ある少年が受けたヨーガ教育

インドから日本を訪問中のバーバさんというヨガの先生にお話を聞く機会がありました。42歳ということですがまだ30代で通りそうな、とても若々しい男性です。

お父さんがヨーガの先生だったバーバさんが瞑想の練習を始めた時、彼はわずか5歳だったそうです。インドには108の玉をつないだお数珠がありますが、神様の名前を一回唱えてはこれをひとつずらす「ジャパ」が最初に命じられた練習でした。

途中で根気が切れますが、お父さんの指導はとても厳しかったそうです。インドでもこんなことをさせられる家庭は多くなく、「僕のお父さんはアタマがおかしい」と思いながらも毎日、毎日ジャパを続けたバーバ少年。やが一年が経過するころ、苦しさはなくなり、習慣として身に付いたそうです。

瞑想の坐り方をするようになったのは、十代になってから。インドにはたくさん神様がいますが「どの神様が好きか」とお父さんに聞かれました。その神様の肖像を見つめ、そして目を閉じ、眉間あるいは心臓のチャクラがある位置で描き出すという練習が始まったのです。

クリシュナを選ぶと、お父さんは「では、お前をこの世に送ってきたのはクリシュナである。クリシュナは、おまえが人の役に立つように願ってここに送ってきた」と言い、「クリシュナからこんなに遠く離れてしまったことを悲しく思って泣きなさい」と命じました。そして本当に涙を流さなければならず、涙が乾くと「ピシ!」と痛いのが飛んできました。バーバ少年はそんな父親が怖くて泣いていました。

バーバさんが、こんな厳しいお父さんのヨーガ教育に感謝するようになったのはずっと大きくなってから。回りに較べて集中力、記憶力が高かったので、学業がとても楽だったし、スポーツをしてもすぐに世界大会へ出場するほど早く上達しました。

しかし、しかしヨーガでは、優れることは、ほんの土台作りに過ぎない。ここからが考えたい部分です。彼が、クリシュナを思って泣け、と言われたのは何だったのか?日本人は、ここからの部分を「ヨーガのあやしい部分」といって警戒し、だから神様のカの字もないヨガ教室でないと流行らない訳ですが、ここからがヨーガの醍醐味に入るのだと思います。

彼の言葉では「自分を捧げる気持ち」をたたきこまれたということです。「アインシュタインはものすごい集中力を持っていた。でも、ピュアな集中力とは神様への集中力。クリシュナは私をピュアな状態でここに送ってくれたのだから、私はピュアでいなければ彼のもとには帰れない」インド人でなければインドの神様を思うことは難しいが、どんな神様でもいいし、日本人なら富士山のような自然でもいいということです。

ヨーガはあの世に帰っていくときのことを目的としているところがあり、とすると、バーバさんは5歳の時から死の準備をしてきた、ということになります。

この日はインドのヨーガに触れることができた大変興奮する経験でした。もっともっと大変なスケールのお話があっていつかじっくりと書きたいけれど、今の私にはまだまだ。ヨーガは、追えば追うほど深遠な顔を見せ、届かなくなります。 2005/10/13