サクラサク

やっと息子の大学受験が終わりました。何とか第一希望のところに入ってくれて、やれやれ。

本当に、保育関係の学部に行ってしまった息子。子どもの命をあずかる責任の重さと、食べていけるの?と思われる待遇のミックスである保育士さんの仕事。やりがいをすごく感じる人と、あっという間にやめてしまう人がいるのも特徴かもしれません。ともあれ、自分が進みたい道を具体的に見つけてくれたのだから、そこを本気で歩いて欲しいと思います。

ひとつ、この息子が保育士に興味を持った背景として、私には思い当たることがあります。それは、私たちが世田谷の太子堂に住んでいた時、当時二歳だった息子は、「あそびの会」というとてもユニークな自主保育に通っていました。経営者の石川由喜夫氏は信念を持った保育者で、野外活動で組み立てられた徹底して遊び切る保育をしていました。

ともかくとんでもなくたくさん歩くのです。二歳児だって1時間は歩かされました。世田谷区、目黒区あたりのたくさんの公園が会の活動の場でした。ちょっと歩いては「だっこー」の時期ですから、これは信じがたい光景でした。しかし子どもというものはやる環境にあればやってしまうし、劇なども就学前の子たちとはとても思えないものをするので、保護者たちは涙、涙の感動だったという記憶があります。一学年10人の小さな小さな保育でした。

転居してしまったのでこの生活は一年で終わってしまいました。二歳のことで、息子には記憶がないそうです。

でも、合格が決まるにあたって、あそびの会のアルバムを出してきて見せました。どれだけすごい保育をいただいていたか、話すならこのときしかないと思いました。そしてネットで調べてみたら、とすすめたら、なんとあそびの会が今でも同じ活動を続けていると知り、すごく嬉しくなりました。

息子には意識下の財産ですが、これが目を覚まして何かを起こしてくれるといいなと親としては期待です。 2007/02/11


センター試験のあるウィークエンド

雪の日が多い毎年のセンター試験だが、今年は曇り日だ。うちの2番目もこのセンター試験に挑戦するひとりだ。

朝のニュース番組で「今日、センター試験」と流れ、女性アナウンサーが「受験生の皆さん、がんばってください」と言うと、「えへへ、応援してくれてるよ」と喜ぶ息子。

男の子というものは、応援の仕方が難しい。うまいものでも食べされるくらいしかできない。あとはボタンが取れている服のボタンをつけてあげた。本当にそれくらい。でも最後に、出かけたあとで携帯メールを送ってしまった。「英語は主語、述語、その目的語をしっかりおさえ、飾りの部分にまぎらわされるな」われながら、よけいなお世話だ。

夫は最近海釣りに誘われるようになり、今日も午前三時に房総へ出かけていった。週末に仕事ができるのはありがたや。それに、夫はいないけれど子供はいる、こんな土曜日は子供と向き合うには好都合の一日だ。

息子が出ていってから、一番下の娘がめちゃくちゃうれしそうな顔をして仕事部屋に入ってきた。「私、今、すごく幸せ」何で?と聞くと、「最近、ずっとラーメン食べたくて、それからメダカ飼いたくて、それをしているところ考えたら、ものすごくうれしくなっちゃったのぉ」それって、イメジェリーじゃ….?本当に、全身にふわふわした喜びオーラがただよっているような。

お昼ごはんがこの子とふたりなので、ラーメン屋さんに繰り出してあげることにした。ちょっと淡水魚をおいているショップも近くにあるにはあるのだが、行ってしまったらやばい、今日の気分ではこのリスクは非常に高い。彼女は一ヶ月くらい前からメダカの話をしているのです。ともかく、ラーメン屋さんへ行ってきます。

出がけにE-mailチェックをしたら、岩波書店からの嬉しいお知らせが入っていました。かねてより担当編集者の方とやってきた本の企画が正式に了承されたのとこと。

私もがんばろう。息子よ、あんたもがんばれ。試験。 2007/01/20


裸足で走る

子供と通っている空手同好会に新年恒例の行事があり、それは高幡山を走って八十八のお地蔵様にご挨拶して回ること。もちろん、裸足で、です。ジャリジャリですので山に入って1分くらいは「私、何してるの?」と自分がしていることが信じられないくらい痛いのですが、やがて「移行期」は過ぎ、ハイになってまいります。

