ノエル・ヌエットさんの絵

箱根のクラシック・ホテル「富士屋ホテル」を久しぶりに訪ねたところ、ノエル・ヌエットさんの絵が今も飾られていました。日付によると、ちょうど81年前の今日、描き終えたもののようです。

戦前の東京外語(現在の東京外国語大学)でフランス語を教えながら随筆や詩も書いていたヌエットさんは、私が二十歳で死別した父の恩師です。江戸の面影を残す東京の絵も多数残していて、都内で展覧会が開かれたこともありました。わが家にも、ふんわりと雪が積もってしいんと静まり返ったお濠を描いた絵が一枚あります。

この絵に描かれたホテルの建物と山並みは、今なお時が止まったように当時のまんまです。けだるい8月の終わりの空気も、きっと同じようだったことでしょう。

ただ絵の細部を見るとホテルの前の国道一号線は人が道の真ん中をのんびり歩いていて、一台だけ描かれた車はとてもクラシック。服装もまさに30年代です。

やはり、ここにとどめられている時間は遠い遠い昔のことなのでした。当時の父の年齢を計算してみると21歳でした。まさにこの絵が描かれた頃、忍び寄る戦争の影を感じながらも大学があった神保町で夢の最後を楽しんでいたと思われます。

山は変わらないけれど、ひとはうつろうもの。戦争があって、ヌエットさんは帰国し故郷で眠っています。父も三十年以上前に他界し、ホテルも経営者が何度も変わっています。それなのに、絵が引き継がれているのはとてもありがたいこと。

またいつか、この絵に、ここで会えますように。

2017年8月28日


フランスの子育てのヒントを日本に生かすには

高崎順子さん講演「フランスの子育てのヒントを日本に生かすには」(育児情報誌miku主催 @筑波大学 東京キャンパス)は、あっというまに満席となったことが残念でしたが、来ていただいた方は懇親会まであって親密な雰囲気のうちに終了。

フランスの家庭政策が豊かな財源とシャープな政策ですばらしいらしいことは誰もが知るところですが、その具体的なところはなかなか知る機会がありませんでした。高崎さんという取材して書ける方がパリで子育てをされていて、かつ新潮新書『フランスはどう少子化を克服したか』の上梓などで日本への情報発信に燃えておられることは、しみじみすごい幸運だと思われるのです。

しかし、お話を聞けば聞くほど、何かが根底から違うという感覚がつのったりもしました。
高崎さんのまとめるところによると、それはふたつ。

ひとつは、フランスは子育てを大変なことと考えていて、親だからできて当たり前と考えていないということ。

産んだから子育てができて当たり前ではなく、産んだ人が親になることを教育・準備の機会を提供することで応援し、その後も親であり続けられるように図っていく必要があると考えられていること。

親を過信ししていないということでしょう。現実的です。

親への経済的支援や無償教育については、あまり時間がとれなかったので、それはまたの機会にもっとご紹介いただければと期待します。財源は国の税金だけではなく企業の出資によるファンドのようなものがあるようで、これをいかに維持できるかはマクロン首相の課題のようです。

しかし、もちろん国家予算の使い方はすさまじく、医療費を除いた6歳以下の子どもへの公的支出は4兆176億円と日本の0.7兆円の約6倍。会場から、そんなに子供にお金を使って老人は怒らないのかという質問が出て興味深かったのですが、フランスではそれは比較の対象になっていないとのこと。子育ての費用は聖域化しているようでその二者の「取り合い」という構図はないというのが高崎さんの回答でした。

では日本ではなぜ子ども対老人の対立論となりがちなのか。

高崎さんからは、日本では子どもと老人が生産年齢人口からはっきり区別されているので(二大お荷物という感じ?)、比較されやすいのではないかという指摘がありました。

私は、日本ではたまたま少子化、高齢化の急激な進行が同時期に開始したこと、それから、フランスは、子育て支援は福祉とは区別されており、お金をかければその分、国の利益となって国に帰ってくるもの=確実にペイするもの、という理解ができていることがその違いを生んでいるのではないかと考えます。

少子化問題については、日本の育児の大変さを身に染みて知る者として、出産ジャーナリストと名乗っている者として黙ってはおれず、私も助産師さん向けの雑誌に一年ばかり記事を連載したことがあります。

しかし取材してみて、そのあまりに情けなく悲しい歩みに私は呆然とし、思わずこの問題に継続的に取り組むエネルギーを失ってしまっておりました。なぜ、日本の政策はフツウの親たちの切実な声が反映されないのだろうと・・・夫婦にできることと言えば産まないことだけではないかと。

でも高崎さんの登場で、新しいエネルギーが湧いて来た気がします。

2017年8月24日


ここでどんなドラマが始まるのか?

