法隆寺と薬師寺

関西旅行は、旅立ちの前の日記がかっこよすぎたので少しプレッシャーでしたが、やっぱり、背伸びはするものか?夫は奈良出身。それで帰省として関西へ行ったのですが、今年はちょっとがんばりました。

初日から法隆寺、薬師寺を訪ねました。最後の宮大工棟梁と言われた西岡常一さんの本『木にまなべー法隆寺・薬師寺の美』をガイドブックにして、西岡さんが力を入れて書いていた塔、そしてエンタシスの柱と飛鳥のしなやかな木組みが美しい回廊を心に刻みました。

私は関西には親戚が多いので法隆寺は数え切れないほど来ているのですが、今回西岡さんのガイドのおかげで一歩踏み込めて見られたと思います。ここの五重塔は、ぜひ、少し離れて見上げてみてください。大きい、本当に悠々と大きいです。大きな鳥が降り立ったようですよ。この塔は階層によって寸法の取り方をわずかにずらしてあり、目の錯覚を利用して大きさを出しているそうです。鎌倉の若宮大路と同じです。

帰りがけ、西岡さんたち法隆寺を支えてきた職人さんが住んできた西里の町を少し歩きました。ここは法隆寺のすぐ隣にある道の細い一角で、西岡さんはこの町で、やはり宮大工の棟梁だったお父さんにさんざんこづかれながら技と心をたたきこまれたようです。

その西里の、竹藪が見え隠れする道筋を行くと、不意に、液晶大画面のテレビがそこに置いてあるような光景に出会います。それは法隆寺に横から入る門なのですが、まるで里の空気を切り開いて作った異空間の額縁のようでした。

こんな感じが、お寺の「結界」なのでしょうか。黒い日傘を差した女性が、スッと門の中へ入っていきました。すると、その人は別の世界の人になってしまうのでした。

続いて行った薬師寺はなぜかふたつの塔があったというお寺ですが、長い間西の方が失われたままでした。西岡さんは、法隆寺五重塔の修理で学んだことをこの西塔再建に注ぎ込みました。

朱に塗られたこの新しい塔は、730年に建ったという黒い東塔とのバランスの中で、お寺が決して過去の財産を守っているところではなく現役の存在なんだということを教えてくれます。現代人もやるなあ、今、今と現在進行形でがんばっている人が一番だな、と勇気がもらえる「再生(=REBORNかな?)」を感じさせるお寺でした。

帰りは、遠い昔に国のメインストリートだった国道を飛鳥方面に走りました。ひたすら直進なので睡魔が襲います。道路沿いには、行けども続くロードサイドショップ。経営不振なら、数年で消えてしまう。これが現代の時間の流れ方です。

そんな時代にも、千年、二千年という時間でものを考えて仕事をしていた西岡さん。西岡さんたちの仕事は、作るものが千年持たなあかんのです。薬師寺に作った西塔が、千年後に、東塔より早く沈んだりしてはいかんのです。そういう時間の流れ方で勝負している人は、どれだけ発想が違うのだろう。この日は西岡さんデーでした。 2005/08/10