今年の金木犀

金木犀の花が道に落ち始めました。今年の金木犀の季節には1つの偶然があって、思い出の年になりそうです。

そのうち読もうと本棚におきっぱなしにしていた『むかし卓袱台があったころ』という久世光彦さんのちくま文庫を手にとって読み始めたら、金木犀が幾度となく登場するのです。読み始めて翌日くらいだったか、ふと夜中に、わが家の庭の金木犀に白い雪のようなものがついているのを見つけて(夜、金木犀の花は白っぽく見えますね)、今年も金木犀の季節になったことを知りました。

この本は『室内』誌に掲載されたエッセイを集めたもので、久世さんが子ども時代に住んでいた日本家屋の描写が繰り返されます。カメラがなめとるような映像的表現で、久世さんは文学少年だったけれど、やっばり映像文学少年だったんだなと感じました。

阿佐ヶ谷にあったというその「薄明かり」のある空間で、金木犀の部屋で、自分がお産婆さんの手によってこの世に生まれたときのことを久世さんは繰り返し想像して楽しんでいたようです。その緊張や不安を。産声と共にそれが喜びに変わって家族が1人増えるという強い連帯感を。久世さんはともかく家や、家から感じる庭の光や草木が好きで、特にそこで起きる誕生そして死をいつも想像していたようです。

今年の金木犀の季節は、久世さんの文章の余韻と共にこの花と過ごしたのです。 2007/10/16


二学期始まり

娘がちょっと成長して無事に帰国し、私も9月の原稿ラッシュの中に身を置いています。やっと入稿し始めたところ。ひとつ気持ちが落ちつきました。

また今朝は、やっと夏休みが終わってくれ、早くに朝の家事が片づくようになりやれやれです。小学生はとっくに始まっていますが、大学生ふたりが今日からです。息子は今日から幼稚園に実習へ。

日記を書いていない間にたくさん、たくさん取材していました。倉敷の日本初の院「外」助産院であるさくらんぼ助産院へ行き、関西で有数の分娩数を誇る病院2件のドクターにお会いして最近の状況などお聞きし、横浜せりえ鍼灸室のご夫婦に取材して癒され、高齢出産のコメントを多様な方々にお聞きし、そして産科閉鎖をした病棟の助産師さんの集まりに参加させて頂き現場の声をたくさんいただきました。

またこの間に奈良で未受診の妊婦さんが搬送を断られ続けたという報道があり、各紙の新聞記者の方々といろいろお話ししました。昨年は、たくさん産科危機の報道がありましたが、今はそのキャンペーンがひととおり終わったかのような状況。

しかしキャンペーンの結果、産科医の大変な状況への理解は形成されたものの、若い医学生には産科への警戒心が強まったのか医局入局者はさらに減り、産科医が大変な状況を変えるための目玉政策であった集約化には「集約化してきたがもう限界だ」という声が出始めています。そして、あいかわらず、助産師に正常出産を担ってもらい医師がハイリスク出産を担う力を取り戻そうと考える産科医は少数派です。

つまり今後、産科医は減り続け、集約化による産科閉鎖は続き(産科閉鎖が盛んに報道された頃より今の方がずっと減っているでしょう)、閉鎖された産科病棟ではますますたくさんの助産師が内科や外科や小児科の看護師さんになり続け、そして生き残ってしまい分娩が一気に押し寄せている病院では大変な状況が続きます。 2007/09/10


アジア性教育学術会議

週末はアジア性教育学術会議というものに参加し、『未妊−「産む」と決められない』で取材したことを発表しました。この夏〜秋は未妊について話す機会が続いています。

性教育をおこなっている教師、養護教諭、医師、助産師さんたちに、若い日に妊娠を上手に避けられた人たちがその後いいタイミングで妊娠しているかというと必ずしもそうではなく、妊娠力は時間と共に劇的に変化するということを「誰も教えてくれなかった」という思いを持ち不妊、未妊に向き合っていることをお話ししました。

