今も下町の情緒を残す東向島で親子二代のお産婆さんとして活躍され、一万五千人の赤ちゃんをとりあげた福岡光子さんが93歳で亡くなられました。
ほとんど人が家で生まれていた時代のお産婆さんが何をしていたか、その時代を頭や観念ではなく、リアルに知るだけに私の青森での体験を誰よりも理解してくれた方でした。
27年前に私が書いた、地域のお仲間と一緒に「お産婆さんの知恵」座談会をさせて頂いた記事(『P.and』1988.6)をUPします。「くの字がふたつ」という添い寝の教え方とか、仕事に出て行くときの母乳のやり方とか実践したの思い出します。そのほかにも手がガタガタ震える非常時でもさっと子どもをおぶえるのが兵児帯なんだとか、えりをつけて和服として産着を着せる方法とか・・・しばらく忘れていましたが今見返すと、本当にひとつひとつが産み育てながら働きに働いてきた女性から新しいお母さんへの愛しい子育ての知恵です。
ありがとう。福岡先生。お名前のとおりの光り輝く笑顔と私の仕事のスタートに大きなパワーとをいただいたこと、いつまでも決して忘れません。 2015/10/04