ブルーバックス『不妊治療を考えたら読む本』の共著者・浅田先生のクリニックは名古屋にあるのですが、来春、東京にやってきます。夢と希望と緊張を胸に、まだ何もないフロアを関係者の方々と歩きました。

ものすごい広さです!

不妊治療の医療施設は「西高東低」だということはあまり知られいません。必ずしも東京が中心ではなく、全体的に見ると西日本の方が層が厚いのです。

しかしリニア新幹線の時代も目の前。これからは地図も変わっていくのかもしれません。

2017年8月21日


研究機関の遺構「桑ハウス」

私が住む日野市には、今はスポーツ公園や森になっている場所にかつて日本の近代化を支えた養蚕の国立研究機関があり、その広さは施設群だけで9ヘクタールもあったそうです。
このほど、残されたただ一棟の蚕室「桑ハウス」(愛称)が国の有形文化財に登録されました。

市のアートフェスティバルに使われて特別に中が見られた先日、中に入って、保存プロジェクトにかかわって来た建築家の方の説明を聞きました。

中に入ると壁から天井まですべてが白い漆喰。あたたたかい!梁にはミニマムな装飾カーブ。窓の木枠。電灯もなく薄暗い中で、そのモダン建築ぶりが、じわじわと見えてきました。

右手ドアの奥は長い廊下が一直線に伸び、蚕がさわさわと桑を食んでいたであろう蚕室が続きます。かつて蚕室と廊下の間には大きな障子戸があり、冬場をしのぐ暖房はレンガ造りの囲炉裏だったとか。最近、消防署から偶然発見されたという設計図も見られましたが、文字の一字一字もデザインされていてびっくりしました。

中心になっていた建物は、門柱や玄関の遺構だけが残っています。まるで誰かが植えたかのように、そこには大きな桜の木が生えていました。

ここがいつか修繕され、もしもギャラリーなどになったら・・・緑の中で時間や命を感じるような写真展をしてみたいと妄想しました。実は私としては生涯初の、展示なるものをしてみたいという衝動です。

長らく活動されてきた「仲田の森遺産発見プロジェクト」の皆さんの努力に敬意を表し感謝申し上げます。駅前に大型ショッピングセンターを作ることも大切なのかもしれませんが、人の心をとらえる町づくりとは何かなど、プロジェクトから教えられることもたくさん。

仲田の森遺産発見プロジェクト
こちらから

2017年8月21日


大ラジカセ展

誘ってくれた授乳服メーカー「モーハウス」社長の光畑さんに感謝、とても面白かった!会場は50代、60代の男性が9割くらいだったでしょうか?!私も今をさかのぼること半世紀近く前、音楽のことでいつも頭がいっぱいの中学生をやっていました。まさに、この「体験コーナー」の世代なのです。

私がこの展覧会に長居してしまったのは、そうした「過去」の現象も本気で編集し、魅力的な入り口、曲がり角、出口を作って構成すれば、立派なエンタテイメントになるのだということをわかりやすく見せていただけたからです。その土台に、作り上げた方たちの並々ならぬ現在進行形の愛情があることも、展覧会を人間味にあふれたものにしていました。

同時代を生きていたからといって、自分は現象のほんの一部しか気づいていなかったこともよくわかりました。

ラジカセは最初はラジオとカセットテープレコーダーの合体した可愛い家電でしたが、それはやがて複合化が限りなく進んでいったようです。こんな面白いタイプはまったく記憶にないのですが、マニアの方たちにはお宝なのでしょうか。

私はなぜか小さなアナログ時計がとても好きなので、これも大変気になりました。

ラジカセは末期には巨大化し、海の向こうで最後の輝きを見せました。

帰宅後。

ふと、夫の部屋で、ラジカセを発見。

意外と身近なところに、ラジカセファンが隠れていたのでした。
そばに夫が約40年前に録っていたというテープがあったので、居間にもっていって、最後までゆっくり聞いてしまいました。ジャズ評論の第一人者・油井正一さんの番組を「エアチェック」したものでした。

