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    『安全なお産、安心なお産-「つながり」で築く、壊れない医療』

    岩波書店 2009年10月  ISBN978-4-00-022054-5

    2009年はこの本をやっておりました。詳しくは単行本のページをご覧下さい。

    頼りにしたい助産師さん 産む前も!産んでからも!

    「AERA with Baby」(朝日新聞出版)2009年冬号

    助産師という職種を紹介した8頁。

    30年以上も前から助産師外来のあるお産の総合デパートのような日赤医療センター、周辺の病院で産んだ人がたくさん集まってくる母乳ケア充実のみやした助産院などを紹介。世田谷区が作った、話題の産後ケアセンターへも行ってみました。「ゆっくりおかあさんになりましょう」と書いてありました。こんなセンターが全国に増えたらいいですね。

    自分の出産体験から「今度は私が」とみずから助産師になろうとしいる子育て中の学生さんにもインタビュー。こんな人が、どんどん学校に行って助産師として活躍してくれたら、お産の現場や子育て支援はものすごく充実しそうです。

    小さな命が頑張っている NICU(新生児集中治療室)ルポ

    「AERA with Baby」(朝日新聞出版)2009年6月号

    妊婦さんの救急車受け入れが難しくなっているという報道が続いていますが、その最も大きな原因はNICU(新生児集中治療管理室)の不足。そんな背景から、2008年以降、この閉鎖病棟がにわかにスポットライトを浴びるようになりました。

    「特殊な場だから」と企画が通りにくかったNICUですが、そのような事情から、「AERA with Baby」にも8頁カラーでこの病棟のAtoZを作りこむことができました。その後、ここには書ききれなかった問題に取り組みたくなり、私は、その後1年をかけて『安全なお産、安心なお産-「つながり」で築く、壊れない医療』を書くことになりました。

    横浜ベイスターズの村田修一選手にもインタビューしました。超一流の勝負師にとってもあまりに大きな衝撃だったという、NICUにわが子が入るという体験。「打った、打たない」にこだわっていた小さな自分が一皮剥けたという談話は感動的でした。

     ハッピーな卒乳のために

    「AERA with Baby」(朝日新聞出版)2009年4月号

    母乳育児というものはさまざまな考え方があり専門家によって指導が違い、たくさんの母親が混乱している分野です。中でも「いつまであげていいの?」という疑問は非常によく聞かれます。科学的には「長くあげることの害はない」「母乳のメリットは量依存性(あげればあげるほどメリットが拡大)」ということがわかっています。この事実が知られることと、やめ時の見極めがその親子にとって納得できるものであることが大事です。

    30代女子が知っておくべき最新出産事情とは?

    「インレッド」(宝島社)2008年10月号

    「産科医がいなくなり、産み場所も減っている」というニュースに不安になっている女性たちに向けた解説記事。近所の産婦人科が閉鎖するのを見て産み控える人も出ているので、そんなことにならないよう背中を押したい気持ちです。

    知っておきたいママのうつ病

    「AERA with Baby」(朝日新聞出版)2008年秋号

    妊娠、出産のホルモン激動や子育ての大変さは、うつ病の誘因になります。そもそも女性は男性の2倍うつ病にかかりやすく、妊娠、出産の時期は特に発症しやすいと言われています。この記事でおこなったアンケートでも、34.8%の母親が「自分はうつ病だと思ったことがある」と回答しました。

    自殺、虐待、犯罪など社会を不安にするニュースの多くは医師の目から見ると病気の症状であることが非常に多いのです。精神病の偏見をとりのぞき、身近なものとして知識を持つことが大切。

    産科救急のマスコミ報道は氷山の一角~ここまで厳しくなっている!妊娠と新生児の医療

    REBORNサイト/『紙REBORN』2008年冬号

    神奈川、埼玉、奈良、岩手の4県の周産期センター、クリニックから搬送の実情を伝えてもらった横断記事。REBORNスタッフ三好と手分けして作りました。この取材で、『安全なお産、安心なお産-「つながり」で築く、壊れない医療』の主要なテーマは7割方つかみました。

    こちらから

    愛仁会千船病院(大阪市)
    若い意欲が大きく育つ助産師学校のある民間病院

    「助産雑誌」(医学書院)連載7 チャレンジ!自立と責任 2008年7月

    看護学校を持っていた千船病院の経営母体・愛仁会に助産学科ができて10年。同会の病院の中でも産科が活発な千船病院は、今、助産活動が最も熱い病院のひとつです。これは、時代を見越した戦略があったというより、もともと愛仁会が産科診療所を前身しているため「お産」を病院のとても大事な部門ととらえてきたからだそうです。

