高崎順子さん講演「フランスの子育てのヒントを日本に生かすには」(育児情報誌miku主催 @筑波大学 東京キャンパス)は、あっというまに満席となったことが残念でしたが、来ていただいた方は懇親会まであって親密な雰囲気のうちに終了。
フランスの家庭政策が豊かな財源とシャープな政策ですばらしいらしいことは誰もが知るところですが、その具体的なところはなかなか知る機会がありませんでした。高崎さんという取材して書ける方がパリで子育てをされていて、かつ新潮新書『フランスはどう少子化を克服したか』の上梓などで日本への情報発信に燃えておられることは、しみじみすごい幸運だと思われるのです。
しかし、お話を聞けば聞くほど、何かが根底から違うという感覚がつのったりもしました。
高崎さんのまとめるところによると、それはふたつ。
ひとつは、フランスは子育てを大変なことと考えていて、親だからできて当たり前と考えていないということ。
産んだから子育てができて当たり前ではなく、産んだ人が親になることを教育・準備の機会を提供することで応援し、その後も親であり続けられるように図っていく必要があると考えられていること。
親を過信ししていないということでしょう。現実的です。
親への経済的支援や無償教育については、あまり時間がとれなかったので、それはまたの機会にもっとご紹介いただければと期待します。財源は国の税金だけではなく企業の出資によるファンドのようなものがあるようで、これをいかに維持できるかはマクロン首相の課題のようです。
しかし、もちろん国家予算の使い方はすさまじく、医療費を除いた6歳以下の子どもへの公的支出は4兆176億円と日本の0.7兆円の約6倍。会場から、そんなに子供にお金を使って老人は怒らないのかという質問が出て興味深かったのですが、フランスではそれは比較の対象になっていないとのこと。子育ての費用は聖域化しているようでその二者の「取り合い」という構図はないというのが高崎さんの回答でした。
では日本ではなぜ子ども対老人の対立論となりがちなのか。
高崎さんからは、日本では子どもと老人が生産年齢人口からはっきり区別されているので(二大お荷物という感じ?)、比較されやすいのではないかという指摘がありました。
私は、日本ではたまたま少子化、高齢化の急激な進行が同時期に開始したこと、それから、フランスは、子育て支援は福祉とは区別されており、お金をかければその分、国の利益となって国に帰ってくるもの=確実にペイするもの、という理解ができていることがその違いを生んでいるのではないかと考えます。
少子化問題については、日本の育児の大変さを身に染みて知る者として、出産ジャーナリストと名乗っている者として黙ってはおれず、私も助産師さん向けの雑誌に一年ばかり記事を連載したことがあります。
しかし取材してみて、そのあまりに情けなく悲しい歩みに私は呆然とし、思わずこの問題に継続的に取り組むエネルギーを失ってしまっておりました。なぜ、日本の政策はフツウの親たちの切実な声が反映されないのだろうと・・・夫婦にできることと言えば産まないことだけではないかと。
でも高崎さんの登場で、新しいエネルギーが湧いて来た気がします。
2017年8月24日