲、食欲だけにとどまりません。私たちは大きすぎる胃袋だけではなく、大きすぎる大脳を持っています。この大脳も、有り余るエネルギーを発散するために、いつも闘争の相手を探します。

そして、意味のない議論のための議論にふけり始め、その目的はとても結論を導くこととは思われません。しかし、少し磨かれた頭脳は、その優れているところを見せたいのです。今日も、ネットという便利な道具を通じて、意見交換という名のデッドヒートを繰り返します。

でも、私は少しずつ、そこへ帰っていきます。

その世界で、せめてささやかなくふうをしながら、何よりも大事な健康で狂わない心と身体を守っていこう。一生のあいだ。

断食は、魔法のめがねでした。この見方は以前から読んだり聞いたりしていましたが、断食中の私には、教えでもなく哲学でもなく、見えて聞こえた体験に近いものだったのです。2005/03/18


断食4日目−本断食2日目

身も心も、すっかりセーブモードに入っています。

パソコンを放っておくとスリープしますね。まそに、あれです。生き物にこんなモードが入っているとは知りませんでした。いろんなものがついているんですねえ‥‥人間って。

プルルルル‥‥毎朝、班ごとに電話が回ります。「元気ですか?」と聞き、最後の人が班の人の体調をまとめて友永先生に連絡します。

体温も測ります。私の今朝は36.8度で普段よりきもち高め。こういう身体変化は100人100様で驚くほど違います。35度あるいは34度台まで下がる人もいます。

昨晩は、あんまりドシーンとおちついて、眠ったら死んでしまうかと思いました。しかし、布団に入るとなんだかとても素直に気持ちになり、ふと、子供のように眠れそうな気がしました。そう思えたとたん恐怖心が消え、すぐに眠りに落ち、目覚めてもなんとなくポヨーン。

そんななのに、10分で夫のお弁当を作った私って、なんてエライ。妻の鏡!?‥‥いや、そうじゃないんです。実は、私、普段、通勤時刻が早い夫だけはお弁当を作っていません。そりゃそうですよね。女は夫より子供よ−これは常識。

それがなんだか、今だけでも作ってあげたいのです。無理と無駄と欲望の世界で働かざるを得ない人に、何かをしてあげたい。

いろいろな人がいます。無理、無駄、いたずらに募る欲望に気づかないで生きている人、知っていてやらざるをえない人‥‥そして、小さい子たちは、なんてそういうものからフリーでいること。泣きたいときにぽろぽろと涙を流し、嬉しいときにスーっと笑う子供たちの無為のすばらしさ。

「断食ハイ」です。心の中に素直な部分がどんどん広がります。静かに、そして、やわらかくなっていきます。イライラ、憤慨、自己顕示のような気持ちは、やろうとしてもできない。そんな無駄をしていたら死んでしまうもの。

1本の草のように、静かに幸せに生きています。2005/03/17


断食3日目−本断食1日目

断食も安定飛行に入った感じ。

今日と明日が「本断食」。水分だけで、ほんとに何も食べません。

きのうまでは、特に朝方にムカムカ、頭痛、寝汗などいろいろな反応があったのですが、今日は特になんともなく、ただ、いつもより少しポーッとしているだけです。

今日は友永ヨーガ学院でのヨガのあと、友永先生を囲んでのミーティングに出ました。「少し、ぼうっとしているかもしれませんが、これが何よりものお休みなんです。普段はエネルギーが有り余っているの。それで余計なことをたくさん考えているんですよ」と友永先生。

そうか。断食は胃袋だけではなく、精神もお休みなんですね。

やればやるほど働き者である、成果が上がる、とみんな毎日いろいろなことに追われて生きているけれど、ふとそこから降りてみると、夢から覚めたような気がします。本当は断食している今が夢なのかもしれませんが。

断食は、最小限の自分に近づきます。あんなにたくさん食べて、山ほどの用事をかかえて、真剣な顔をして走っていた数日前の自分。そのイメージも、自分でありながら、「食べている人」の群れの中へ足早に消えていきます。

断食は、終わったら、もしかしたら教訓めいたことを言いたくなるのかもしれませんが、まっただ中の私は、そういうことを言いたい気持ちはありません。

ただただ、経験したことがないほど静かな、おちついた気持ちです。生理的に、有無を言わさない力によって、引力のままに下へ、下へ、と向かっていきます‥‥とてもいい気持ち。2005/03/16


断食2日目

断食は、先日からAll About「出産医療・産院選び」にインタビュー記事をアップした友永淳子先生(荻窪・友永ヨーガ学院)が年3回行っているコースに参加してやっています。

土曜日に説明会と個人面談があり、この日から普段の8割に減食。日曜日は6割減食で準備をしました。全部で30人くらいが今回のコースに参加し、毎日おこなわれる断食用のヨガにできるだけ通うことになっています。