    院内助産院の担当になるのは責任が重いことなので意外と希望者は少ないのが実情ですが、この病院では希望者が定員オーバーということでこれからがとても楽しみです。

    写真は産婦人科医長・岡田医師と看護部科長・村田助産師。医師と助産師の関係は「ジグソーパズルのようにすきまなし」がモットーだそうです。

    めぐみ助産院・阿部産婦人科医院(福岡県柳川市)
    助産師が企画する開業医とのコラボレーション

    「助産雑誌」(医学書院)連載7 チャレンジ!自立と責任 2008年7月

    めぐみ助産院の寺田恵子さんはBSケアという独自な母乳ケアの提唱者として知られていますか、クリニックでのオープンシステムの試みも画期的でした。

    提携していた阿部産婦人科医院はご高齢でお産も減り、もうお産をやめようと思っていた時に寺田さんに出会い、ある設備をもう少し生かしていくことにしました。阿部産婦人科医院には正規雇用の助産師はいませんでしだか、寺田さんは3人の助産師チームを作ってそこに入り、それぞれが受け持ちを持ってクリニックに来た妊婦さん全員に手厚いケアを提供しました。

    阿部先生はご病気をされていて、取材後まもなく訃報に接することになりました。でも晩年の寺田さんたちと手掛けたお産は楽しい仕事だったに違いありません。阿部先生は写真がご趣味で、右の写真は、手術後一度復帰されたときの再開第1号のお産で撮影されたものをいただきました。オープンシステムになってからのお産は助産師さんたちにまかせて、いつもシャッターを切っていらしたそうです。

    <インタビュー>『母が重くてたまらない-墓守娘の嘆き』 著者・信田さよ子さんに聞く

    『紙REBORN』2008年8月号

    私がいろいろなメディアの記者さんから未妊をテーマにコメントを求められる場合、送られてくる掲載誌を開くと信田さよ子さんが同じ記事に登場されていることがとても多いのです。ですから、信田さんには一度お会いしたいと思っていました。

    そんな折、私が一緒に仕事をしていた編集者さんが信田さんの著書『母が重くてたまらない-墓守娘の嘆き』 を担当されたので、それを機にインタビューをさせていただくことになりました。

    『母が重くてたまらない-墓守娘の嘆き』は、成人してなお干渉され、母親に依存され続ける女性の苦しみを書いていますが、これは今日産科でも非常に目につく光景であり、言うまでもなく未妊、非婚の大きな要因にもなっていると思われます。

    「お産」という、親子が「くっつく」場面を生業とする私ですが、その結果、本来別の人格である母と子が不健全な一体感を持ち癒着を起こすことは避けなければならないとつくづく思います。お産に関わる人は親子のきずなの強さを盲目的に礼賛しそうになることがありますが、それは大きな危険をはらんでいるというわけです。また、それは愛情とは似て非なるものなのでしょう。

    「日本の母親は産んだだけで敬われる、家族は壊れるはずがないと思っている」など、信田さんの刺激的な言葉は大事なことばかりだと思いました。

    なかむら産家医院(福岡県北九州市)
    自然体の医師が営む「医師のいる助産院」

    「助産雑誌」(医学書院)連載6 チャレンジ!自立と責任 2008年8月

    「医師のいる助産院のようなクリニックです」私は、この同じ言葉を何人もの開業医の先生から聞いています。そしてその医師たちはつながりを持っているわけではないのです。それぞれの医師が自分の場でお産について考えながら、同じ結論に至っているのです。

    ここの院長の中村医師(写真中央・作務衣姿です)は、勤務先の病院でお産婆さんと呼ぶべき「お産名人」の助産師さんの仕事に触れて自分のお産観ができたということでした。そんな医師も、また私の周囲には少なくありません。

    「医師のいる助産院のようなクリニック」はひとつのとても大きな可能性です。

    (社)地域医療振興協会 横浜市立うわまち病院(神奈川県横須賀市) 「公設民営化」で吹き始めたフリースタイル出産の風

    「助産雑誌」(医学書院)連載5 チャレンジ!自立と責任 2008年6月

    公立病院の存続危機が各地で続く中、横須賀市では、この病院の公設民営化が大きな成功をおさめました。2002年に医師1名、助産師1名で再出発した産科も、当初から助産師外来を開設して地域の意欲的な人材をどんどん集めていきました。