状況は中国や台湾などアジアの国々でも女性の変化は似通っているようでした。中国語同時通訳チームの女性たちが「そうなの!そうなの!」という感じで思いっきり反応して聞いてくださったのが印象的でした。「産みたくなったら産めるための教育、ぜひ取り入れたい」と言ってくださった高校の先生もいらしてうれしかったです。

バッシングの中を闘っている方も多く、私には普段とは違う分野でもあり新鮮な学会でした。そして、今ヨーロッパで冒険中の娘が行っていた高校の担任だった先生に声を掛けられてびっくり!性教育で有名な高校だったので当然と言えば当然なのですが。「ひとりで行ってしまったんですよ〜」と先生に泣きついてみてもしかたがないのですが、聞いて頂いて少しホッとしました。

昼下がりの学会会場で娘からE-mailが入りました。「朝は教会の鐘が鳴ります・・・」向こうは朝らしいです。中世に迷いこんだような町ばかり巡っているようです。

これから9月にかけて雑誌の仕事がかなりの忙しさ。でも、どうしても娘のことが気になる・・・でも、親として承諾し、出してしまったものはしかたがありません。

子育ても大変だけど、子離れも大変でございます。 2007/08/19


旅立ち

きょうは何となく寂しい気持ちでいます。一番上の娘が1人旅で欧州へ行ってしまいました。海外は初めてなのに。ユースホステルばかりを使ってのチープな旅。3週間近くもまあ・・・よく勇気を出してがんばったと思います。今はただ、彼女の挑戦を応援するばかり。

この子をおいて海外取材に行ったことはあっても、子どもに国の外へ行かれるのはものすごい距離感を感じます。こんなに遠くにいるなんて今も夢を見ているようです。こんなに遠く離れていることがすごく不思議なのです。こんなに気持ちになるなんて子どもはやっばり自分の一部なんですね。

私がいつもの食卓でご飯を食べているのに、自分の一部は地球を感じることが出来る高い空にいることが不思議なのです。飛行機はそろそろヨーロッパの上空にさしかかるころです。 2007/08/15


『助産師と産む』発売

『助産師と産む−病院でも、助産院でも、自宅でも』(岩波ブックレットNo.704)が7月5日に発売になりました。どうぞよろしくお願い申し上げます!

ブックレットという薄い本ではありますが、かなり時間をかけて書き、ビジュアルも大切に作れたのではないかと思います。表紙の写真は、私が撮りました。ファン助産院のスタッフの方が、入院中のお母さんと赤ちゃんと写っています。やっぱり助産師の写真は、お母さんと一緒でなくちゃ、ね。表紙に私の写真が使っていただけたたのは、二十歳そこそこの頃『宝島』で佐野元春を撮って以来のことです・・・って、いったい何年前の話でしょう。

扉をあけたところには、以前に助産師会が作成して今はなくなってしまった幻の名作パンフを入れさせて頂きました。助産師とはどんな役割かを、山登りを手伝うシェルパに例えて描いたものです。

先ほど、読売新聞大阪本社で産科閉鎖のことを追ってきた記者さんが参院選がらみの記事でコメントをとりに来てくださったので、手渡しでの初贈呈。

たくさんの方にお世話になった本です。総勢80名くらいの方々に取材させていただき、今年の春はこの本だったなあ、という感じです。

そして季節はめぐり、夏が来ようとしています。明日は娘と空手の夏季合宿なので、これにて身体が生き返る予定(どうか予定に終わりませんように)。スッキリして、じっくり本のお披露目を考えようかと思っています。

Amazon.com
『助産師と産む−病院でも、助産院でも、自宅でも』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4000094041%3ftag=aajg-235-22%26link_code=xm2%26camp=2025%26dev-t=D25OJMUS00TSQ3
 2007/07/06