会の中には山中では野生に戻る方も多く、その方たちの雄叫びを聞き、自分も特に痛い石を踏んだときは「いてーーーーー!!」と叫んだりしますので、だんだんおかしくなり、楽しくなってくるという行事です。終わるとお酒を飲みまして、一同酔っぱらって解散いたします。

週に一回だけれど、戸外で身体を動かせる幸せ。今年もがんばろう。 2007/01/07


元旦のお湯

新年あけましておめでとうございます。2007年が始まりましたね。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

元旦の今日は6人家族全員でおせち料理とお雑煮を食べたあと、夫と一番下の子と空いている道路を車走らせ、檜原村で日帰り温泉をしてきました。

檜原街道に入る頃から、とろとろ〜っとしたモードに突入し、もう止まりません。山の静けさが近づいてきてとっても気持ちがいい。それに、私は家が仕事場でかつ主婦なので、家から離れて初めて本当にゆっくりします。

町営の温泉。ここは、お湯もとろっとしています。優しいお湯で、あっという間にスルスルーッと芯までほどけますぅ。まるまるふとった赤ちゃんをつれて、アジアから来た感じのお母さんが2人来ていてとても可愛かったです。林業の村も国際化なのか。

静かな山里のお正月には特別なものは何もないけれど、帰郷した孫と来たのかうれしそうな初老の方がいたり、何だか幸せそうな家族を多数お見かけしました。1年のうちで1番、日本の家族が家族として一緒にいるのが今日なのですね。

食堂に「ご自由にどうぞ」の樽酒がありました。が、車なので飲めないのがつらいところ。

日が暮れていく奥多摩の山道。前にも後ろにも誰も走っていない道をどんどん降りていきます。夫に運転してもらって、極上のお昼寝に落ちました。樽酒飲んじゃえばよかったかな。

帰宅後の夕ご飯はあっさりと湯豆腐しました。もちろん日本酒つきで。それから納豆オムレツに大根おろしを添えたものが子供たちにウケる。どこかの居酒屋さんから我が家に持ち込まれた簡単ご飯です。 2007/01/01


雷、落ちた!

仕事のメールにも「よいお年を」が飛び交い、町にもやっと年の瀬らしいすがすがしい感じが漂って参りました。でも、気象がすごくおかしいですよね。

今年はクリスマスからして、どうも気分が出ませんでした。だってイチョウの葉っぱなんかがまだ舞っているし「さすがに12月だな」という冷気が感じられなかったですから。カレンダーが進んでも、季節の実感が来ないんですよね。

そしてきのうの雷です。実は何と、我が家から二件ほど先の電柱に落ちました!嵐や雷が割と好きな私はにぎやかな夜を楽しみながら寝ていたのですが、ガシャーーーーン!というあきらかに「落ちたわ!」という音で目が覚めました。が、ブレーカーが落ちたので停電中で真っ暗。

すると、のんきにシャワー浴びていた息子が軽く感電したと言うではありませんか。ビビッという衝撃と共に身体が少し振れたそうです。何と言うこと。彼はその時18歳になって1時間目でした。誕生日に感電するなんて奇遇の二乗です。

夫は火山の近くで威力を感じてしまったり磁界に反応する性質なので「すごいエネルギーだ」とかつぶやいちゃってなかなか寝ません。「何か壊れた」としきりにつぶやく。

そして朝、やはり壊れていました。テレビが映らず、ネットはつながらず、そして夫のパソコンが壊れていました。私はわからなかったけれど、夕べ我が家にはものすごい電流が流れたのです。

すこくいいお天気でした。夫は朝は暗いうちに出て行くのですが、その時からして星のきれいだったこと。そしてきらきらの太陽が輝き始めると、うちの前が各種修理の車でにぎやかになりました。修理の人に教えてもらって見ると、落ちた電柱はてっぺんが握りこぶしひとつ分くらい欠けて吹っ飛んでいました。お昼前にいろいろ復旧しました。

