女性たちの被曝

震災以来、私はニュースについてはテレビ、ネットの割合が減って、雑誌や新聞を読んでいる時間が増え、ラジオにも少し目覚めつつあります。テレビとネットの刺激が強すぎて何だかもう数日で疲れてしまったからなのですが、やはり週刊誌や月刊誌など昔からあるメディアはいいなあと思うのです。

その中で、昨日電車の中で何度も読み返してしまったのは『文藝春秋』(2011年6月号)の「原爆の広島で子育てをした女たち」。江刺昭子さんというノンフィクション作家の方が書かれたのですが、子ども時代、女学生時代に広島で被曝した女性がその後の結婚や出産・育児などでどんな日々を送ってきたかがていねいに聞きとられていました。ご自身も、広島育ちなのだそうです。

今週は、日本産科婦人科医会の記者懇談会がある週で、ちょうど広島の胎内被曝のデータを説明してもらったところでした。データはただの数字。その数字さえ衝撃的な事実なのですが、さらに、その数字に含まれるひとりひとりの母親には、怖ろしい被爆体験や結婚の時に「ピカにおうとる」と言われて味わった差別、「私が子どもを産んでいいのだろうか」と迷いながらの出産など大変な苦しみがあったことがこの記事でよくわかりました。

でも、記事に出てくる方々はみなさん半世紀のあいだ前向きに生きてこようと、幸せになろうとしてきました。そして子宝に恵まれてきました。これはデータもあるのですが、広島では、被曝二世には染色体異常などの増加は見られていません。

でも、広島と較べると線量がまったく違う福島原発の事故さえ、今の母親たちには受け入れることがとても難しいです。それを思うとき、広島にいた女の子たちの、何も知らされず、誰にも助けてもらえずに生きてきた彼女たちの強さと悲しさには、思わず泣けてきてしまいます。
 2011/05/12