15年くらい前まで東京に在住し、外国人を対象に出産準備教育をしていた米国人バースエデュケーター清水ルイーズさんが一時帰国されて、娘と夕食をご一緒しました。
彼女なしには「バース・プラン」も「ラマーズ法」も、日本に、今そういう言葉はなかったかもしれません。本当にたくさんの日本人医師や助産師さんがルイーズさんとの交流を求め、日本にない考えを彼女から学ぼうとしていました。
ただ、本物のコスモポリタンで日本文化を日本人以上に理解していたルイーズさんの口癖は「私はbridge」でした。「私は日本人に、決してアメリカのようにしなさいとは言いたくない。日本人には日本人のやり方があると思うの」彼女の記事を書くときは、安易に日本を批判するような表現は決して許されませんでした。
帰国後は、今度は米国に来たばかりのご家族の生活をサポートする仕事をされていました。今は、めちゃくちゃかわいいお孫さんが何人も、地球のあちこちにいらしてご家族ともども幸せに暮らしていらっしゃいます。
『お産のイメジェリー』翻訳をはじめ本当にたくさんの仕事をご一緒し、そして遠く離れてしまった私たちですが、これからもいつまでもつながっていきます。
2013/10/31