2月は大好きな月

きょうは『日経ウーマン』の方々がこの多摩くんだりまでいらして、取材をしてくださいました。去年あたりから、仕事を楽しむ女性たちの雑誌が時折出産の特集を組むようになっています。

おじさんたちは、キャリアを積んでいくタイプの女性が「子ども?関係ない」と言っているかのようなイメージを持っているようですが、私はそんなことはないと思っています。多くの人は産まない人ではなく、先送りしている人なのではないでしょうか。

今回の特集でもアンケートの結果発表があり、子どもへの感心の高さがばっちり表出しているようです。楽しみです。

取材が終わってすぐ携帯が鳴ります。大学受験の初日が終わった娘からです。「どうだった?!」「直前に見ていたところが出たよ、びっくり」

駅付近で会い、この町で一番お気に入りのおそば屋さんへ行って二人でお昼しました。こんなことをふたりでするのは、ひょっとしたら数年ぶり?と思うくらい久しぶりのこと。受験生は常にせわしかったわけですが、ここに来て俎上の鯉となり、落ち着いた時間となったのです。

いいお天気。

2月は一番寒いけれど、日差しには早春が感じられる大好きな月。

2005/02/01


混合病棟と院内感染

混合病棟と院内感染この週末は誠にあっという間に過ぎてしまいました。土曜日は(社)日本助産師会の混合病棟をテーマにしたシンポジウムに行き「女性にとっての混合病棟」ということで20分話させて頂きました。

病院の混合化は急速に進んでいて、婦人科ばかりか今や、内科、小児科、整形外科、耳鼻科など多岐に渡ります。きょうだいがお母さんや赤ちゃんと面会することを禁止している病院も多いというのに、なぜか小児科との混合もけっこうあるようです。

こうした中で、一番心配なのは院内感染。そんな心配から、感染に弱い新生児は新生児室に隔離される傾向もあると聞きます。

その中で、この日、新生児科医・北島博之先生の発表はとても興味深いものでした。それは、新生児を感染から守るために大切なのは、母親と早く十分に接触して、母親の常在菌を赤ちゃんにくっつけることだというのです。常在菌がたくさんいれば、そのあとで病院の中にいる耐性菌がやってきても、すでにいる常在菌との生存競争に負けるので感染しにくくなる、というのです。

この場合、母親の菌であることが大切なのです。医療者が持っている菌は、抗生物質や消毒を多用する世界を生き延びてきた強い菌であることがあり、それは赤ちゃんに優しい菌ではないのです。

ずっと以前ですが、水中出産で有名なフランスの産科医のミッシェル・オダンが「病院出産が少なくなるとしたらそれは感染という観点からであろう」、と話していたことを思い出しました。

今、それは、少子化→混合病棟という流れの中で、現実化していくのかもしれません。

この、菌は、菌をもって制すという考えは、これからうんと広がっていくべきだと思いました。‥‥で、北島先生にさっそく取材のお申し込みをして別れました。

日曜日は、ついに念願の『メルマガREBORN』を発行。

初回発行の今日は、総計845名の方にお送りさせて頂きました。もしもおじゃまでなければ、そんなにたくさん発行しません(したいけれど、できない‥‥)ので、とってやってくださるとうれしいです。

2005/01/30


『妊婦の「ぷ」』制作現場を訪ねる

12まんが少女の娘(8歳)にとり、かねてよりの夢は「漫画家のせんせいの仕事場をおたずねしたい」。『JUDY』(小学館)に「妊婦の「ぷ」」連載中のREBORNスタッフ・宮下真沙美にそんな話をしたら、なんと「じゃあ、次にアシスタントさんが入るのは月末だから、来て下さい」というお返事が。

それで本当に今日の夕方、私は娘を宮下さんのお仕事場に入れていただいたのでした。

女性アシスタントさん3名とペン入れを進める宮下さん。「質問があったら、何でも聞いていいよ」ともかく優しいみなさま。漫画を愛する人って、こんなに優しいの?何で?と考えれば、やっばり好きな仕事をしているからでしょうね。