天災を経験。忘れられない年末の1日になったかもしれません。 2006/12/27


玄米のこと

この二ヶ月ほど玄米を炊いています。圧力鍋を使い始めたら、なんと簡単なこと。

圧力鍋で玄米炊きますと、点火からお茶碗によそうまで25分くらいなので炊飯器で白米を炊くのと同じか早いくらい。玄米は研がなくていいし、手間としてはどう考えてもこちらの方が楽です。そして、ともかくおいしい。

それから、ご飯をたくことが楽しくなります。玄米は、触るのが楽しい。見ても、玄米の一粒一粒には、種子としての威厳があります。小さいけれど、キュッと締まっていて、生き物らしい。

白米は栄養が落ちていると言われるけれど、栄養と一緒に存在感もそぎ落とされていたのですね。私には、これがとても重大な発見でした。私みたいな家事がきらいの人が増えた影には、便利が楽しさを奪っている面もあるのかも。で、けっこう古いものの方が便利だったりするかも。

さあ…今日も一日年末の仕事をガンバリます。 2006/12/20


「24時間労働」を体験

来年早々に出る雑誌の取材で、ちょっと欲張り中です。

先週は関西に2泊。奈良の妊婦さんたらい回しに関する所を訪ねたり、長年のおつきあいのあるところへ行き、この産科危機の時点で改めて彼らの情熱に感動したりしてきました。

そして一昨日から昨日にかけて東京の病院を取材し、分娩シーンを撮らせていただきました。お産を待つゆとりや私たちの世話を焼いてくれる方やインタピューする方の勤務帯などを考え、一日半のプロセスで予定を組みました。組んだあとで気づいたのですが、これは偶然に、産科医の「夜勤あけ勤務」を疑似体験することになりました。

ふつう夜勤明けというのは、朝8時頃に帰宅できるのですが、産科医の世界は、ここから外来に入り、午後は病棟をまわって、夜の9時や10時に帰るという異常な長時間労働が常態化していると言われています。一体どんな感じなのか?

その日は夕食を早めに食べて午後8時からふとんに入ってみました。寝付けない。しかしいつも睡眠不足なので結局しっかり寝てしまい、10時に起きて闇の中を「出勤」しました。

ありがたいことにお産を撮らせて下さる方は午前3時半にはお誕生になりました。可愛い、可愛い赤ちゃん。「ああ、いいなあ‥‥」と編集者、カメラマン一同しばらく見とれて病院を出たのが5時過ぎ。朝にも撮りたい絵がありましたが、1時間でも寝てこようと近所のホテルに行き、昇る太陽と行き違うようにベッドに潜り込んで2時間くらい寝る。その後、その日の夜9時頃に予定をすべて終わるまで、あいまに近所のホテルなどでとれた睡眠は、合計3回、時間にして3時間くらいだったでしょうか。

2日間がまるまる連結した仕事は、やはり私には一大イベントでした。まあ、私も普段は5時間くらいしか寝られる時間なく徹夜で原稿書いて丸2日起きていることは時々ありますが、やはり、ライターのそれは非常事態としてあるわけです。

しかし産科ではこのような労働時間が定期的に、医師によっては週に何回かあり、延々と繰り返されるということです。特に思ったのは、自分はともかく「人を雇えないだろうなあ。来てもすぐやめてしまうんだろうなあ」ということ。私は好きだからいいけれど、今回取材に同行してくれた人はみんな楽しく仕事してくれたけれど、いつもそういうチームができるとは限らない。そうした不安が、何となく分かりました。 2006/12/07


筑紫哲也さんのニュース23に行く

昨晩は、筑紫哲也さんのニュース23の現代出産事情特集のスタジオゲストに行ってきました。23時という時間帯で送迎もしていただくので、夕ご飯も終わって下の子に「寝ろ〜」と行ってから出かけるという余裕でした。

