カナダと米国で大活躍してきた性教育者の草分けであるメグさんのインタビュー。看護師だったメグさんは、性が話しにくいものであるためにたくさんの人が性器の病気で手遅れになっているのを見て、まず自分の子供に教え始めたそうです。それが地域で評判になって広がりました。
子供の年齢別アドバイスや、アメリカの性教育バッシングについて話して頂きました。バッシングは数々経験し来たメグさんですが、彼女の重要な理解者にまず、性犯罪防止効果を期待する警察があったということは印象的でした。性教育は決して性モラルを乱さないしむしろ逆だという国際的な調査もご紹介しています。
母親の起業の中でも注目されている授乳服メーカー「モーハウス」を作った光畑由佳さんとは長いおつきあいさせて頂いています。
ここは、ほとんどのスタッフが子連れで出勤してきます。そんなことでは仕事にならないだろうって?それが、子供というものはたくさん集まると子供たちで遊ぶんですね。お母さんが見えていれば、時々触りに行ければそれでいいんです。
「子供が小さい間、仕事がゼロはいや。でも保育園に入れるほどではなく小さく働きたい」モーハウスはそんな気持ちをかなえていました。 スーパーウーマンにならなければ働けない、ということではない「ワークシェアリング」ですね。
英国は女性がお産を選べるための政策が進んでいる国のひとつですが、医療職の人だけではなく、非医療職の人もそれを支えてきました。38年間にわたりAIMSという出産グループのリーダーをしてきたというビーチさんに1960年代から今に至るまでのお産を聞きました。
三砂さんにしばらく会っていないな・・・と直感的におたずねしたら大変おもしろいテーマにとり組んでいらしてビックリ。この記事が出て半年後、このテーマは光文社新書から『オニババ化する女性たち』として出され、ベストセラーになりました。昔の女性の着物を着こなす身体ができていたこと、それは本当に目からうろこの世界でした。
現在の私のネット日記「自然体日記」システムができる前、ときどき育児エッセイを書いていました。これは、ある年のクリスマス、仕事で子どもと一緒にいられなかった時のことを書いたもの。
今のような仕事をしていなかった、ごくふつうの26歳として産んだ時のことを書いています。誰にも一番大切な思い出になる初めてのお産ですが、母乳は足りませんでした。読んだ方には「河合さんにもこんな時があったなんて‥‥」とホッとしていただいています。もちろん、大ありでした!大ありだったからこそ、出産ジャーナリストになったんです。
この頃から、女性のファッション誌が大きな出産特集を組み始めます。これは最初かそれに近い特集だったと思います。こういう特集がブランドファッションの記事の間に入るということ自体が新鮮で「賛成で-す」という感じでいろいろとお手伝いさせていただきました。
これ以降、「日経ウーマン」「フラウ」「クレア」などの出産特集にも関わらせて頂きました。
babycom主宰の鈴木さんとは長いおつきあいです。高齢出産のコンテンツ作りに協力をと言って頂いたとき、「一般の人はデータを目にする機会がほとんどない」と彼女が言うので、このコーナーを作ることにしました。たくさんの方に見て頂いているようです。
不妊治療病院101 東日本編つき。編集部(当時)・諸永祐司さんと共著。このアンケートは成功率を公表してもらうという調査だったのですが‥‥作成するに当たり、各施設がサイトなどで出していた妊娠率のデータに数字をよく見せるトリックがあることがわかってものすごくへピーな調査となりました。
たとえば、妊娠反応検査が陽性と出た時点で成功例とするか、流産しないで出産できた例を成功とするかで数字はどんどん変わるのです。こちらのお願いした統計について「出せない」と言って来る電話が全国の不妊治療施設から殺到し、その対応に昼夜ぷっ通しで追われました。
真に科学者である医師の施設からは、どんなデータでもさらりと出てきますし、そうでないところはどうにもなりません。これはREBORN産院リストで経験したこととまったく同じでした。ただ、産科なら議論で絶対負けないと思っていたのに、不妊については知識が足りなくて口惜しい場面も。それで、1日編集部で電話合戦して夜遅く帰宅したあと、夜中に必死で勉強しました。
これが私の初めての不妊症の取材となりました。やがて、不妊の本を何冊も書くことになるとは、当時の私は想像もしていませんでした。
全国に普及しつつあった不妊カウンセリングについて書きました。編集部(当時)・諸永祐司さんと共著。不妊カウンセラーという職種を日本に作り出した福岡県博多の蔵本ウイメンズクリニック院長・蔵本武志氏、不妊の心理カウンセラーとして大ベテランの赤城恵子さんをはじめ、各地に飛んで、いい目をした不妊エキスパートたちにたくさん会いました。
上の記事とこの記事では早朝から夜中まで不妊一色の世界に1ヶ月以上漬かって興味が深まり、いずれ本を書きたいと思った気持ちが結果として『未妊-「産む」と決められない』になりました。
不妊治療病院158 西日本編つき。
助産院・自宅出産を背負う開業助産師の仕事には、医師との密な連携が不可欠です。
自宅出産が35%と高率なのに安全性がしっかり保たれているオランダ、助産師が医療的なことができる米国、女性の選択の自由に対して本気な英国‥‥連携先進国とも呼ぶべき三国に、それぞれのスタイルを探りました。