皆さん、本当に漫画が好きでやっているのが仕事場の空気から伝わってきます。「15歳で初投稿しました」という、ご自分も少女まんがから抜け出してきたようなアシスタントのMさん。子どものころから一筋に漫画へ思いを寄せてきたそうです。

娘は自由帳に書きためた絵を見てもらったり、目や髪の描き方を教えてもらったりして、ものすごいウレシイひとときを体験させてもらいました。この年齢でこんな所にいれてもらうなんて。うらやましいぞっ。ちょっと贅沢すぎる社会科見学デーでした。Thank you,宮下さん。

<写真>無心にペンを走らせる宮下真沙美です。
仕事している人の顔って、いいなあ。

2005/01/28


鎌倉の若宮大路で

最近日記が書けないのは、うさぎが居間を散歩中にインターネット・ケーブルをかじってしまって、仕事部屋でしかネットができなくなっているからです。早く新しくしなければ。

今日は昼は埼玉で体外授精の取材をして、夜は湘南で打ち合わせがありました。真ん中に空白地帯が→しっかり鎌倉駅に降り観光気分で鶴岡八幡宮まで歩いてみました。本宮から由比ヶ浜へまっすぐ伸びる若宮大路をまっすぐ下ってみると、ものすごい気持ち良さです。さすがに、太い「気」の通り道という感じがいたします。

お宮がある。道がある。海がある。ということを思うと、お産人の私はつい、これを子宮、産道、産みへと瞬間的におきかえてしまったりします。いつも私の頭の中はこんなです。なに、助産師さんもたいていはこんな頭に違いありますまい。

駅のスタンドで夕刊の一面記事が2紙目につき、買って帰りました。
・毎日新聞「体外受精児延べ10万人 新生児100人に1人 補助制度でさらに増加も」
・東京新聞「晩婚化は世界的現象 初婚年齢20年で2歳延びる 国連調査」

2005/01/27


ICレコーダーを初使用

ICレコーダーを初使用今日はお昼はREBORNの新年会で、池袋のマレーチャンというお店でマレーシア料理を食べました。新しいスタッフになる新堀さん、オリーブデザインの浅野夫婦も他のスタッフと顔合わせができてホントに今日はよかったです。浅野さん、新堀さん、白井が子連れでみんな一歳前後。とってもかわいかった。

午後は妊娠中の感染症について取材に出かける。最近手に入れたICレコーダーをインタビューで初使用。オリンパスのボイス・トレックというシリーズの新しい型ですが、これはなかなかでした。使い勝手も音質も素晴らしい。今まで、ちょっと大きめのMDレコーダーを使っていたのですが。

ものすごく軽いので、帰ってからエプロンのポケットに本体を入れ、イヤホン再生しながらごはんを作りました。人の話というのは、すぐに聞き直すと二倍理解しますね。こんな「復習タイム」を取材後すぐに持つのって、すごくいいかもしれない。

夜ふけ。赤ちゃんについて小学校で授業があるそうで、親は、お誕生のときのことをこどもへのお手紙に書きます。この子が生まれた夜は、家族全員で、お産をしたファン助産院のタタミの部屋で眠りました。思い出して、ひとり、暗くなった居間でじわ〜んと来ています。

2005/01/20


太子堂の家にさようならを言う

今日は特別な日でした。

それは、生まれ育って25歳まで住んでいた世田谷・太子堂の公団住宅から、一面の雪景色を見渡しているという早朝の夢から始まりました。私が育ったこのアパートは、大きな空と、池尻から三軒茶屋までの景色が一望できる丘の上に建っていたのです。ものすごくいいお天気でまぶしい日差しに真っ白な雪が輝いて、それを、19歳の娘が見て「きれーい!」と大喜びしていました。