人々は今あふれる聞き放題音源の洪水の中で泳いでいて、私もその中のひとりです。でも時々思うのは、私が音楽について一番欲しいのは曲の数ではなく、曲にゆっくり耳を傾けて聞く「時間」なのではないかと。

持てるものすべてを駆使して探し出し、耳で選り抜いた音源を次々とかける油井さんの実に嬉しそうなこと。その声を聞いていると、私たちはホントに豊かになっているんだろうかといういつもの問いが頭をもたげてきました。

ラジカセ展を見た日は、その足でロック・フォトグラファーのボブ・グルーエンの写真展にも行きました。こちらについても書きたいことがたくさんあります。また後日に。

展覧会について、大収穫な週末でした。

「大ラジカセ展」についてはこちらから

2017年8月8日


京都と奈良で、連続講演

最初は、7月22日の出産政策ケア会議@京都・佛教大学。

助産師の再発見にまつわる、私が身近に経験してきた重要な出来事についてお話ししてから、晩産化の厳しい現実についてお話ししました。

時代が変わって医療を必要とする妊娠が増えました。でも、かつての「医療VS.自然」という二項対立に縛られなければその本来在る役割は変わらないはずなのです。

Birth for the Future(BFF)研究会と全国から月一で参集される研修生の皆さんの熱意に敬意を表します。今後も出来る限りのご協力をしたいと思います。

その日の午後は奈良県母性衛生学会の特別講演で「不妊・高齢出産を取材した私が、今、出産施設に望むこと」というお話をさせていただきました。

助産師さんたちは不妊など「産みたくても産めない状況」に関心を寄せてくださる方は、実は多くありません。分野が違うと勘違いなさっている方もいますし、助産教育も、妊娠した後についてのカリキュラムの消化が大変で、なかなか妊娠前のことを学ぶ機会はないとお聞きしています。ですから今回は、本当にうれしい機会となりました。

司会をしてくださった小林教授が「現代は医療のことだけを考えていてはだめだ」という意味のことを会場の若い人たちに繰り返し言い聞かせていたのも強く印象に残っています。「社会的リスク」という言葉も生まれている時代。その人を医学的にみるだけではなく人として支えていくには、妊娠の「前」も、産んだ「あと」も含めた勉強をしなさい、という意味だったのではないでしょうか。

夜は奈良県立医大の先生方と、奈良のお酒「春鹿」で打ち上げをご一緒させていただきました。こちらの大学は実は附属病院で夫が生まれています。「パートナーを無事誕生させていただき、ありがとうございました!」とお礼を申し上げたい病院なのです。

学会の翌朝は夫の実家へ立ち寄ってご近所のゴウヤ、キュウリ等もらい、次は義妹宅に上がっておしゃべりしていたらあっという間にお昼に。

午後は高橋律子さんの助産院カンガルーホームへ行きました。こちらでは、律子さんのお手製のお昼ご飯をいただいてから、「はっぴぃ明日」というグループの助産師さんたちに会を開いていただきました。こちらでは出産政策ケア会議と同様のお話をさせていただき、畳の上のとても和やかな半日となりました。

時代はどんどん動いていきます。

妊娠に「正常」「異常」の線引きをせず、すべての妊娠において活躍していただきたいということが、私が今の助産師さんたちに望むことです。

2017年7月26日


父親を主人公にした動画を作りました

6月18日(土)は父の日。
わが子を迎える男性たちのスライドショーを作ったところ、3日間でFacebookでの再生が一万回を超えました。

初めてのお子さんを迎えるパパ、帝王切開に立ち会うパパ、3人目のお子さんを迎えるベテランパパなど5人のお父さんに登場していただいています。

命生まれる場から(1) 父の日メッセージ Father's Day Message

ずっと、ずっとこんな動画を作りたいと思って来ました。お産をたくさん見ていると、男性が、外で会ったらわからないかと思うほど特別な顔をしているから。

巷では「育児の負担を女性にだけ押しつけてはいけないから、男性も育児に協力しよう」とよく言われていますが、そんな言葉より、お父さんには妻と共に子どもを迎える悦びを。その時、一緒にいる「時間」を。