    市から経営を委託されている地域医療振興会は僻地医療をになう病院の医師たちの組織。この病院はそうした医師たちの研修病院にもなっていて、全国の地域医療を支える場としても重要な役割を果たしていました。

    産科の森崎先生も北海道の僻地からの赴任。前任の病院では助産師も36時間連続勤務だったと聞いて驚きました。医師が病院にべったりなのは当たり前の仕方がないことと感じておられて、赴任後、横浜は行ったけれど、まだ東京には行ったことがないということでした。

    亀田マタニティ・レディースクリニック(兵庫県神戸市)
    20名の助産師が集まる診療所

    「助産雑誌」(医学書院)連載5 チャレンジ!自立と責任 2008年5月

    スタッフの出産率が高い!近くにある助産院との連携も密で、助産師さんたちにとても働きやすいこのクリニックは、公立病院の激務を長い間こなしてきた亀田隆医師が自らの考えるお産の実現のために作りました。

    六甲の静かな町にお訪ねし、医師の幸せ、助産師の幸せ、それが産む人にとっても優しい空気の流れる心地よい産み空間につながっているのを拝見した取材でした。

    済生会宇都宮病院 本邦初 欧米型バースセンターの胎動

    「助産雑誌」連載4 チャレンジ!自立と責任

    本年度は厚労省の補助金制度も始まり、大規模な院内助産院の元年となりそうです。

    その先駆的例となる済生会宇都宮病院では、今年11月のオープンを目指して計画が進行しています。産婦人科と別フロアに専属助産師6名を配置し、4つの出産できる個室(LDR)をもって年間200件の分娩を目指すといいます。そしてその分負担が軽くなった医師は、救急搬送やハイリスク妊娠に専念する。これが済生会宇都宮の考える「戦国時代の生き残り作戦」で、飯田部長はこの基礎がために12年を費やしてきました。

    ここは特に産科医が不足しているわけではなく、助産師も産科医も人数が増えています。いわゆる「マグネットホスピタル」に新しいスタイルが誕生です。産科医不足の苦肉の策のようにいわれてきた院内助産院ですが、今年はがらりとイメージが変わる?

     公立阿伎留医療センター 産科継続を果たした助産師たち-地域の声に支えられて 

    「助産雑誌」連載3 チャレンジ!自立と責任
    「院内助産院」など助産師さんの活躍を拡大している施設をたずねる連載の第3回。

    ここは、産科医が1名になったとき「お産難民を出すまい」ということで助産師さんが中心になってお産をとる体制になったのですが、その後産科医が3名になりました。助産師さんは、医師がいないときの応急手当にすぎない臨時の存在?それとも医師がいる、いないに関わらず必要な人?

    ・・・揺れた病院にとって決め手となったのはユーザーの声でした。自然出産にじっくり取り組んでもらえたお母さんたちの手による「助産師のお産をやめないで」「ふたりめもああやって産みたい」といった投書が病院のポストに次々に入り始めたのでした。

    ママの体、元気アップ!計画

    「AERA with Baby」(朝日新聞出版)2008年春号

    疲れた身体を引きずるようにして子育てをしている人はとても多いものです。「わが身を省みず子どもにすべてをそそがなくっちゃ。お母さんなんだから」とがんばっているうちに、危ない自己満足に陥ってしまう人もいます。次の子の出産についても、育児疲れは濃い影を落としています。

    でも取材では、骨盤エクササイズ、フラダンス、WiiFit、ヨガなど上手に運動して元気にしている人も出始めていることがわかりました。神奈川県立汐見台病院産婦人科の早乙女智子医師には健診、不調時の受診のタイミングをうかがいました。

    みんなどうしているの?知りたい!産後の性

    「AERA with Baby」(朝日新聞出版)2008年春号

    子どもが出現するとパパとママになり、希望の子どもの人数を産み終えたあとはルームメイト・・・これって、日本のごくふつうの夫婦のようです。「それでいいのかなあ」「いいんじゃない?みんなそうよ」「そなものなくても、きずなは深まっています」アンケートで集まったさまざまな声をまとめた記事で、大きな反響がありました。

    男性が主導権を持っていた時代には考えられなかったことかもしれませんが、現代の家庭は女性の心と身体にもとづいて地球が回っております。

    産科医不足 私たちの産み場所をまもりたい

    「AERA with Baby」第4号 2008年1月発売

    日記にも書きましたが、あっと驚く体験をした取材。取材先の病院、大学などが取材期間中に産科医の取り合い関係を成したのです。

    とても濃厚な取材でした。でもこの問題をどうしたらいいかの答は得られず、結びが書けない幾夜を過ごした記事ともなりました。赤ちゃんが欲しい、という気持ちを、産み場所が消えたために抑えている人が本当にたくさん現れています。しかし、医師が来る町があれば、どこかで医師を失う町が出ます。