ところが、その窓の端を見ると、ふと、はしごがかかっているのに気がついたのです。そして、工事の作業をする人の足が降りてきました。

そうだ、もうすぐこのアパートは取り壊されるんだ、と気がついたところで夢から覚めました。そのことは秋頃に聞いていたのです。

目が覚めると、壊されてしまう建物がかわいそうで、今頃、こんな冷たい夜更けにどんなに寂しい思いをして壊されるのを待っているかと思うと、涙があとからあとからあふれました。

生家の取り壊しとは、人にとってどんな意味を持っているのでしょうか。ともかく私は、取り壊しが間近に迫っているに違いないと考え、建物に呼ばれたんだ、と思いました。

それで今日は、夫と母と下の子をつれて、生まれた家にお別れのあいさつをしに行きました。

行くと、真っ青な空をバックに、居住者全員が立ち退いて空っぽになっていたアパートが、まだ建っていてくれました。全部で10棟ある団地なのですが、どこもシーンと静まりかえり、アバートに隣接してそびえていた国立小児病院(壊される前は国立成育医療センターの分院になっていました)まで広大な敷地が更地になっていました。それで空はひときわ大きく、見事に真っ青でした。

住んでいたアパートは団地の中でも特に小さい6戸しかない建物で丘のてっぺんにあり、2階が私のうちでした。私が「これで見納め」と思って別れた引っ越しの時と何も変わらない鉄のドア。触れて「さようなら」を言おうとしても、「ありがとう」の言葉しか心には出てきません。

小さい日に私たち家族を雨風から守ってくれ、やがて私がひとりになり、そこに夫が来て、最初の子どもを抱く日まで‥‥成長のすべてを見ていてくれたことに対する感謝です。そして、今日、私を呼んでくれたことに対する感謝。

生まれ育った町で子どもを育てたい、と思いながら、私は結局遠くへ引っ越してしまいました。

それにはいろいろな理由があって納得しているのだけれど、あなたの家はどこですか、と聞かれたとき、人は誰でも小さいときを過ごした家を「世界でただひとつの家」として思い浮かべるのではないでしょうか。

2005/01/08


すきまヨガ

すきまヨガ9今週前半の私はきちんとデスクにすわり、働き者をしました。もうすぐ『紙REBORN』が出るし、サイトにも新コンテンツをいくつもオリーブデザインへ入稿しました。今号は、新潟県中越地震でREBORNのまわりのネットワークがお手伝いできたという記事を、紙・ウェブの同時掲載にします。そしてAll About Japan出産医療・産院選びも、四半期プランの段取り真っ最中なのです・・・・。

どこかにヨガタイムを入れたいです。あー、ヨガしたい。ヨガしたい。

私は昨今のヨガブームに乗り秋から夢中なのです。でもよくわからないのは「どうやって毎日時間を確保できるか」なんだ。書店には、「3分からのヨガ」といったタイトルが並ぶけれど、手に取ればウソだとしか思えません。忙しい思いをしている人は、どうやって上手にヨガしているの?これがヨガをめぐる最大の謎です。

こんな私は先日アマゾンで”OFFICE YOGA”という洋書を買ってしまいました。イラストも秀逸。コピー機に手をついて前屈しているニューヨーカー風ビジネスマンの絵など、もう大好き。大量コピーを待っている間にやるということかしら?

こういうヨガを私は「すきまヨガ」と密かに名付けました。こういうのって邪道なのかな。そんなことないですよね。バタバタ人間にもヨガを愛させてほしい。だって、好きなんですもの。

2005/01/19


朋ちゃんのこと

先週は、5年前から闘病生活を続けていたREBORNのスタッフが亡くなってしまいました。このサイトを立ち上げる準備をしているころには元気で、「最近、ホームページを作る勉強をしている」と話していた朋ちゃん。

いいお産の日の「癒しの部屋」まとめ役としても、活躍していました。前向きでいつも意欲一杯、優しくて、でも意志の強かった朋ちゃん。

それで、彼女をよく知る古手のスタッフには特に、先週は悲しい週でした。告別式には、REBORNやいいお産の日の関係者がたくさん集まりました。三宅さんが、『紙REBORN』11号とREBORNがやっている「お産のおなべ」というメーリングリストに悼む言葉を書きました。

