空手について考える

お仕事をしながらも、どうしても空手のことが気になります。いろいろなことを考えてしまいます。お腹には腹直筋の存在を感じるし(筋肉痛です)。

ともかく楽しかった。したことない、考えてもみなかった動きの体験。ともかくあたたかな方たちだっので、初めての人には楽しさを感じさせてくれた面もあると思うけれど。

と同時に、自分の中で、空手とただの暴力の間に線を引く作業をしています。こんなことを言うなんて、空手を真面目にしている方たちは「礼」をとても大切にしているわけですからとんでもない失礼です。

でも、こんなところまで徹底的な初心者なのです。取っ組み合いの喧嘩などしたことがない一般的な女は、こういうこともわからない。平たい言葉で言えば「私、ぶっちゃったよ。それで、楽しく感じた」と思って、自分のどこかがオロオロしている状態。

私、ヨーガの本をたくさん読みましたが、ヨーガの基本には「禁戒」というのがあり、その筆頭が「非暴力(アヒンサー)」です。どんな本にも、サイトにも当たり前のように書いてあります。

しかし、私にはこれがよくわからず、「ものすごく大事なことらしいが、当たり前じゃん。読みとばしちゃおう」というおはずかしい状態でした。

しかし思うに、ヨーガの成立を考えると、インドのヨーガはヒンドゥー教の一部であり、男性社会。ヨーガは本来男性文化なのです。経済的に恵まれない人もたくさんいるはずですし、暴力を抑えることが切実な場面もあるだろう、と初めて気がつきました。

また連想は飛びます。

ヨーガの日本版とも言うべき「禅」。これは、戦争を生業とする武士のものでした。武士たちは、何を求めて座ったのでしょうか?

そこには、暴力を武道へ転じていくプロセスが、今、私がとても知りたいプロセスがあるはずです。

今日はまだこんなことしか考えられません。ただ言えるのは、人を傷つけ得る自分もいることに気づいて、初めて「人を傷つけてはいけない」ということの重みがわかったということ。2005/03/08