    私にできることは現場の風景を届け続けることだけです。

    この記事についての日記はこちらから

    産科医不足と妊婦健診をめぐる実感調査
    1,100人の妊婦・母親の声

    2008年1月 ベビカム

    産科医不足と妊婦健診をめぐる実感調査 1100人の妊婦・母親の声 レポートをまとめました2008/2/3 「産科医不足について、産む側からの声を出したい!」という想いで始めた企画「産科医不足と妊婦健診をめぐる実感調査 1100人の妊婦・母親の声」。ようやく結果をまとめました。妊娠・育児サイト「ベビカム」との共同企画で、回答者は同サイトのリサーチサービス「ベビカムVOICE」に集う母親・妊婦1064人です。

    内容は・・・産みたい産院でどれくらい断られているか、通院時間、診察時間、待ち時間の状況、妊婦健診未受診と高額な健診費の関係、助産師外来の普及度や受けた人の印象、許容度、オープンシステムの許容度・・・など多岐に渡ります。

    産科医不足時代を産み抜く女性たちの声が詰まった調査です。1100人のフリーコメントも非常にリアルでした!

    全容を記した報道資料はこちらから

    賢い妊婦10カ条

    2008/2/10日号「読売ウィークリー」シリーズ「医療砂漠を行く 第1部お産が危ない」 本邦初!妊産婦1100人調査でわかったお産難民急増

    シリーズ「医療砂漠を行く 第1部お産が危ない」として長期に渡り産科医療を追ってきた「読売ウィークリー」の大屋敷記者が、2008年2月10日号で、私が妊娠・育児サイト「ベビカム」とおこなった調査を紹介してくれました。また最後にこの時代の賢い妊婦10カ条を、とリクエストをいただき書いてみました。書いているうちに「夫にも読んで欲しい」と思い始めて「妊夫5カ条」も入れてもらいました。

    チャレンジ!自立と責任 第1回
    病院の隣にできた院外助産所 さくらんぼ助産院(岡山県倉敷市)

    「助産雑誌」 医学書院 2008年1月号

    2008年は、助産師さんの代表的専門誌「助産雑誌」(医学書院)で助産師外来・院内助産院を訪ねるルポを連載します。半年間の予定でしたが、やり始めたところニーズの大きさをひしひしと感じ、今は「助産師外来などどの病院にもふつうにある」日が来るまで続けてもいいくらいの気持ちでおります。

    未妊レポート-子どもを持つことについて

    ベネッセ次世代育成研究所 2007年12月発行

    調査レポートにコメントを書きました。「未妊」は私の著書『未妊-「産む」と決められない』(NHK出版)からとっていただいた言葉で、このような調査がおこなわれて大変うれしかったです。

    現代の出産世代女性たちは子どもを欲しい気持ちは仕事の有無にも婚姻にも影響されていないこと、子どもは欲しいけれど自分の時間がとられることに強い抵抗感があること、不妊症への不安がとても強いことなどが特に印象的なデータ集です。

    働くオンナの未妊事情

    『連合』(日本労働組合連合会)2007年10、11、12月号

    未妊について10、11、12月号と連載しました。依頼を受けたとき「読者のほとんどがこれからワークライフバランスに取り組まねばならない立場の男性」とお聞きしたので、妊娠期間が限られている女性の妊娠力のイロハを解説しました。

     

     

    クレア」2007年11月号 仕事をしながら母になる!

    2007/10/1 CREA (文藝春秋社)

    「クレア」秋の恒例となった「母」特集「仕事をしながら母になる!」で大きな記事ふたつしました。

    「自分サイズの出産・育児が発見できるベストブックガイド」では44冊の母向け書籍(カラダ本、社会論、出産ルポ、コミック、詩集、etc.)を44冊一挙に紹介。年代別産めるカラダ作りお悩みレスキューBook」では、西洋医学と東洋医学両方の見方で20代から40代の不安にこたえました。

    高齢でも産む勇気

    「AERA with Baby」第3号 ”今”だから産みたい2007年11月発行「AERA with Baby」(朝日新聞社)

    「”今”だから産みたい 高齢でも産む勇気」8ページを取材・執筆しました。NHKアナウンサー武内陶子さんに取材して、紅白の総合司会という大役を終えたあと就職以来の弛緩が訪れて妊娠に至ったというお話にびっくり。妊娠とは解放だ!と思いました。

