2005年06月一覧

「板割り」しました

お不動様のあじさいまつりに奉納するということで「空手奉納大会」というものをしました。朝からお弁当持ちで、汗ふきふき準備とリハーサル。お弁当も「食べ過ぎは禁物」ということで、おにぎりをちょっとだけです。

午後から、型やボクシング空手の演武などあり、上級者の方たちをじっくり見せて頂くのは大変楽しかったのです。しかし私と娘にとって最大の課題は、ひとりずつ、私たちのような初心者でも挑戦することになっている「板割り」でした。

男性でも手が腫れ上がったなんて聞いていた板割り。割れるか、割れないか。どれくらい痛いのか‥‥なんて考え出すといやになってきますので、ここはあきらめてかかりました。「手は多少折れても1ヶ月くらいで治るだろうさ」。あきらめると不思議なことに、割りたくなるし、当然割れるだろうという気になってきます。

それで私は幸い怪我もなく割れたのですが。娘が割れませんでした。小学生で割れた子は何年かやっている子だけなのでしかたがないのだけど、終わった後、娘は板で顔を隠し、その中で目からはあとからあとから大粒の涙が。

悔しい気持ち、そして、勇気が出なかった自分が見えていたようです。母親としては、同じ気持ちになるのと、そんな気持ちになってくれたのがうれしいのと半分半分で、一緒に泣きそうになりました。

奉納会が終わった後、黒帯の方達が「割って帰ろうよ」と何回か再挑戦させてくれましたが、割れない。「板の手前でスピードが落ちている」と言われました。痛みの記憶が恐怖心を作っているのでしょうか。

板を持って帰ってもいいよ、ということになりました。夕食後、学生時代、武道を少ししたことがあるらしい夫も少し教えてくれて「立ち方」から「気合い」まで練習しました。しかし夫は「少し気合いを出せるようになったけど、まだ割れないと思うからやると怪我するよ。もう少し練習してからやりなさい」と言ってオフロ行ってしまいました。

その後、私とふたりになってから娘が「勇気が出たからやりたい」と言うので板をやってみたのですが、やはり、手が赤くなっただけで割れませんでした。

今頃学校で、赤くなった手を見ているのかな。さあ、この一週間で、娘の気合いは育つか?

<写真>こんな板を割ります。初心者用の薄いもので厚みはちょうど1センチ。日干しをしてよく乾燥させると割りやすくなります。 2005/06/26


時を視る

最近ドキドキして待っていたのは、なんと33年ぶりに参加する小学校の同窓会です。少なくとも大人になってから一度も会っていない人たちばかりだったので。「○○君や○○ちゃんも来るのよ」等といわれても、イメージとして飛び出してくるのは昭和40年代・のびた君にしずかちゃんファッションの可愛い子供たち。なので、会ってしまったら一体どんな感じなのか想像もつきませんでした。

地元・池尻大橋で下車。その前にヨーガ療法学会で取材していたので遅れていった私は、もう一同がそろっていて一斉に振り向いてくれたその顔、顔に、かなり感動しました。「時間」という目に見えないのものを、ありありと見たのでした。

人間にまろみ、深みをぐ〜んと増したのびたくんとしずかちゃんたち。特に男の子たちは小学校はまだまだ成長していない時期にあたるので、半分は誰かわからないくらいだし、とんでもない人間的成長を遂げられていたように感じました。

世のお母さまたち、小学校までは「何でうちの子はこんななんだろう」と思っていても、大丈夫でございます。子供なんてものは、思う道に進学し、仕事して、結婚して、親の手の届かないところで初めて人間になっていくのでありましょう。

担任の先生は、私の10倍くらい運動しているかというとびきり元気な毎日を過ごしていて、教わっていた当時と神秘的なほど変わらず。図書館にも頻繁に通い、私の書いたものを読んでいただいたこともあったそうで、うれしかったです。 2005/06/25


戦前に作られた粉ミルクの宣伝

『愛育』という雑誌で歴史を調べようと愛育病院の図書館へ行きましたら、母乳もミルクのように時間決め授乳がよい、と戦前から提唱されていたことがわかりました。もちろん当時、日本人はみんな「泣いたら飲ませればいいのよ、そうすればおとなくしなるから」方式です。