1日目の月曜日は玄米がゆ一杯。2日目の今日は重湯一杯。他に口に出来るのはミネラル水と、番茶と、あとは「パイロゲン」というややフシギな健康飲料のみです。

「何で断食するの?」と何人かの人の聞かれましたが、一番大きい理由は「えっ!やってみた〜いっ」という欲望でした。欲を絶ってみたいという欲望です。こういう人は、欲がないのか、欲張りなのか?→後者、ですね。お産もそうですが、自分の身体が冒険するのはとても楽しいことではありませんか。

仕事も家事も普通にします。けっこういつも通りにできますし、ここがとても不思議なのですが、食欲にかられて苦しいという感覚がまったくないのです。家族のご飯も平気で作ります。

本当に、電源を切ったかのごとく、今の私は食欲という基本的欲望をパチッと絶ってしまっているのです。なぜそんなことができたのかは、わからないまま。

断食している人の世間を見るまなざしは独特なものです。どうしても、食べている人との間に隔たりができます。家族さえも、「もの喰う人々」となり、私と違う世界にいます。

見ていると、うちの家族はいろいろな食べ方をしています。

小さい下の子が、親の作ったごはんをうれしそうに食べているのを見るのは、ほほえましい。私の前でバームクーヘンを食べるとき、「失礼します」と言った夫と長女も、いいなあと思った。

しかし、おばあちゃんが、気の向くままにお総菜や甘味を買いちらし、長々と食べていたり、下手すると買ったたけで放置して古くしたりするのを見るのはつくづく情けない。

しかし、そんな光景も、断食中の頭にはいらだちは浮かばず、ただ、人にはこういう面があるなあ、それに征服されないように意識をしっかりもたないといけないんだなあ、と静かに思うわけです‥‥ああ、ほんとにお坊さんです。

友永ヨーガ学院 断食講座
http://www.tomonagayoga.org/fast.html

2005/03/15


空手について本を読む

空手について本を読む先日の取材帰り、大型書店で空手の本をあさりました。沖縄古伝空手心道流の宇城賢治さんという方が書かれた『武術空手への道』という本を買いました。その冒頭に、前回の日記の答え?と思う言葉がありました。

「武術の歴史をひもといた時、武術とは本来自分を護ることにあり、また敵を倒すことにありました。しかしそのような生か死かという場に臨み、またそのような場を何度もくぐり抜けることによって、武術のあるべき姿は必然的に「戦わずして勝つ」という方向へ導かれていったと言えます。そしてそこに「戦わずして勝つ」を裏付ける術技や心のあり方などの極意が生み出されていったと考えます」

こんな教えもあるそうです。

勝ちに三つの勝ちあり
打ち込んで勝つは、下の勝ちなり
勝って打ち込むは、中の勝ちなり
戦わずして勝つは、上の勝ちなり

宇城氏は、これは命をかけて武術をおこなっていた時代ならではの感覚だと書いています。本当にそうですね。そして、武道が命をかけることのないスポーツになったとき、この極限の技も、精神性も、共に失われたと批判しています。

スポーツでは必殺技を使って相手が亡くなると困るので技が衰え、そして命というものに対峙しなくなったところに精神性の衰えもあったということでしょう。これは、動物の命を取る猟師、漁師たちこそ、動物の魂を感じ、その重みを感じられる人であるのと同じだと思います。

ところで空手は、中国の少林寺拳法が元になり、琉球で確立したものです。琉球はハワイと同じように太平洋の軍事拠点であり、小国が生き残るため、600年前に武器を廃棄し、中立国となりました。

武器を失った琉球の人たちの、自分の身を守る手段として「空の手」で戦う術が編み出されたそうです。究極の護身でしょうか。

今日は空手サンデーの2回目でした。自分の中で少しだけ武道について理解でき、すっきりしたので、娘と元気に行く。

それからうさぎさんを爪切りに連れて行き‥‥ゆっくりお風呂に入りました。

実は、明日から私、断食するのです。

初めてです。このところ初めて続きなのですが、受験も終わり春が来るところで、私としては以前からねらっていたこと‥‥。

ヨーガの先生の指導で、1週間。ちょっと聖なる気分です。2005/03/13


空手について考える

お仕事をしながらも、どうしても空手のことが気になります。いろいろなことを考えてしまいます。お腹には腹直筋の存在を感じるし(筋肉痛です)。

ともかく楽しかった。したことない、考えてもみなかった動きの体験。ともかくあたたかな方たちだっので、初めての人には楽しさを感じさせてくれた面もあると思うけれど。

と同時に、自分の中で、空手とただの暴力の間に線を引く作業をしています。こんなことを言うなんて、空手を真面目にしている方たちは「礼」をとても大切にしているわけですからとんでもない失礼です。