    聞いて!わたしのお産難民体験

    REBORN

    REBORNサイトに、ひとりひとりの産み場所探しストーリーを置いて頂く場所を作りました。この数年のあいだに産院の少ない町に妊娠した人しか知らない現実を(でも、まもなく全国の町に広がっていく現実です)、ふと立ち寄った方に知っていただくためのページです。

    聞いて!わたしのお産難民体験
    こちらから

    帝王切開は負けじゃない

    「AERA with Baby」(朝日新聞社)2007年8月発売第2号

    このタイトルは賛否両論で「負けなんて思ったことないですけれど」という読者もいましたが、ひとりネガティブな思いを抱えている人がいるのも帝王切開の事実です。その帝王切開はどんどん増えていますので、その背景を調べ、またお産らしい手術となるためのくふう(夫も手術室に入り一緒に産声を聞くなど)、母乳育児のくふうなどを伝えました。

    無痛分娩という産み方/「お腹を痛めた子」だから可愛いの?お産の「痛み」をどう考えますか?

    「AERA with Baby」(朝日新聞社)2007年8月発売第2号

    日本唯一の周産期痲酔専門の教室がある埼玉医科大学総合医療センターで硬膜外痲酔による無痛分娩を取材。そのはじまりから終わりまでを追いつつ、照井克生医師に誰もが気になる危険性などを詳しく聞きました。

    陣痛の痛みに対する恐怖が加速度的に上がってきている今日、痲酔というものをくもりのない目でとらえたいものです。

    「お産の痛みをどう考えますか?」では「痛みがなければお母さんになれない」というテーゼを社会学、医学など多面的な方向から検証しました。

    『助産師と産む-病院でも、助産院でも、自宅でも』岩波ブックレットNo.704

    2007年7月 岩波書店

    私がお産ライターとなるきっかけは大ベテランのお産婆さんに出会い、「今晩の自宅出産に来るかい?」と言われ、立ち会わせて頂いた衝撃でした。あれから20年目の節目に、奇しくもこのような本を出すことになりました。

    ワンコイン(定価504円です)で買えるブックレットの全70ページに、助産師の過去、現在、未来をまとめています。本質的に納得できるお産を探している女性とご家族の方に。そして、助産師とコラボレーションを組む医療者、行政関係者の方に。

    Amazon.com

    はじめての不妊治療

    2007/6/21  オレンジページムック「元気がでるからだの本」2007年夏号

    「はじめての不妊治療」という6頁企画を書きました。最先端技術の話は抜きにし、やさしい基本知識とカップルの気持ちを中心に作った頁です。

    朝日新聞「育児ファイル」連載コラム 『お産を選ぶ』

    2007年4~6月  朝日新聞

    朝日新聞の生活面「育児ファイル」4月~5月「お産を選ぶ」を連載しました。毎週土曜日の掲載でたくさんの方にご愛読いただき、感謝!です。

    こちらから

    ◆テーマ
    第1回(4/7) 「陣痛恐怖」案ずるより・・・
    第2回(4/14) 分娩予約競争
    第3回(4/21)いつかは、信じ「未妊」
    第4回(4/28)家族と産む
    第5回(5/5)助産師外来を活用する
    第6回(5/20)ブランド産院と費用
    第7回(5/27)リスクに応じて
    第8回(6/3)産院でも習い事?

    「マンパワーの有効活用 助産師が活躍するためには何が必要」

    「朝日メディカル」2007年6月号特集「お産の危機」

    医師に広く読まれている雑誌「朝日メディカル」2007年6月号特集「お産の危機」で「マンパワーの有効活用 助産師が活躍するためには何が必要か」を書きました。「助産師の活用」と言われるさまざまな試みと課題を解説した記事。

    「3人で行こう! 仕事も子どももあきらめない!」

    ワーキングマザースタイル 2007年3月

    働く母のためのサイト「ワーキングマザースタイル」の「3人で行こう! 仕事も子どももあきらめない!」に私のインタビューを掲載していただきました。子育てと仕事についての私のスタイルを、つまり自分のことを話しています。

    今、出産と「キャリアリセット」を組み合わせで考える人が増えていますが、私は母親がフルタイム勤務で大変そうだったため小学生の時からずっと将来の働き方を考えていました。これから考えていきたい人の参考になればうれしいです。こちらから

    どうする?兄弟姉妹 あなたはまた産みたいですか

    「Milk」(エクスナレッジ) 2007年春号

    子どもファッションの雑誌「Milk」に、次の子どもを迷う人のためのエッセイを書きました。半分はお産ライターとして、半分は三児の母として。今、ふたりめ未妊の方が大変多いです。

    特集「出産に覚悟が必要ですか?」
    対談・子どもを持つってそんなに大層なことですか?/仕事をしていてもちゃんと妊娠できる?

