母乳史の取材で、岩波新書『母乳』の著者であられる山本高治郎先生を湘南のご自宅にお訪ねしました。御年88歳です。
『母乳』は、私が母乳の名著を一冊選べと言われれば迷うことなく選ぶ一冊です。それで長く尊敬申し上げつつ、しかし近づきがたいほど尊敬申し上げてしまったので、お会いするのは今回が初めてでした。
山本先生はフランス語に堪能で、かつてフランス小児科の権威ルロンの著書『育児学』を翻訳されました。この本でルロンは自律母乳を当然至極のこととして記し、管理的な授乳こそ科学的だと思っていた日本の専門家の目を覚ますひとつのきっかけになりました。
なぜ山本先生がフランス語ができたかというと、東大の恩師に「私は英語、フランス語、ドイツ語の三カ国語ができない者は大学生扱いしない」と言われたのだそうです。なんという学習環境。その恩師とは、今では詩人として知られる木下杢太郎でした。当時の東大医学部は第二文学部とさえ言われたそうです。
でも山本先生自身は、時間決め授乳にははじめから疑問をもっていたそうです。それは、農村に育ち、ご自身のお母さんや近隣の女性の母乳育児を見ていたからだそうです。
母乳育児のやり方かおかしくなったことについて、山本先生が繰り返しおっしゃったのは「母乳だけの話ではありません」ということ。「私たちはどこから来たのか。どのように作られたのか。今、私たちはみんなそれを考えて、反省しなければならないですよ」
おいとましてから、この「どこから来たのか」「どのように作られたのか」というふたつの表現が、何度も頭にリフレインします。こうした、言ってみれば宗教的なものの見方ができるかどうかで、現代人は二派に割れている気がします。
母乳は、かつては生存への唯一の道でしたが、今では粉ミルクでも明らかにちゃんと育ちます。その時代にあって「母乳がよい」と言うことは、かつてとはまったく違う意味を持ってきた。
それは、やはり自然に対する謙虚さ、あるいは畏れを感じるかどうかということですね。もちろん身体の問題としてさらに追究していくことは大事ですが、本質的にはその人の哲学ではないかと思いました。 2005/09/16