久しぶりの断食

久しぶりに断食していました。今朝から復食です。復食の始まりは十倍がゆとお味噌汁のうわずみのみ、それぞれ半わんずつを朝、昼、夕といただきます。

復食の初めてのお食事は、それはそれは美味しいです。小さく死んでいた自分の中に、太陽が昇って行くようです。それは、お箸を運ぶことで、自分の中に太陽を昇らせていくのです。

断食は、経験者の方はご存知でしょうが実は気持ちがいいもので長くそこにとどまっていたくもなります。でも、それでは自殺になってしまう。食べないことにはふたつの道があると思います。ひとつは死への道、そしてもうひとつは一度は死へ向かいながら途中で踵を返して再び生に帰り、その時に普段は見えない生の輝きを再発見することです。後者を意図的におこなうことを断食というのではないでしょうか。

私がやっている断食はヨガに通いつつ普段の生活を続けるというもので、期間は一週間です。不思議なことに食欲は決心した途端になくなり、つらいというものではありません。ただ、いきなりぷっつりと食を絶つわけではありません。断食に入る前々日から少しずつ食べる量を減らして、初日と二日目、最後の二日間はごくわずかのおかゆは食べますが中二日はお塩と水分のみです。

私が初めて断食をしたのは『未妊ー「産む」と決められない』を書いていた時でとてもよかったので、この度は次の本のために、そしてこれから私が長く書き続けられるための礎を築きたいと思って久々にやりました。

復食では、食べることこそ生きることだと感じます。生きて、食べて、それも誰かと一緒に美味しいものを食べる喜びは最高ですし、ひとの生きる喜びそのものだと思います。

生きることとは、何かを人よりうまくやらなければともがくことではないと感じます。ただよく食べて、深く眠り、人を愛しているいうこと、それがよく生きているということであって、それに心置きなく心を込めてよいのだと教えてもらうのが私にとっての断食です。私が人生で担っている「仕事」も、自分が生きている基盤が固いほど豊かに、その上におのずと実るものだと思います。

世界中で、ひとは食べ物をまん中にして集まりますが、たぶんそれは食べることが生きていくということの源だから。

三月の断食。

もう一度生きていくということ、その太陽が上がるような気持ちは、これから芽吹いてくる草木も、今、芽の中でじっと感じているのかもしれません。
 2014/03/16