しかし、医師の中には、「乳児が泣くのはいろいろな理由があるので、きちんと理由を調べなければならない」とか、中には「時間の秩序、意思抑制の躾を成し得らるる」と時間決めをすすめる方まであり、のべつまくなし授乳はやめよ、という流れが現れていたのです。

また「母乳が一番」としながら、不足の目安として体重測定を用いるようになっていくのもこの時代−1930年代の終わり。ここに、ある数値を満たさないと粉ミルク、という指導が始まったようです。

当時は重湯などを足して命を落とす赤ちゃんも多かったようなので、ここで目くじらを立てる気持ちはありません。でも、わからなかった、ということは本当に残念なことです。皮肉なことに、今は、母乳を出す最大のコツとして「泣くたびに飲ませる」が強調されているのですから。

1938年の号に森永ドライミルクの広告がありました。

「噴霧製造粉乳の最高峰 森永無糖ドライミルク
待ちかねるおいしいお乳
ドライミルクは大のなかよし
授乳は四時間ごとに消化よくビタミン豊かな森永ドライミルクをお与えください」

“待ちかねるおいしいお乳”をというところが、泣けます。

4時間もあけぱ、そりゃ待ちかねるわ。「待ちきれずワーワー泣きまくるのは、ミルクが美味しすぎるから」という筋書きは「???」です。でも案外、戦前の愛情濃い母親たちは、本当にこう思って(思おうとして)必死に自分を納得させたのかもしれません。

そして、権力をかさに昔ながらの育児を強要する姑たちと闘いながら、お医者様の言うとおりの新しい育児へと、歩き始めたのでしょう。

なかなか切ない名コピーであります。 2005/06/20


大腰筋エクササイズ

『大腰筋』というインナー・マッスルがテレビや雑誌で話題になっていますが、わかりやすい名前の筋肉です。今や夜な夜なたっぷり半時間もヨガする人になっている私は、「どうれ」と大腰筋のエクササイズもやってみました。「その場で足を90度上げて足踏みを200〜300回」とか、寝て10回足を上げ下げしたりするものです。

ヨガ、空手、大腰筋のエクササイズは、それぞれ使う筋肉は近く健康法ととらえ得ます(空手はちときついですが、まあ、そうとらえられないことはない)。が、まったく違った思想があることが浮き彫りになり、おもしろいです。

面白さで言うと、大腰筋エクササイズは「誰にでもできる」を追究したせいか、単調な繰り返しなのでち−とも面白くありません。ヨガのような快楽物質も出ないので、ヨガをしている人には、ご褒美がない感じ。効果が体型、体力についてのみ説かれているところも、何かこう、即物的でロマンがない。

その点ヨガは、世界平和などを夢見ていますので、壮大なロマンがあります。

その代わり、ヨガはその精神性ゆえ「宗教的でついていけない」と思われたりします。ポーズも、「な、なにしんての‥‥アンタ」と慣れない人をギョッとさせるものが。

空手に至っては、あやしいばかりか、怖がられます。

四方を敵に囲まれながら素手で敵を打ち砕く技ですから大変なロマンですが、これは、まったくもってご家庭向きではありません。狭い家の中で練習すると、家族をどついてしまったりして迷惑きわまりない。上級者の真剣な気合いなんかを聞いた日には、もう。

このように考えると、あやしくもなく、怖くもなく、畳一畳もあればできて、音もしない大腰筋エクササイズは、誠に現代人にふさわしい洗練されたものです。

でも私は、やっばりロマンがないとだめみたい(もちろん、大腰筋エクササイズもよくできていますが!)。 2005/06/16


エレベーターに乗っていた大根

ぬか漬けがおいしくなって漬け物を買うお金というものが要らなくなり、近所の近郊農家の朝市も野菜がいっぱいになり‥‥最近は、安上がりにかつ大変美味しくしています。

1本100円の葉付き大根は特に気に入っていたのですが、それは、ついにおしまいになってしまいました。で、最終日は規格はずれの型をした大根が山積みになりました。

二股大根を買って帰ったのですが、下の子が大喜びしました。「千と千尋の神隠しでエレベーターに乗ってた大根だあ〜」と言って(覚えていますか?確かに乗っていました)。

ジブリ映画は、日本人がかつて自然に目にしていたのに、いつの間にか消えたり、隠されたりしてしまったものを随所に縫い込んでいますよね。 2005/06/09