そうすれば、男性も赤ちゃんにさわりたくてしかたがなくなります。それが夫婦を形成して育児をするヒトという種の本能であり、女性への「協力」なんぞではなく、男性の自然で主体的な行動です。

撮影にご協力いただいた中村さん、根津さん、東さん、上田さん、白須さんご一家、ファン助産院、長良医療センター、府中の森土屋産婦人科の皆さま、そして日本が世界に誇るスラックキーギターの名手、山内アラニ雄喜さんに心より感謝申し上げます。

you tubeにアップしてありますので、どなたも手軽にご覧いただけます。

🔷命の生まれる場から(1) 父の日メッセージ Father’s Day Message~  こちらから

🔷この動画を使って書いた「東洋経済オンライン」の記事は、こちらからです。

2017年6月14日


小説デビューした件

突然ですが。小説デビューしました。

「私たちのD-syndromeベイビー」という短編小説で、発売されたばかりの『小説現代』(講談社)6月号に掲載されています。出生前診断をテーマにした小説は世界的にも珍しいと思います。

出生前診断というと日本では「命の選別」という言葉が盛んに使われ、今や是非論のバトルが高校の授業で行われています。でも私は、この小説で、女性に「心の導くようにしてもいい」と伝えたいと思いました。ここでは二人の女性が出てきて違う決断をしますが、二人の心は結ばれています。

それにしてもまさか小説を書くとことになるとは・・・。最初はエッセイのお仕事で声をかけていただいたのです。でも、今まで書いて来たエッセイをいくつかお見せしたところ、突然このようなご依頼をいただきました。

編集長に指示されたと電話をしてこられた担当編集者さんも、電話口で「人生何が起きるかわかりません」と言っておりました。

構想を手探りで練ること2か月。そしてゴールディウィークに入るとすべてを投げ出してこれに集中し、お休みを全部使って一気に書きました。

ずっと前から、小説が書けたらなあということを思ってはいたのです。橋本治さん、天童荒太さんなど、小説家の方が私の本を参考文献に掲げることは少なからずありました。

そして、何といっても、人は昔々から、お話や絵巻やお芝居という形で共感し、感情を豊かに働かせながら、知識も考え方も共有してきたと思うのです。もっとたくさんの人に妊娠のことを知ったり感じたりしてもらえれば、という気持ちから、今回の仕事をお引き受けしました。

この作品は一気に書いたシンプルなものですが、ここには、『未妊――「産む」と決められない』以来、高齢妊娠を10年余り取材してきて私が自分の胸に落としてきたことが、ぎっしりと、自然に入ったような気がします。出生前診断だけではなく、生殖医療も出てきます。

テレビドラマ化された「ノーフォールト」(早川書房)などの小説で知られる岡井崇先生(愛育病院院長)に先日ご報告したら、すぐに「楽しいでしょう!」と言われました。本当にそのとおり。ですので、第二作にもチャレンジしたいと思っています。

このようなご縁をいただいたのは甘糟りり子さんの新刊プロモーションのお手伝いがきっかけでした。甘糟さんに、この場を借りて感謝申し上げます。そして水戸川真由美さん、青木恵美子さん、松原未知さんをはじめとする取材にお力添えいただいた方々に心よりお礼申し上げます。

そして、このお話は、地下には女性同士の友情が流れています。それも私にとってはとても重要なテーマです。

私は、妊娠・出産については違う結果、違う決断になったとしても、女性どうしは必ず共感し合い、つながり続けることができると思っています。

私はそんな素敵な友情で結ばれつつ、とても大変な妊娠を乗り越えた二人のお母さんに、まさに昨年の今日お会いして、忘れられない写真撮影をさせていただきました。お名前は挙げないでおきますが、この小説が生まれた背景にはこのお二人の存在があることも、ここに記しておきたいと思います。

小説現代のホームページはこちら
http://shousetsu-gendai.kodansha.co.jp/

Amazonはこちらです。
https://www.amazon.co.jp/小説現代-2017年-06-月号-雑誌/dp/B06XZ9V8R9/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1495510353&sr=1-1