でも、こんなところまで徹底的な初心者なのです。取っ組み合いの喧嘩などしたことがない一般的な女は、こういうこともわからない。平たい言葉で言えば「私、ぶっちゃったよ。それで、楽しく感じた」と思って、自分のどこかがオロオロしている状態。

私、ヨーガの本をたくさん読みましたが、ヨーガの基本には「禁戒」というのがあり、その筆頭が「非暴力(アヒンサー)」です。どんな本にも、サイトにも当たり前のように書いてあります。

しかし、私にはこれがよくわからず、「ものすごく大事なことらしいが、当たり前じゃん。読みとばしちゃおう」というおはずかしい状態でした。

しかし思うに、ヨーガの成立を考えると、インドのヨーガはヒンドゥー教の一部であり、男性社会。ヨーガは本来男性文化なのです。経済的に恵まれない人もたくさんいるはずですし、暴力を抑えることが切実な場面もあるだろう、と初めて気がつきました。

また連想は飛びます。

ヨーガの日本版とも言うべき「禅」。これは、戦争を生業とする武士のものでした。武士たちは、何を求めて座ったのでしょうか?

そこには、暴力を武道へ転じていくプロセスが、今、私がとても知りたいプロセスがあるはずです。

今日はまだこんなことしか考えられません。ただ言えるのは、人を傷つけ得る自分もいることに気づいて、初めて「人を傷つけてはいけない」ということの重みがわかったということ。2005/03/08


空手に入門

3月はじめの日曜日である本日、私、空手に入門しました。気がついたら入門していたんです。

やりたいことだらけの下の娘が「ケンポーやりたい」と言い出したのは1ヶ月ほど前のこと。ケンポーというのは少林寺拳法のことらしく、しかし要は武道をしたいということらしかった。それで私が近所を調べて選んだのが、某有名お不動さんの境内を練習所とし、最高師範をそのお不動さんの貫主とする空手同好会です。

ここに誘い上手な師範の方がいらして、「お母さんが一緒だとお子さんが安心しますから後ろに立っているだけでも」なんておっしゃいました。密かに自分もやりたかった私は抵抗できるはずもなし。

素足で境内に入り、上段、中段の突きに蹴り。娘はどうしているやら。もうおかまいなしで、私はすっかり自分が夢中になってしまいました。

ヨガを、たった3ヵ月だけどやってきたおかげで「動くぞー」という気持ちが芽生えています。以前より柔軟になってきた身体を使ってみるのは楽しい。

しかしヨガと違うのは、相手がいること。型ができていないと「入っちゃうよ」と言われます。「入っちゃう」って、ひょっとして拳がですかあ? ひええ。

でも、「入っちゃう」ぎりぎりの位置で突かせてもらったり蹴らせてもらったりする練習などは、相手との信頼関係を感じました。ねらうのは、相手のみぞおちと、あご。こういう、身体を張ってのコミュニケーションは格闘技の魅力かもしれません。

グローブをつけたボクシングのような練習もあります。黒帯をした高校生の男の子が、フックとアッパーとボディブローを教えてくれました。

「どんどん来ていいですよ」と打たせてくれます。私は教わったとおり、身体をねじり、上半身全体で息子と同い年くらいの男の子をボカボカ殴ってしまったのですが、これはかなり衝撃的体験でした。いくら相手が万全に防御しているとはいえ、私、ひとを真面目に殴ったのは生まれて初めてですから。

男性は小さい時から、そういう遊びをしてくるのに、女の子はめったにしませんね。なんでしてこなかったんだろう?

帰ってから私も娘も「楽しかった〜」という言葉が止まりませんでした。女の子に格闘技、おすすめです。実は今日入門したところも、小学生を見ると断然女の子優位でした。

明日の朝、私は新しい道着を2着干してご機嫌なことでしょう。2005/03/06


ペーター佐藤風

こどもの受験のことを洗いざらい書いてることを、娘は気づいていません、ふふふ。

さてさて。彼女は憧れていた学科は落としてしまったのでした。軽い喪失体験だったんでしょうか。ほかの学科は入ったのに、その数字を見ても何にも感覚がなかったそうです。はじめの大学では、行きたい大学でなくてもあんなにうれしかったのにね。

ムサピでもおいでと言ってくれたのですが、結局今は、行き場を定めるのに迷っています。入学手続き期限までまだあと数日です。

迷いながら彼女は、何をしているかというと、母にチャッカリ働かされました。まずはAll About「出産医療・産院選び」のインフルエンザ予防注射の記事で注射器を描かされました。

