昨年11月から妊娠・育児サイト「ベビカム」とやってきた産科医不足実感アンケートがほぼまとまり、かねてより「医療砂漠をゆく」シリーズで取材を受けていた「読売ウィークリー」にデータを紹介してから、新宿駅西口の高速バス乗り場へ。
長野県飯田市で開かれた桝添厚労大臣と地域住民との対話の会に行ってきました。真っ暗な飯田駅におりたち、まずは飯田市民病院の山崎先生へごあいさつに。
一夜明け、朝は飯田市立病院の視察から始まりました。50人ほどの報道陣が待ちかまえる中、桝添さんのワゴンが到着ここでも、そしてそのあとの対話の会でも、桝添さんは産科医療の危機を重大な問題と受けとめている様子がありありとみえました。
対話の会では産科の問題を中心に、地域の関係者や一般人が次々に発言。印象的だったのは、最後にあった「臨床研修医制度から産科崩壊が始まった。元に戻して欲しい」という発言に対して、桝添さんは「とんでもない!日本でひどいのは銀行と病院。研修医でかろうじて保っているような、そんな病院にあなたたちはかかりたいですか」と語気を強めたことでした。
目先のことでいっぱいになるのが専門家というものですが、日本という単位でものを考えていく政治家ならではの視点を感じ、桝添さんは小泉改革の継承をしっかりやっていこう考えておられるのだと思いました。壊されたあとに草木も生えないような改革であってはならない、しかし改革は改革であるように、と。
それから、対話の場に長野を選んだのは、医師数に恵まれないのに先進的な予防医学があり、国内有数の健康県であることだそうです。「これからの医療は予防が大事」それなら、もう少し助産師を増やさないと!です、大臣!
飯田の1日。いろいろなことを考えましたが、今は桝添さんの、試合中のアスリートのような気迫が非常に印象に残っています。
この一泊の旅では、最後に伊那赤十字病院にも行きました。対話の会で妊婦さんの気持ちをしっかり伝えた「心あるお産を求める会」の皆さんに連れていっていただいたのです。ここは産科医一名でお産をほとんどやめていましたが、「どうしてもここで」という方だけを受けていました。心あるお産を求める会も署名をして院内助産院構想もあったのですが、立ち上がることにはなりませんでした。
その最後の医師がこの春去るので、お産がまったくなくなります。その最後のお産が、おたずねしたとき折しも陣痛のクライマックスのよう・・・産まれたあと、写真を撮らせて頂きました。
またひとつ、産み場所の灯火が消えてしまいました。
おひな様をしまうような寂しさです。
プロフェッショナルなあたたかい助産師さんが守っている病棟。最後のお母さんがこれから入り、そして一週間したら花束をもらって、そのあと病棟は多くがお年寄りの過ごす静かな毎日になるのでしょう。 2008/01/20