大学病院の一日

梅雨空の中、『助産師と産む−病院でも、助産院でも、自宅でも』の最後の校正をかばんにつっこみつつ、「AERA with Baby」のための大学病院の取材で一日過ごしました。

私はやはり助産院な自然出産の病院に出入りすることが多いので、大学病院の一日は現実の厳しさを感じるものでした。大学病院と助産院では、産みに来る女性たちの陣痛に対する不安がだいぶ違います。病院でも不安を乗り越えるための夫立ち会いやクラスはおこなわれていて、それを役立てうまく陣痛の波に乗っているカップルもいらしたのですが、やはり全員ではない。

この病院では、私がいつも麻酔のことを教えて頂いている周産期麻酔の専門である麻酔科医の照井克夫先生がいらっしゃるので、硬膜外麻酔もさかんにおこなわれています。麻酔の効きはすごいものがありました。そのかわり陣痛が弱くなりがちで、赤ちゃんを器具で引き出す鉗子分娩になる人が多いのですが、それでも、かなり陣痛恐怖の強い方が選択しているのでそれは納得していらっしゃるようでした。

照井先生は、日本の温かい医師ベスト10に絶対に入るか?と思ってしまう優しい先生で、この方の存在自体が麻酔のような、まるで「人間麻酔」のような方です。麻酔をした人はいきみが難しいのですが、照井先生が分娩室に現れバッ!と産婦さんに寄り「よくがんばりましたね」と手をしっかり握る姿には感動しました。無痛分娩は全く痛くないわけではないし、もともと出産不安の強い方がしているので麻酔が効いたあともお顔は不安な感じなのです。

こわい、こわい、と思いながら産むのも現代ではしかたがないかもしれません。お産の時だけ身体的になれ、という主張は、やはり一部の人にしか届かないものだと思っています。通常の会陰切開より大きい鉗子分娩の裂傷を引き受けるのなら硬膜外麻酔という選択もあるかもしれません。産後は分娩台で二時間赤ちゃんを抱いているのですが、その嬉しそうな安らかな表情は自然も無痛もないように思われました。

そして「自然に産む」ということがいかに難しいか、痛感。
 2007/06/15


『助産師と産む』脱稿しました

昨日、やっと岩波ブックレット『助産師と産む−病院でも、助産院でも、自宅でも』の本体がかたまり組む段階に入りました。週末に1校が出てあとは細かい仕上げでできあがりです。

今朝はぐーんと気持ちが落ち着いて、仕事も、家の中も、いろいろな仕事片づけたいモード全開です。朝からおなべをがんがん洗いました。

日記を見ますと、4月7日の日記で「ブックレットに集中し始めてきました」などと書いてあるので結構長くやっていました。今の助産師さんは論争の激しい微妙な問題が多いので、それが、時間がかかった最大の理由だったと思います。あちらにもこちらにもお待ちをいただいてしまった5月でした。

それでも朝日新聞育児ファイルの連載も続けられ、めでたく今週で最終回にこぎつけます。季節も最高だし、ともかく今朝は「やったー」という気分でいっぱいです。 2007/05/23


ちょっと脱出

かなりブックレットに集中し始めてきました。といってもまもなく締め切りです。そんな週末、朝6時に家を出て春の海へ。三浦半島の突端・城ヶ島まで行きました。

城ヶ島の灯台を仰いで磯へ。人体の中、肋骨あたりをを思わせる大きな岩が連なっています。きれいな海水がそれを洗っていきます。そこに寝てお日様を浴びて、そして目を閉じて、空と海と水の音を聞きました。

ここでは、波の音が風の音にそっくりなことに気づきました。岩が形作るたくさんのくぼみに水が入り、ぐるぐる、ぐるぐると回って、水のつむじ風?水と風と太陽をたっぷりと吸収してきました。

入船という海に面するお店で朝ご飯。「朝の風を入れてあげるわねー」と、お店のおばさんが窓をあけてくれると優しい風がさーっと入ってきました。まもなく頭と尾がビクビク動くアジのたたきができあがり、子どもと必死に「いただきます」と手を合わせます。

