帰京する寸前、私は京都駅に近い和ロウソクのお店で和ロウソクを買いました。でも、欲しかったから買っただけで、うちにはお仏壇はないのです。私が育ったうちにも、父は長男でしたが仏壇はありませんでした。
ひとりで暮らしていた父方のおばあちゃんが95才で亡くなった時、持っていたお仏壇を父は引き取ったのです。でも、お線香のにおいが好きでなかったし、家が狭かったこともあって、母に「押入にでも入れておけ」と言ったのでした。
おばあちゃんの遺影も、壁に掛けたがりませんでした。「写真を見ていると、自分の中のその人の存在が写真になってしまう」と言うのです。いつも同じ顔をしている紙に過ぎない写真より自分の中の母親を大切にしたい、という父の気持ちはよくわかりました。
そんなわけで、私が二十歳のころ父が死んだときも、線香嫌いで「戒名など意味がない」と言っていた人にそういうこともできなくて、うちは、このときも仏壇を設けず、写真も飾りませんでした。
「蘭ちゃんち、不思議やなあ。お父さん死んだのに、どうして仏壇ないの」帰京する日、姑と京都駅のそばでお茶を飲んだとき、ふと、そんな話になりました。
そう言う風に理由を問われれば父の話をするしかないのですが、また改めて、父のあの言葉の意味を考えてみたい気がする、そんな旅の終わりでした。父は大正時代の美濃の大きな家で育った人なので、仏教の中で育ったに違いないのです。
でも、あれが、父の考えた、故人とのつきあい方だった。誰にも型にはめられない思い出だけを、ひとりそっと大切にすること。決して仏壇や戒名やその他の形式ではなかったのです。
帰った夜は、蝉が夜中まで鳴いていました。ああ、まだ夏なの?お盆は終わったのに?と思っていたら、次の夜、もう蝉は鳴かなかったのです。そして、小さな秋の虫の声が聞こえ、それが毎晩、クレッシェンドしていきます。 2005/08/22