晩産化について発言する機会が多い私は、かつて国家が兵力増強を目的に「早く結婚しましょう、そして若いうちに産みましょう」と言っていた時代の歴史が気になり、折に触れて情報を集めてきました。
戦中・戦後の早婚奨励、多産奨励と今の少子化対策ではどこがどう違わなければならないのかを、常に考えていきたいからです。
結局、今でも「労働人口の減少」「少子高齢化」を避けるために国は少子化政策に晩産化や不妊対策を盛り込んだのですから、実際のところ、その線引きはそんなに明瞭な線にはなり得ません。「いいえ。今の”ライフプラン教育は『産めよ増やせよ』とはまったく違うものですよ」なんて誰にも言えないと私は思っているのです。
ひとつの謎は、あまりにもよく使われる「産めよ増やせよ」というコピーがどこから来たのかということでした。それが、今、母子保健法制定50周年を記念して国立公文書館で開かれている企画展「生まれた。育てた。-母子保健のあゆみ−」でわかりました。内閣府情報局が国策の一環として発行していた『写真週報』昭和17年4月29日号に掲載された「これからの結婚はこのやうに」でした。そこで謳われた「結婚十訓」の十訓目が、以後マスコミで展開されたキャンペーンの典拠となったそうです。
「結婚十訓」
一 一生の伴侶として信頼できる人を選びませう
二 心身共に健康な人を選びませう
三 お互に健康証明書を交換しましょう
四 悪い遺伝の無い人を選びませう
五 近親結婚は成るべく避けることにしませう
六 成るべく早く結婚しませう
七 迷信や因襲に捉はれないこと
八 父母長上の意見を尊重なさい
九 式は質素に届はすぐに
十 産めよ増やせよ國のため
日本では、こうした非人道的な妊娠政策がとられた歴史があり、その終結も国際的に見てかなり遅く、かつ曖昧でした。ですから、長い間、出産年齢や遺伝は、触れなば直ちに反対運動が起きる「タブー」とされて不妊対策が遅れたように思います。
また出生前診断についても検査を水面下に潜らせ、遺伝カウンセリングの整備を送らせる要因となりました。
企画展は、明治から今日に至るまでの母子保健の流れを全体的に紹介していて他にも興味深い展示品がいっぱいありましたが、妊娠教育が各地の自治体で一斉に開始された今、この時期に、戦時下のこの問題が実物をもってわかりやすく示されたのは意義があることだと感じました。 2016/02/17