    「プシコ」2007年3月号

    ポプラ社の女性誌「プシコ」2007年3月号「産む?産まない?働く女の出産事情」特集で、心理学者の柏木惠子先生と「子どもを持つってそんなに大層なことですか?」と題する対談をしました。柏木先生は私の一回り上の世代の先生で、子どもが「産んで当たり前のもの」から条件依存へと意識が激変してきたのをまのあたりにしてこられた方です。
    また別のページでは、ご自分の体外受精でみずからの卵子と夫の精子を操作して出産され本を出された田口早桐Dr.に取材し「仕事をしていてもちゃんと妊娠できる?」を執筆しました。

    「30歳からの産む準備『いい生理』入門」

    「インレッド」2007年3月号

    宝島社のファッション誌「インレッド」2007年3月号に、「30歳からの産む準備『いい生理』入門」を書きました。「月経血ドック」で知られるウイメンズクリニック南青山院長の小杉好紀氏、慶応義塾大学病院ホルモン外来の丸山哲夫氏、生理サロン「月桃塾」を始めた大葉ナナコ氏に取材。そしてQ&Aコーナーは、かねてよりそのアドバイスの充実したことに感服してきたシアトルの開業助産師・押尾祥子さんにお願いすることができてうれしかったです。
    珍しく婦人科もの。ここでも、晩産・少産は女性の身体にいろいろな無理を強いていることがわかりました。なにしろ、産まないと長期に渡り毎月排卵しなければならないので、それは結構たいへんなことなのです(多産時代の女性はいつも妊娠中だったり授乳中だったりして生理はあまりなかったのです)。

    自然に産むということ

    「AERA with Baby」(朝日新聞社)2007年1月 創刊号

    AERA with Kids」にきょうだいができて「AERA with Baby」が誕生。「自然に産むということ」を執筆しました。自然な優しい光あふれる写真を全面に使った、とってもきれいな全カラー10ページです。日赤医療センター、京都・あゆみ助産院、院内助産院で有名な佐野病院、大阪府立母子保険総合医療センターを取材しています。

     


    本当はどうなの?妊娠&出産のサイエンス

    「AERA with Baby」創刊号 2007年1月

    高齢出産の不安などに答えるページに素材と監修を提供。『未妊-「産む」と決められない』の医学的な部分を凝縮したような8ページでした。

    産科医不足に対する厚労省メニュー10

    紙REBORN 2006冬

    REBORNの季刊ニュースレター「紙REBORN」で、厚生労働省の来年度の予算で実施しようとしている産科医不足対策を紹介しました。10のメニューとして整理するということを試みました。読んでいただくと、国は産科医を増やす道は見つけておらず、緊急避難の策で精一杯だということがわかります。厚生労働省医制局指導課長・佐藤敏信氏にナビゲーター役をしていただきました。

    史上最高のミラクル 母になる!「カリスマ助産師たちの『愛のお言葉』」

    『クレア』2006年11月号

    『クレア』(文藝春秋社)2006年11月号特集「史上最高のミラクル 母になる!」の中で「出産・医療ライター・河合蘭さんが”出産の母”と称す人 カリスマ助産師たちの『愛のお言葉』」を書きました。私が第2子、第3子をお世話になったファン助産院の杉山富士子さんと、そのお弟子で日赤医療センター分娩室助産師長の中根直子さんにご登場いただき、つい考えすぎてしまい身体もかたくなりがちなキャリア妊婦さんをゆるませるお言葉を授かった2頁。

    史上最高のミラクル 母になる!「数字で検証する不妊への黄色信号」

    『クレア』2006年11月号

    『クレア』(文藝春秋社)2006年11月号特集「史上最高のミラクル 母になる!」の中で「セックスレス、ストレス、年齢etc.女性を取り巻く不妊の要因 数字で検証する不妊への黄色信号」というデータ紹介頁を書きました。

    緊急インタビュー!潜在助産師/院内潜在助産師に聞く 助産師不足――本当の理由とは?