おみやげに、お店の前に咲いている花を株分けしたサザエの植木鉢をいただいて感激でした。 2007/04/07


釜石と遠野へ

岩波ブックレットのために、長野続いて2回目の地方取材に出ました。今度は岩手です。産科医不足の県として全国的にも厳しい状況の岩手は、行ってみると確かにものすごく広い。四国がすっぽり入るとか、関東の4県が入るとか言われています。

新幹線を新花巻で降り、山間を縫って走る単線の釜石線に乗りました。前日は25度の陽気だった東京から一転して花巻は雪です。雪の木々の間を1時間ほど行くと仙人峠という険しい峠にさしかかり、そこを超えるとがらりと気候が変わって明るい海の町に出ました。三陸の海の幸に恵まれた釜石の町です。

今回の取材のメインは、ここにある県立釜石病院副院長の小笠原先生と、仙人峠の向こうの遠野市を光ハイウエイで結んだモバイル妊婦健診です。

遠野市は市内で出産が出来なくなってから5年が経過しています。そこで通院の負担を軽くするため、遠野市が市内の開業助産師さんを臨時職員として妊婦健診を始めたのです。紀子さまが使ったのと同じ機械を使って遠野でモニターをとると、それが釜石の小笠原先生のところへ飛びます。それから小笠原先生が画面に現れ、「心配ないですネ」などとテレビ会議のように妊婦さんと会話を交わします。

遠野市は、妊婦健診や産褥入院ができる市営の助産院設立に向けても動き出しています。産科医が来るという望みが非常に薄い遠野。市の力で、子どもたちが生まれてくるのを護ろうとし始めているのです。

遠野が気になりだしたのは「医師が来てくれたら馬をプレゼント」という呼びかけをしていることを知ったときでした。そのユーモアセンス、さすが「遠野物語」の町だと思っていたのですが、ついに行ってしまったのでした。

ちなみに遠野は、菊池さんと佐々木さんが全市民の姓の4割近くを占める町でした。だから市の職員さんたちも「○○さん」とファーストネームで呼び合っていて、私にはこれがとても印象的でした。男性も女性もそうなのです。

これこそ現地に行かなければ知ることがない事実でしたが、人と人の距離感を絶対縮めているのではないかと、勝手に確信いたしました。何でもないことのようですが、東京を出ると、そんなところに人間力を感じます。 2007/03/31


春分の日の朝陽

「すごい!明日は春分の日だ」と、その夜、穂高の助産院「ウテキアニ」にいた私はトツゼン気づいて、嬉しくなってしまいました。20日、21日と長野取材に出ていた時のことです。

私は、取材の段取り中、春分の日のことなど何とも思っていませんでした。情けないことに、「あー忙しい、忙しい。この忙しいのに週の真ん中にお休みがあるなんて」と思っていたくらい。それが、長野に入り、アルプスを見て冷たい空気を吸っているうちに少しまともになったのでしょう。

ウテキアニは、氏神様の鳥居の真ん前に、参道に面して建ち、ふりむけば北アルプスの全貌を欲しいままにするという大変な立地条件の助産院です。ここの主・高橋小百合さんは私の非常に古い友人なのですが、この度初めておじゃましたのでした。

間近の神社の真後ろから、思った通り、春分の日の太陽は昇ってきました。ただ、地平線は、お社で見えないのですね。でも、少し上ってくれると、正面から朝陽が見えてきました。

鳥居からまっすぐに、朝陽は穂高の山々を照らしました。まっすぐにまっすぐに、春分の日というバランスの日の朝陽。

美しかった穂高。今も目を閉じると、それだけで瞑想に入っていきそうです。大糸線という「北アルプス線」に乗って長野から佐久へ。そこでは、在宅での看取りを20年以上続けてこられた先生にインタビューさせていただき、またまた命の洗濯をさせていただきました。 2007/03/23