父母という男女

朝、ヨガへ。中央線に乗って行くと、多磨霊園に近い武蔵境のあたりで涙があふれて、電車の中で止まらなくなってしまいました。

昨日は葬儀でお世話になった牧師さんに来て頂いて、埋骨式をしました。武蔵野の面影を残す大きな木がたくさんある多磨霊園。それはそれはいいお天気でした、今日とまったく同じように。目を閉じると多磨霊園の大きな木と大きな空がさーっと広がり、そして陽の光があふれます。

実は昨日は、私はお墓や式の準備、打合せまですべてひとりでしていたので、まるでイベントの本番日みたいに何も感じる余裕がありませんでした。何か不備はないか、運転を間違わないか、参列してくれた10数名の親戚が何か困っていないかとか、そんなことで頭が一杯一杯になっていました。でも、昨日と同じお天気が、昨日できなかったことをさせてくれたみたいです。

私が継承することになったお墓は、今まで父の名前と日付が一行彫られているだけでしたが、母の一行が加わって2行になりました。2人の名前が安らかに並んでいます。

やはり、自分のお父さんとお母さんがこの地上から消えてしまい、石の証しだけになった姿は悲しいものです。

でも、もうひとつ不思議な感覚も訪れるのです。この2人が今お墓の中で一対の男女として眠っているということは、私は、自分が生まれたところを再び手にしたように感じます。夫はどういうかわかりませんけれど、自分にもいつかその日が来たら、来たところへ帰りたいと思ってしまいます。

第二次世界大戦後の復興期、国立公衆衛生院の職員だった母は職場のフランス語サークルに参加し、そこで講師に招いていた父と結ばれました。写真で見ると、当時の2人は娘の知る両親とは結構かけ離れた大変なおしゃれをしていました。

2人は長い間仕事優先で暮らしていたけれど「やっぱり子どもを」と母34歳・父44歳で私を産んでくれた。子どもメインの人生ではまったくなかった2人なのに、本当によく私を産んでくれました。

<写真> 私が生まれる前の父と母。昭和30年頃の撮影だと思います。 2008/10/18