ファン助産院の出産にトライしようとしているご夫婦→痛いのはいや、と言う町の女性たちの街頭インタビュー→山王病院の麻酔出産をした女医さん・産後二ヶ月で職場復帰する予定でお産の消耗を避けたいと語る→冒頭に出たファン助産院出産のご夫婦の出産シーン‥‥というVTRのあとに4分ほど話しました。

特別なお産が注目され、しかも二極化している背景としての「不安」、長い未妊時間にはぐくまれるこだわりなどについてお話しして、産科医不足の問題は最重要課題だが、女性が「こんなお産なら私も産める」と思えるお産を提供して女性に産む勇気をあげることも大切、と話しました。

麻酔対自然の論争には絶対したくなかったので、そのあたりをずっと考えて当日となりました。麻酔出産をする人については、私にはずっと目指してきたスタンスがあります。米国の大御所バースエデュケーターのペニー・シムキンさんをシアトルのご自宅に訪ねて取材したとき、情報を与えられた上での選択である限り、その人の選択を支援すべきだと言っておられたのです。

ファン助産院で2人産んでいる私ですが、長いことこんなことをしていろいろな女性、専門家にお会いしているうちに、少しはペニーさんの境地に近づけたかもしれません。

子どもたちが非現実的なくらい連続自殺をしているこの時期に、この代表的なニュース番組で子どもが生まれるシーンが流れたことをよかったと思っています。助産院の出産はちょっと刺激的だったかもしれませんが、暗がりだったから、まあ差し引きよかったかも‥‥。

本当に、親子はどん底に落ちたときには、お産のことを思い出して欲しい。そして、すべてのお産が、何度でも帰っていきたい、思い出したいお産であって欲しい。

筑紫さんも膳場さんも、温かい素敵な方でした。裏でこの企画を作り上げたスタッフおふたりはおひとりは妊婦さん、もうひとりもいずれ産みたいと思っている若い女性でした。おふたりの気持ちがこもった企画でした。 2006/11/14


希望学サロン

枯れ葉がクルクルと風に舞いながら後ろへ飛んでいく緑の中を走っていると「ああ、多摩に住んでいてよかったー」という思いがジワーッとしてきます。これから銀杏の大木たちが真っ黄色になり、真っ青な空に映えていくかと思うとわくわくしてきます。

空気が冷たくなってきましたが、断食のおかげでいただくものは何でも美味しいし、なんとなく健康的な気分の毎日です。

ニートについての著作で知られる経済学者・玄田有史先生の率いる「希望学サロン」に呼んで頂き、行ってまいりました。「希望学」とは東京大学社会科学研究所が2005年から開始したひとつのプロジェクトです。これまでの経済学は右肩上がりを前提としていたという気づきから、ゆるやかに下降線を描く現代という社会において、いかに希望を持つかを見つけ出す試みです。

ニートと非婚、非産には共通点があります。それは、考えてばかりいて一歩を踏み出せないことであり、「自分らしさ」という罠にはまっていることであり、そして、やはり高度経済成長時代に大人になっていくプロセスがいま変わってしまい、大人になる方法のモデルがなくなっている悩みなんだと思います。

ニートが増えたとき、多くの人が、それは景気が悪いときに社会に出たかわいそうな世代の話だと思いました。しかし、今では決してそれだけではないことがわかってきています。

子どものときから何でもある、豊かな社会に育った世代。さらに、子どものためにすべてを捧げんとする親を持った世代。希望学では、欠如感がないことが現代人に欲望も希望も遠ざけている事実も指摘しています(つまり、彼らは不況を苦しんでいるというより、高度経済成長の後遺症を苦しんでいることになります)。

このように、産まれたて学問「希望学」では多様な論理が語られています。過去に製鉄で栄えた町における希望のあり方なども調べられているようです。今後が楽しみです。<>2006/11/09

うれしいこと

 
昨晩私は何度「うれしい」と言ったことでしょう。というのは、私が初めてお産の記事を企画、執筆するチャンスをくれた方からお葉書をいただいたからです。実に20年ぶりのことでした。

私も、今、助言することがある年下の人を大切にしようと思いました。私くらいの年齢は、今、育てていただいた方と、育てている若い人の両方に囲まれているわけです。最近では、親子二代体制も作り始めていて、娘に請求書の書き方を教えました。