こちらから
(社)日本助産師会調査によると全国556病院中、産科だけの単独病棟になっているところはわずか8.6%、他は婦人科はもちろん小児科、内科、外科、整形外科などまったく違う科との混合病棟が74.7%もあり激増していました。出産を扱っている病院自体が減っているし、扱っているところも、徘徊するお年寄り、感染症の多い子供、男性などと同じ病棟で出産しているのです。
こちらから
*この混合病棟の問題は、やがて産科閉鎖というもっと深刻な状況へとつながっていきました。
ニューヨーク州立大学社会学教授ロスマンさんの講演会をREBORNでおこない『紙REBORN』に講演録とインタビューを掲載。助産師問題から生殖医療までの幅広いテーマを女性ならではの言葉で語る圧倒的存在感には、強いあこがれを感じました。
日本のほとんどの産院で「おみやげ」として手渡される粉ミルク、マタニティ誌に大きく載っている粉ミルクやキュートなほ乳瓶の広告―これらはすべてWHO(世界保健機構)の定める規準に反しているということをご存じですか。
粉ミルクの宣伝は、国によっては取り締まりの対象になっています。医療の世界ではメーカーと医療施設の癒着が起きやすいのですが、粉ミルクでは、メーカーの行きすぎた行動が発展途上国の赤ちゃんの健康を脅かす事態を招きました。粉ミルクを早くからたくさん飲ませると母乳が枯れてしまうので、粉ミルクが買えない家庭では赤ちゃんが飢えてしまうのです。こうした悲劇が起きないように、WHOは、粉ミルク会社の商業主義的行動を警戒しています。
元・WHOの弁護士で、規準の草稿を書き、今もその監視に携わる女性アネリス・クラインさんに取材しました。
この号では、特集全体の構成とこの記事の執筆を担当しました。REBORNはウィンドウズ発売直前の1993年にできて発行部数わずか1000部のニュースレターを出していましたが、ネットの力を知りサイトとして再出発させたところ1日約8000人のアクセスを得る出産サイトになりました。「・・・大手出版社の雑誌とREBORNでは、象とバクテリアくらいに大きさが違う。しかし、ネットに出てみるとその差は魔法のように縮んでしまう」など、資本の大小に関係のない情報発信の世界を体感してわかったことをまとめています。
退院後にも赤ちゃんと産院へ遊びに行けるベビーマッサージ教室など、産院が育児支援の場になりつつあることを報告したレポート。赤ちゃんが小さいうちは、まだ出かけられる場が限られます。そして母親にとっても、子供を産んだ場所で世話になった助産師さんたちに会うととても安心でき、明日からの育児力を充電できます。
先天異常の赤ちゃんをどう受けとめるかという問題について、多指症のお子さんを出産したお母さん、医師、助産師への取材でまとめた記事。現実を受けとめる力について教えられました
神奈川の産院情報誌『わたしのお産』のために、神奈川の産科医と出産方法について話し合いました。
無痛分娩を希望する人へのQ&Aに答える回答集。「無痛で産んだことであとで自分を責めることにならないでしょうか?」など母親の心理的な迷いについて担当しました。2000年に「助産婦雑誌」(医学書院)で「硬膜外麻酔分娩を選んだ女性たち-心と体の背景」という記事を書いたことがこの執筆につながりました。
毎年5000人くらいの赤ちゃんが胎内で短い命を終えています。そして、母親は、一生心の中でその子たちと生きていくもの。「早く忘れなさい」は最も間違った言葉です。
2002年は『誕生死』という本が出され、このことが社会的に強くアピールされた年でした。私も、この本を書いた方をはじめ、さまざまな状況で死産をされた7名の方のお宅を訪ねてルポを書きました。どのお宅にもそのご家族らしいお仏壇があり、これは、本当に忘れられない、たくさんのことを教えていただいた取材でした。
ミレニアムにあたり2025年予測が流行っていましたが、私もこのときに「この四半世紀は40代出産が急増する」など近未来について調べ、どうしたら「数から質へ」の変換をうまくやることができるだろうかと考えました。
出産サイト「ベビカム」のアドバイザーとして、出産体験者459名のネットアンケートによる産院選びの実態調査を実施しました。こちらから
関東圏で何冊も出た『ここで産みたい!』(ショパン)、神奈川『わたしのお産』(ママチョイス)など産院情報の作り手たちが一同に会した座談会。
『お産選びマニュアル』の巻末付録につけた情報から、質問を増やして、REBORNのウェプサイトに作りました。オープン以来、全国の詳細な産院情報として、大変多くの方にご利用頂いている定番もの。海外にも、他科にもここまで詳しい産院情報はありません。出産した人間の目で磨いた質問がズラリと並んでいます。フランス料理やホテル風の外観などではなく、こんなポイントで産院の目利きになって頂きたいと思います。
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REBORNスタッフが手分けをして電話インタビュー。高齢出産した人10名と医療者10名、合わせて20名の声を集めています。
上の記事にちなみ、データベースをひっくり返してみた記録のような記事です。高齢出産は一般的にはあまり危ないことはなく、気持ちの問題も大きいとわかりました。