私の、ここにひとつ増えた新チャンネルを、何卒よろしくお願い申し上げます。

2017年5月23日


自然出産の縁の下を支える

府中の森・土屋産婦人科を夜明けに出て、誰もいない桜並木で、三分咲きのさくらをながめてから帰りました。

先日、骨盤位経腟分娩の撮影をさせていだいたときのことです。

骨盤位は、逆子のこと。頭から生まれるのがお産の基本形ですが、逆子の子はお尻や時にはそのほかの部位、例えば足などからの小さい部分から生まれてきて、頭が出にくくなってしまうことがあります。そのため、現在、骨盤位の子は多くが帝王切開です。しかし土屋産婦人科では、安全性が高いと思われるケースでは、経腟出産を選択することができます。

今回撮らせていただいたのは、頭の次に大きい部位であるお尻から生まれる、一番生まれやすい逆子だった赤ちゃんの出産です。妊婦さんの東洋美さんと私はファン助産院で出会い、助産院で撮影にご協力いただく予定だったのですが、この逆子が理由で、連携医療機関である土屋産婦人科へ転院しました。

土屋産婦人科では特に問題がなければ分娩台も使わず出産できますが、逆子の出産は、しっかりと医療処置の行える分娩室でおこなわれます。骨盤位経腟分娩は、決して単に下から産むだけではありません。状況を細かく観察しながら万が一の事態を遠ざけるための手を次々に行っていく、経験と技術を必要とする医療です。

幸い東さんのお産は、実にスムーズでした。子宮口が開くまでは一時期陣痛が遠いたりして長かったのですが、全開後、赤ちゃんが入っている袋を針で突き、クッションになっていた羊水を抜いて陣痛促進剤の投与量も増やすと、一気に陣痛が強くなりました。最後は東さんもまったく違う陣痛が来たことがはっきりとわかって、「がんばれ」と声を出して大きな波に挑みました(あとでお聞きしたところ、この「がんばれ」は赤ちゃんに声をかけていたそうです)。

やがて、赤ちゃんのお尻が出てきました。足が全部出たところで土屋先生が赤ちゃんの腰をとらえ、そこからは大変慎重に、どこにも無理がないようにすうっと引いていくと、すんなり頭が生まれました。

東さんは会陰切開もなく、まったくの無傷で元気な赤ちゃんを抱くことができました。

「今回はうまくいったでしょう。いつもそう行くとは限らない」と、ここで言うことは簡単です。そうした言葉を、私は山のように聞いてきました。そして、それは、実際そのとおりではあるのです。でも、現実にまったく無傷のお母さんをまのあたりにして、私は、複雑な気持ちになりました。

骨盤位経腟分娩は帝王切開をしないことではなく、ひとつの「技術」だということがよくわかったからです。

でも、帝王切開の安全性が高くなった今、その技術を使える産科医は減っています。それは若い医師が学ぶ場がないことを示し、まもなく、安全なタイプの逆子でも、女性は必ず開腹手術を受けなければいけなくなることを意味します。

土屋先生は、助産院のバックアップをおこなっていることでも知られています。そこにも、骨盤位経腟分娩を続けていらっしゃることに相通じる何かがあるのでしょう。

骨盤位の経腟分娩も、助産院のバックアップも「縁の下の力持ち」的な、影から、自然なお産を支える仕事だと思います。労多くして・・・というところもあるかもしれません。でも、土屋先生には、お産の医療はつつましくあるべきで、かつ介助は助産師が中心であるべきだという確固とした哲学があります。

土屋産婦人科のサイトにある「院長の図書室」の「夫・父・男は何をすべきか」を見ると土屋先生は、父親の役割について母親との違いを理解することや距離感が大切なのだと述べて、それを「ちょっとしたハードボイルドなのです」と書いています。つまり、自然出産とは、ハードボイルドの美学を理解する医師によって支えられているものだということです。

写真はお誕生のあと、ご家族が助産師さんと喜び合っているとき、黙して経過観察を続けている土屋先生。

※分娩経過は私の目から見たものです。

2017年4月4日


ムクの木の身体

冬至の頃に早朝歩き始めたコースから神社が見えていて、朝がだいぶ明るくなってきたので初めてお詣りしました。樹齢三百年のムクの木。根元から見上げるとまるで人体のようだ。年老いてなお元気な方の身体に入ったら、こんな感じなんだろうか。

2017年3月2日