    REBORN

    書きました。助産師人口全体を見ると、稼働している人とほとんど同数である26000人もの「潜在助産師」がいるともいわれています。産科医不足の中、来たいが寄せられる助産師ですが、こんなにも離職率が高いことの裏側には今日の産科が抱えるいろいろな問題がありました。REBORNならではの取材ができました。

    こちらから

    東京新聞サンデー版 世界と日本大図解シリーズ どうする?お産~深刻化する産科医不足

    二面抜きの大きな図解記事に「みんなで出産を支えていこう」という記事を書き、内容も少しご協力させていただきました。日本地図が都道府県別医師1人当たりの出産数で色分けされ、矢印が飛び出して各地の事例が紹介されるなど、問題のあらましが視覚的にわかります。学校掲示物の大きさで、掲示もできます。あまりの大きさに、校正は宅急便が飛び交いました。

    男女産み分けはどこまで可能か

    婦人公論 2006/9/22号 (中央公論新社)<緊急特集> 35歳からの「産む・産まない」

    『婦人公論』(中央公論新社)緊急特集・35歳からの「産む・産まない」に「男女産み分けはどこまで可能か」という4頁の記事を書きました。この質問形タイトル、答えは「確実に可能」です。しかし悲劇は起きています。
    日本の代表的な男女産み分けクリニックである杉山レディスクリニック院長の杉山力一氏、パーコール法開発に関わったつくばARTクリニックの小塙清氏、渡米しての着床前診断をコンサルテーションしているさくらライフセイブ・アソシエイツ(NY)の清水直子氏などに取材しました。

    産科医不足!お産はこれからこう変わる

    All about「出産医療・産院選び」

    All aboutに、産科医不足の問題について2006年春から少しずつ書きためています。同サイトの他の記事へもこちらからからお入り下さい。
    こちらから

    産みたいけれど決められない もしかしたら、私って「未妊」中?

    「インレッド」2006年8月号(宝島社)

    30歳前後の女性をターゲットとする女性ファッション誌「インレッド」で6ページに未妊特集。『未妊-「産む」と決められない』コンパクト版のような3ページの書き下ろし、「二人目未妊」「男性未妊」含む人それぞれの未妊像を3ページに渡り紹介しました。イラストは、本の帯を描いてくれた大塚いちおさんが再び担当してくださいました。

    診療所に勤務する私たち

    助産雑誌2006年8月号 特集「診療所に助産師を」

    産科医が不足する中、助産師というマンパワーの活用が議論されるようになってきました。その中で大きな問題のひとつが、助産師が大きな病院に偏って勤務していて、日本のお産の半数を占める個人産院にはゼロ人というところも多いということです。「1人医師」が危険、過労の問題をはらむということであれば、助産師が個人産院に移っていくことが必要。
    この記事は、診療所勤務の実体験を豊富に持つツワモノ助産師さん3名の座談会に私が司会と文を担当しました。

     

    “未妊婦”たちと男女雇用機会均等法施行20周年

    「ペリネイタルケア」2006年7月号(ペリネイタルケア) 巻頭言 Message for perinatal staff

    『未妊-「産む」と決められない』出版にちなみ、産科医、助産師さんたちにおなじみの専門誌「ペリ」の巻頭言で、未妊という概念について書かせていだたきました。

    「オピニオン 三者三論」で不妊治療の公費助成についてコメントしました

    朝日新聞 15面  2006/6/9

    朝日新聞15面「オピニオン 三者三論」で不妊治療の公費助成についてコメントしました。2時間ほどお話ししたことの大半がきちんと書かれている大きな充実記事でした。
    不妊で悩む方には不妊年齢になるまで出産を引き延ばしてしまう方が多く、その場合の治療はお金を使えば成功するというものではありません。国全体で不妊の悩みに対応するには、未妊年数を短縮できるような政策をしっかりとって不妊症を予防することが大事で、それなのに今の女性たちがいかに産みにくい状況にはまりこんでいるかを話しました。
    私のほかに産婦人科医・堀口雅子先生、民主党参院議員・蓮舫さんが発言しています。堀口先生は医学的なことや過重労働によるセックスレスについて、蓮舫さんは不妊治療支援の多様な道を示し、素晴らしいバランスでした。
    あとで、男性にも好評だったこと、不妊治療中の方からも賛同の声があったことを聞いてとても嬉しく思いました。