それから息つく間もなく、もうすぐアップの「ジュニア・リボーン せいりなんでもトーク」のイラストを描かされました。

この企画の担当であるREBORN三好からもらったリクエストは「ペーター佐藤風がいいな」。おー。こういう修行は大切ですね。ドーナツ食べたくなりますけど(ペーター佐藤さんは、ミスドの箱の絵を描いている方です)。

人物は3人描いたのですが、右の女の子がちょっとはペーター佐藤になったかな?で、娘が出来上がった絵をスキャンしていたら、その時‥‥

「なんか来たよ、宮下さんから来たよ」REBORNの宮下真沙美画伯から、美しい農家の縁側のイラストがメールボックスに入稿されてきました。今日まもなくアップされるREBORNの新コンテンツ「わたしがお産でうれしかったこと、つらかったこと」のページに使われたものです。

「きれーい‥‥」ふたりで画面一杯サイズの絵を拝見し、しばし、農家のお庭に夢見心地で心遊ばせました。ちゅん‥ちゅん‥ちゅん!(心の中に響いたスズメの声)2005/03/01


春の雪

きょうは暖かかったのに、夜遅くになって急に雪が降り始め、積もり始めています。真っ暗な夜の庭にどんどん積もっていく真っ白な雪。

春、冬、春‥‥と季節が振れる毎日です。そして心も、明日の本命合格発表について「どっち、どっち?!」と思うとふたつの予想、ふたつの感情の間で大きく振れています。

今日は予備校で(美大の予備校は研究所と言いますが)お掃除があったそうです。久しぶりに集合した同じ思いの仲間と過ごして楽しかったらしい。一年間がんばった場所をお清めして結果を待つのでしょうか。

行ける大学はできたのでみんなに「よかったね」と言ってもらいながら、彼女の心は想いを寄せてきた多摩美のグラフィック学科というところへ一途に寄っているのです。

彼女がこの学科に密かに想いを持ったのは実はとても早く、中学の終わりでした。親としては、学校の入学は人生の目標にはならないけれど、ともかく何か目標のある青春はよいだろう!と思って応援してきました。

もともとのんびりした子なのでガリガリに勉強したとは言えませんが、この子なりにとてもがんばっていたと思います。受かっていたら、いいな。ああ、行かせてあげたいな。

でも実はここはデザイン系の子たちみんながいっちばん行きたがる難関なのです。

この試験に送り出したとき、私は、少し子離れしました。送っていって車から彼女を降ろしたとき、私は不覚にも泣けてきてしまいました。親子って、これだけ子供が大きくなっても、こんな時間が持てるんですよ。すごいよね。

未開社会でも、成人儀式では、子供に困難な体験をさせます。それと同じだと思います。「矢が折れても、槍が折れても、行っておいで」と思いました。

雪、まだまだ降ってます‥‥。

2005/02/24


娘の大学受験

日記がお留守になってしまいましたが、ハズカシながらその理由に娘の受験があります。ふだんも、それから去年の受験の時も(一浪受験です)ほうりっぱなしのバタバタ親である私は、今年の2月は思い切り主婦してみようと、ずっと前から決めていたのです。
ひとつ前の日記に出てきた大学は、受かってくれました。きょうびは、合格発表はネットで見られるんですよ。夕ご飯を作っていたら「わーーーい!」と娘が喜びながら降りてきました。「えーっ、よくもひとりで見たな〜!ずる〜い」が母の言葉でした。
娘は美大受験をしています。芸大は受けませんが、他の、全国のアート系の若者がねらうような激戦区をやっています。最近「手に職を」指向なのか本当にこの世界は厳しく、倍率は20倍を超えるところも。
あなただったら、そんな受験の日のお弁当箱には何を詰めますか?考えちゃいますよ。保育園の遠足弁当も考えましたが、必勝弁当もね、なかなかです。私は結局、ひじき煮、梅干しは欠かさないといった雰囲気の正当派和風のバリエーションになります。
予備校の先生は「弁当が多いと眠気が来るからちょびっとにしろ」と言ったそうです。それで、親は一生懸命、ごはんをフワ〜ンと空気入りに盛ったりします。「○○ちゃん、ポッキー2本だったよ」という話も入りましたが、そりゃ、ちょっと厳しかったかもしれない。
美大受験というのはマラソンみたいなもので、1学科の実技だけに2日かかったりします。テーマは「健康」、もう、これしかありません。早寝、早起き。おいしいご飯に、こぎれいなお部屋。
「おいしいなー、受験っていいなー」「うちじゃないみたいだねえ」と、喜ぶ家族ども。まあ、今のうちなので、普通の家庭を満喫しましょ。
<写真>美大受験生に特異な行動、大量の鉛筆削り。うちの子はこれを、15年くらい前に買ってもらったCRAYOLAクレヨンの大缶に入れて持ち運んでいます。かつてこの箱には、CRAYOLAのビンテージ色がいっぱい入っていました。<>2005/02/17