空手について本を読む

空手について本を読む先日の取材帰り、大型書店で空手の本をあさりました。沖縄古伝空手心道流の宇城賢治さんという方が書かれた『武術空手への道』という本を買いました。その冒頭に、前回の日記の答え?と思う言葉がありました。

「武術の歴史をひもといた時、武術とは本来自分を護ることにあり、また敵を倒すことにありました。しかしそのような生か死かという場に臨み、またそのような場を何度もくぐり抜けることによって、武術のあるべき姿は必然的に「戦わずして勝つ」という方向へ導かれていったと言えます。そしてそこに「戦わずして勝つ」を裏付ける術技や心のあり方などの極意が生み出されていったと考えます」

こんな教えもあるそうです。

勝ちに三つの勝ちあり
打ち込んで勝つは、下の勝ちなり
勝って打ち込むは、中の勝ちなり
戦わずして勝つは、上の勝ちなり

宇城氏は、これは命をかけて武術をおこなっていた時代ならではの感覚だと書いています。本当にそうですね。そして、武道が命をかけることのないスポーツになったとき、この極限の技も、精神性も、共に失われたと批判しています。

スポーツでは必殺技を使って相手が亡くなると困るので技が衰え、そして命というものに対峙しなくなったところに精神性の衰えもあったということでしょう。これは、動物の命を取る猟師、漁師たちこそ、動物の魂を感じ、その重みを感じられる人であるのと同じだと思います。

ところで空手は、中国の少林寺拳法が元になり、琉球で確立したものです。琉球はハワイと同じように太平洋の軍事拠点であり、小国が生き残るため、600年前に武器を廃棄し、中立国となりました。

武器を失った琉球の人たちの、自分の身を守る手段として「空の手」で戦う術が編み出されたそうです。究極の護身でしょうか。

今日は空手サンデーの2回目でした。自分の中で少しだけ武道について理解でき、すっきりしたので、娘と元気に行く。

それからうさぎさんを爪切りに連れて行き‥‥ゆっくりお風呂に入りました。

実は、明日から私、断食するのです。

初めてです。このところ初めて続きなのですが、受験も終わり春が来るところで、私としては以前からねらっていたこと‥‥。

ヨーガの先生の指導で、1週間。ちょっと聖なる気分です。2005/03/13