    産み育てる悦びのモデル-上田市産院

    「紙REBORN」16号 2006年春号
    特集 守られたベビーフレンドリーホスピタル 上田市産院(長野県)の閉院危機から存続決定まで

    産科医が地方でどんどん減少してしまい産科の廃止・統合が進む中、信大医局から医師派遣を受けていた小さな市営産院が廃止の危機に見舞われました。

    この産院は、高度医療施設ではないけれど、親身なことや優れた母乳育児支援でWHO(世界保健機構)・ユニセフから「ベビーフレンドリーホスピタル」という称号も受けていたところ。格別に慕われていた産院だったので、市民活動の署名運動が起こりました。そこを頼りにしていた母親たちがどんな気持ちになったのか、周囲から「地域エゴ」と言われる中で母親たちは何を考えたのか。ここで起きたドラマは、何度も取材させてもらった私にとってもいつまでも別れられません。

    こちらから

    “二人目不妊治療”入門

    「NHKテキスト すくすく子育て」2006年1月号(NHK出版)

    今、とても多い「ふたり目不妊」についての実用知識。京都・足立病院院長の畑山博先生監修。検査、治療の説明に料金が明示されるなど読者本位の記事ができたと思います。

    私と母乳の20年-原点はエンパワーメント
    本郷寛子さん(国際認定ラクテーションコンサルタント)インタビュー

    「紙REBORN」2005年夏号 13号

    母乳育児支援の専門家であるという国際的な認定資格「ラクテーションコンサルタント」の日本人第1号・本郷寛子さんのインタビュー。彼女は資格を取られて帰国して以来のおつきあいで、私が最もお頼りしている母乳のエキスパートのひとり。彼女の日米における母乳人生20年分のお話を、全部お聞きしてきました。

    親が楽! らくらく授乳のきほん

    REBORN

     北野寿美代さん(助産院 北野ミッドワイフリー院長)にともかく楽な授乳スタイルを教わろうというコンテンツ。母乳育児は大変だと考えられていますが、実はかなりの部分がコツの問題です。楽な母乳育児の条件である「1.疲れない/2.痛くない/3.眠くない」を実現するには?
    基本は添い寝ですが、バリエーションもご紹介。ハウツウ記事の中に、私がこれまで母乳について感じてきたことをぎっしり詰め込んでいますので、現役妊婦の方には強くおすすめする記事です。
    <イラスト>竹中恭子

    生物学トーク 生き物の目で、少子化を斬る
    本川達雄氏(生物学者)インタビュー

    「紙REBORN」2005年冬号 15号

     東工大教授で『ゾウの時間、ネズミの時間』(中公新書)著者である本川達雄先生に、『おまけの時間』(阪急コミュニケーションズ)担当編集者・黒崎裕子さんの知己を得て迫りました。
    『マザー・ネーチャー』という本で知りましたが、「女性の問題に生物学を持ち出すのは地雷原に入るようなもの」と言われているそうです。それでも勇気を出してやってみてよかったと思っています。『未妊-「産む」と決められない』ではこのときに縄文人の平均寿命が31歳だったと聞いたことを書きましたが、「生き物は自分で自分の時間の流れ方を変えられる」という本川先生の概念はとても参考になっています。
    「動物に産まない自由はあるか?」「自分と他者の間の壁が高すぎるから現代人は他人のために何かをしたがらない」など面白い話がたくさん出ました。
    <イラスト>宮下真沙美

    知っておきたい35歳からの出産の現実
    本当のところ何歳まで産めるの?

    All about Japan 「出産医療・産院選び」2005年8月

    ネットのユーザーは高齢出産の人が多いということを意識するようになり、All about Japan 「出産医療・産院選び」で高齢出産関連の記事をたくさん書くようになりました。ここにあげた記事が一番読まれているようですが、他にもいろいろ書いています。

    こちらから

    〔インタビュー〕南米アマゾンに住むヤノマミ続の妊娠・出産
    ガブリエル・ホルゾック・シュレイダーさんに聞く

    「助産雑誌」(医学書院)2005年6月号

    ドイツの文化人類学者ガブリエルさんとの出会いは旭川医科大学で社会学の准教授をなさっている松岡悦子さんたちの「文化としてのリプロダクション研究会」が北海道大雪山で開催したサマースクールのことでした。
    ヤノマミは本当に原初的な妊娠、出産の形を残していて、今も嬰児殺しがありますが、そこには罪の意識はありません。新生児は生き物ではあるけれど、動物になるのか精霊になるのかまだわからない存在なのだそうです。産まれてきた子をひろいあげるかどうかは、出産に立ち会った女性たちが決め、男性はその場に入ることはできません。
    私たちは「自然なお産」と簡単に口にしてしまいますが、それは21世紀における日本の文明が作り上げた概念に過ぎず、私たちの身体の奥底に眠っている自然とは遠くかけ離れていることがよくわかりました。

     

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