彼女は、この秋、ついに初仕事を他人様からいただいたのでした。何と、わが家のかかりつけ内科のホームページ作成です。平気なの?と聞いたら、大学に、すでにウェブ作成でばりばり稼いでいる同級生がいるので大枠は教えてもらった模様。

一回目の打ち合わせでは、そのドクターのお友達のクリニックのパンフレットも追加注文を頂いたそうで。それで彼女はいろいろ考え、きょうで、今までしていたしゃぶしゃぶ屋さんウェイトレスのバイトをやめます。バイト仲間には「本業がんばれ」と激励されているらしい。私ももちろん応援したいけれど‥‥ただし、そっと、そっと。自分の足で歩かせたいので。 2006/11/02


2度目の断食とよみうりテレビ出演

今週は2度目の断食をしておりました。1年半ぶり。『未妊−「産む」と決められない』を出して半年のあいだとても忙しかったのですが、ここで新しい本にタックルするけじめと気合いを欲しいと思いました。

また、実はREBORN三好に「一緒にやりましょ〜」と誘われたからでもありマシタ。彼女は最近「成長著しい」ため、私を誘ったのです。2度目でも怖くないと言えばうそになるのが断食。

そんなお友達断食でもあったためか、また目的が仕事であったためか、前回のように、欲という欲に泣きたいほど無意味を感じた聖人の境地には入ることなく、一週間を普段とあまり変わらない気持ちで過ごしました。ただ、不要な不安、緊張、イライラからは解放されて‥‥これが何と言っても断食の良さですね。

そのおかげかもしれませんが、テレビ出演を一件受け、大阪まで収録に行ってきてしまいました。関東では見られないのですが、関西では人気の討論番組「たかじんのそこまで言って委員会」(よみうりテレビ)。奈良県の妊婦さんがたらいまわし事件や産科不足問題を受け、産科のいろいろな問題を討論するということでそのゲストをしてきました。

大阪へのバッグには断食グッズ=塩、水、番茶。テレビ出演の特徴である豪華お弁当には一切箸を付けず。「実は断食中で今週何も食べていないんです」と不気味な事情説明をし‥‥そして驚くほど早く、打ち合わせらしきものは一切ないまま、突然本番に突入。

この日の委員8名の提示したポイントは次のとおりでした。

三宅久之さん「産婆さんを増やせないか」
田島陽子さん「病院出産にして助産師を排除したこと」
宮崎哲弥さん「楽で金儲けに走り過ぎ!!」
橋下徹さん「ゆがんだ医療報酬制度」
桂ざこばさん「産婦人科と子どもの専門病院が離れている」
勝谷誠彦さん「産科医のおびえ」
金美齢さん「少子化 裁判が多い」
高田万由子さん「専門医の危機感」

司会がやしきたかじんさんと読売テレビ解説委員の辛坊治郎さん。どの方も、問題に対する情報量は問題ではない、直感のようなようなものがおありでした。漠然とテレビを見ていたらよくわからないのに、スタジオで見るとプロの世界をひしひしと感じるものです。

テレビというものは、文字の媒体とはまったく違います。ふだん、消すも付け足すも自由な原稿書きという仕事をしていて、必ず「校正」という段階を経て言葉を世に出している私には大変いい刺激になりました。しかも、文字媒体はある程度そのテーマに興味のある人が時にはお金まで出して読むのですが、テレビというものは「たまたま見ている」といった感じの完璧に一般の人々が対象でそこもものすごく違います。お金を出して読んでくれる人なら10分つきあってくれるところを、テレビでは10秒で言わなければならない感じ。

一言で言えば、テレビは一言一句の問題ではなく、その人のできていること、できていないことのすべてが、一切のとり繕いを許されず、映し出されるのですね。

帰りに辛坊さんにお褒めの言葉をいただいたのがうれしかった‥‥人を育てる方です。断食も終わり、さあ、新しい本、書くぞ!財布は教育費でスッカラカンだが、地方取材費くらいどこかで稼ぐぞ!(どこで〜?!) 2006/10/28