戦前に作られた粉ミルクの宣伝

『愛育』という雑誌で歴史を調べようと愛育病院の図書館へ行きましたら、母乳もミルクのように時間決め授乳がよい、と戦前から提唱されていたことがわかりました。もちろん当時、日本人はみんな「泣いたら飲ませればいいのよ、そうすればおとなくしなるから」方式です。

しかし、医師の中には、「乳児が泣くのはいろいろな理由があるので、きちんと理由を調べなければならない」とか、中には「時間の秩序、意思抑制の躾を成し得らるる」と時間決めをすすめる方まであり、のべつまくなし授乳はやめよ、という流れが現れていたのです。

また「母乳が一番」としながら、不足の目安として体重測定を用いるようになっていくのもこの時代−1930年代の終わり。ここに、ある数値を満たさないと粉ミルク、という指導が始まったようです。

当時は重湯などを足して命を落とす赤ちゃんも多かったようなので、ここで目くじらを立てる気持ちはありません。でも、わからなかった、ということは本当に残念なことです。皮肉なことに、今は、母乳を出す最大のコツとして「泣くたびに飲ませる」が強調されているのですから。

1938年の号に森永ドライミルクの広告がありました。

「噴霧製造粉乳の最高峰 森永無糖ドライミルク
待ちかねるおいしいお乳
ドライミルクは大のなかよし
授乳は四時間ごとに消化よくビタミン豊かな森永ドライミルクをお与えください」

“待ちかねるおいしいお乳”をというところが、泣けます。

4時間もあけぱ、そりゃ待ちかねるわ。「待ちきれずワーワー泣きまくるのは、ミルクが美味しすぎるから」という筋書きは「???」です。でも案外、戦前の愛情濃い母親たちは、本当にこう思って(思おうとして)必死に自分を納得させたのかもしれません。

そして、権力をかさに昔ながらの育児を強要する姑たちと闘いながら、お医者様の言うとおりの新しい育児へと、歩き始めたのでしょう。

なかなか切ない名コピーであります。 2005/06/20