彼女が確かにREBORNにいて、お産や子育てのことに情熱を燃やしていたことを、私たちはいつまでも忘れることはありません。

2005/01/16


金子みすず展へ

本当は年末に行くつもりだった金子みすず展へ、やっと行きました。この展覧会は銀座の松屋で開かれていますが、遺稿の3冊の手書きの詩集の現物が展示されています。1ページでいいから中が見たい、と思いましたが、中は、写真でしか見られません。そのかわり、たくさんの詩を、みすず直筆の字で読むことができます。

みすずは「まどみちおの憧れの詩人」といったら一番たくさんの人にわかるかもしれません。大正デモクラシーの時期に西条八十に認められて世に出ましたが、不幸な結婚をし、子供を前夫が引き取りに来る前日の夜、26歳で自らの命を絶ちました。

私にとって金子みすずは、はじめ、子供の感性を神秘的なほど持ち続けた人として惹かれましたが、しだいに、宮沢賢治のような、仏教の詩人だと思うようになっています。

みすずは、山口県の仙崎という、古くは捕鯨をしていた漁師町の岬にある商店街で、本や文房具を売る店の子として育ちました。今回の展覧会では、その商店街の古い絵地図が展示されていて、これは、みすずが生きていた世界をまことに彷彿とさせてくれました。詩に出てくる場所が、絵地図の上でわかるのです。

たとえば「うちのだりあが咲いた日に、酒屋のクロが死にました。」で始まる「犬」という詩があるのですが、酒屋さんはおとなりだったようです。

私は前からみすずと仏教の関係が知りたかったのですが、それも、その絵地図にありました。商店街のはずれは、大きなお寺でした。その西円寺という名のお寺は、安永の昔(18世紀)、「小児念仏会(しょうにねんぶつえ)」という日曜学校を世界に先駆けて始めたところだそうです。みすずが小さいころも、この日曜学校は盛んにおこなわれていたそうです。漁師町ではもともと、殺生への意識が鋭敏で、仏教信仰が盛んだったそうです。

みすずは故郷の影響を非常に強く受け、故郷を描いたといってもいいくらいの詩人です。そこに海があったこともとても大きいのはもちろんですが、形骸化していない生きたお寺がひとつあったことが、みすずの世界を切り結んだようにも思います。

仙崎へ行ってみたいです。海への道を歩いて、今も立っているという、この榎の木が見たいです。

「このみち」(金子みすず)

このみちのさきには、
大きな森があろうよ。
ひとりぼっちの榎よ、
このみちをゆこうよ。

このみちのさきには、
大きな海があろうよ。
蓮池のかえろよ、
このみちをゆこうよ。

このみちのさきには、
大きな都があろうよ。
さびしそうな案山子よ、
このみちを行こうよ。

このみちのさきには、
なにかなにかあろうよ。
みんなでみんなで行こうよ、
このみちをゆこうよ。

2005/01/10


ケータイ親子

ケータイ親子学校の新学期も近づいてきました。制服修理の件で聞きたいことができ、遊びに行っている当人(16歳・少年)のケータイにかけると、「うるさいなあ」というニュアンスの切り方をされる。んー、これは許せん!

すぐに携帯メールを入れました。「今の切り方にはムカついた。親しき仲にも礼儀あり、という言葉を知っていますか。人が自分のために時間を割いてくれたときは、ありがとうと言いなさい」

帰ってきた息子はすぐに私の仕事部屋に来て、「おかあさん、ごめんなさい。そんなに怒らないで」と言ってくれました。

今年やってみようと思っているのは、上の大きい子どもたちと「です、ます」調でたくさん話すこと。密着子育ても面白かったけど、「子別れ」も面白そうだ。

成長した子が親に無礼なことをするのは、親に甘えているからなのです。いつまでも甘えさせてしまう親では、子どもがかわいそうです。

2005/01/07