キングソフトのオフィスを導入

娘たちが仕事やら塾やらで、普段とあまり変わらないわが家の連休。でも、普段できないことをひとつしたとしたら、新しいソフトを知ったことです。

マイクロソフトのオフィスそっくり、しかし価格は4分の1以下のキングソフトオフィス。安いノートパソコンが出回ったことを機に広がり始めたそうです。私は何台かのPCを使っていますが、一台のオフィスがだいぶ古くなっていたので、満杯だったハードディスクを圧縮したのちインストールしてみました。

すると、オフィスと同じように使えるというか、それ以上です。一番うれしかったのは、立ち上がりや動きの速さでした。ワードの高度な機能がないのかもしれませんが、その機能を使いこなしてきた人はどれだけいたのか。私などどんな高度機能があったのかも知らないので、キングソフトにそれがないのかどうかもわからず。

さらに、クラウドが簡単に利用できるようになっていて、1人の人がいくつものPCやスマホをさわっていることが当たり前になった状況を軽やかにフォローしているのでした。

それで思わず、最新のオフィスが入っているPCにも、これを入れてしまいました。

どんなに高度な事ができるソフトよりも、ただちに手元で立ち上がり、さくさくと動いてくれるシンプルなソフトがいい。

ということは・・・お産情報もそうだ! 

・・・と、いつもついつい懲りすぎてしまう自分のくせも反省した銀連休でした。中国のパワーに、ちょっと目が覚めた気持ち。

日が暮れてからは、早めに夕食を片付け、解説を書かせていただくことになった小説に向き合っていました。小説の解説はまだ二度目ですが、とても好きな仕事です。
 2011/09/19


・・・に行ってきました

というわけで(昨日に続く)娘と産婦人科に行ってきました。家から30分もあれば着く場所に、若い女性のかかりつけ医になっていただくのによさそうなビル診療の女医さんを見つけて。

ドアをあけると、まあ、待合室にはすごい数の患者さんでした!

年頃にして20代中頃から30代中頃と思われる女性たち。まさに、私が絶えず妊活的な記事で仕事をしている雑誌の対象読者となる年代です。

みんな心配そうな顔をしてすわっているのを見ていると、誰にも「どうしたの?どうしたの?」とお聞きしたくなりました。もちろんだまって座っているのだけれど、胸の内はおせっかいおばさんそのものと化した私でした。

私がふだん取材でおたずねするところはお産中心のところなので、妊娠をして来た人ばかり。そういうところとは、同じ産婦人科でもまったく違う空気が流れていたように思います。

待合室には大きな液晶画面があり、そこにはテレビ放送ではなく、頸がんワクチン、風疹抗体など若い女性向きの大切な産婦人科情報が次々と流されていました。

本当にたくさんの人が待っているので先生は忙しそうでしたが、てきぱきと笑顔で診察をこなしていらっしゃいました。

こんな先生が、今すごく求められているのかもしれません。言ってみれば、助産院のように身近な悩みを相談できる方が。

私は、先日のドックは頸がん検診しかできなかったので卵巣・子宮の超音波と体がん検診お願いします、と話したら「あー、わかるわかる」とふたつ返事で、あっという間にやっていただきました。娘もいろいろと聞けたようで、本当によかったです。

子宮と卵巣をもって毎月排卵する女性ってホントに大変な性ですけれど、若い方たち、がんばって!そして、いつの日かかわいい赤ちゃんを抱いてください。このご時世の下、ワクチン代や治療費の捻出は大変だと思うけれど、自分の身体は自分で守るしかないですものね。 2011/09/16


「親子検診」で産婦人科

昨晩は日本産婦人科医会の記者懇談会で子宮頸がん検診の新しいスタイルやワクチンの普及について最新情報をお聞きしました。

頸がん健診は、今までの細胞診にプラスしてHPVウイルスのDNAも調べる方法「細胞診・HPV-DNA検査併用子宮頸がん検診」が普及に向け同会内部で進み出したようです。これは私も『AERA with Baby』で書いたりしましたが、ごく一部の施設でしかおこなわれていなかった、費用もかかる方法でした。でも、こ方法のいいところは、前がん状態の見落としがほとんどなくなること。そして、これが陰性なら検診が3年に一度でよくなると言われていて、課題の費用アップも実は相殺となる可能性が高いそうです。

頸がん検診の普及活動。これはワクチンと共に、母娘双方にとって大きなことでした。いえ、大きなこととしなくてはなりません。なぜかというと、お母さんと娘の「親子検診」が増えたという声をちらほらとお聞きしているからです。お母さんは検診、お嬢さんはワクチン、というわけです。

そうすると女の子は、「お母さん、検診受けていたな」という記憶から、いつか自ら行動してくれるようになるでしょう。また、産婦人科特有の「敷居の高さ」もこのときにうまく乗り越えられれば、高齢妊娠で妊娠して初めて産婦人科にかかるというような方も減ることが期待されます。

そして、自分は「妊娠して初めて産婦人科に行った→それ以来行ったことがない」という状態だったお母さんも、娘可愛さに産婦人科へカムバックできるのではないでしょうか。

ただ実際には、公費で補助される頸がんワクチンは内科や小児科で打つことも多いです。ですから、そうするとお母さんの頸がん検診はできません。それに公費補助でワクチンが受けられる年齢では住民票のある市内の医療施設に行き先が限られます。わが家も、私は先日のドックで検診をすませてしまったりしていまして、うーん、けっこう難しい。

でも、これからは親子検診の習慣を目指してみようと、このたびネットで一緒に通うのによさそうな産婦人科探しをしました。やはり、そんなに遠くなくて、婦人科の身近な相談に親身にのってくれそうなところ。分娩は必ずしもしていなくていいわけです。今週か遅くとも来週には、確実に行ってこようと思います。

地域で娘のお母さんたちに会う場に行きますと、よく検診やワクチンの話題になります。
「受けた?」
「受けた方がいいの?」
「受けたよ。痛かったって言ってた!」
などなど。関心は確実に高まっていて、いい感じです。

男の子だけのお母さんも、どうか波に乗り遅れないでご自身の検診を受けてください。

頸がんワクチンは、9月15日から4価のワクチン「ガーダシル」も公費補助を使って打てるようになりました。尖圭コンジローマという病気も防げるワクチンです。こちらは今までかなり高価だったので、ワクチンも受け時だと思います。 2011/09/15


高齢出産 感動の影で

自分でも経験し、体験者にも取材して、高齢出産って本当にうれしいお産だと思います。

ただ、それは産めた場合・・・

そこ、そこなんです。

うれしい人がいる影に、産めなかった人がいる、それが晩婚・晩産の現実です。

日本受精着床学会に、この2日間プレス参加をして、さまざまなシンポや演題を拝聴いたしました。勉強ではありますが、何よりもその現実をリアルに感じとりたいという思いでした。

予想以上に、不妊治療の現場は患者さんの高年齢化が進んで、40代は不妊治療の医師にとってはメインの年齢層になっていました。そして、たくさんの発表で、「出産年齢の上昇は日本の出産の最大の課題」という発言が聞かれました。何人の医師が、自施設の患者の年齢構成を示したことでしょう。大都市の不妊治療の施設では、全患者の中で40代が占める割合は約半数に迫っているようでした。

分娩をしている施設の年齢構成では、40代は、多いところでもまだ1割程度です。

この差が意味するものは、とても重い現実です。 2011/09/10


人間ドックの1日

昨年から同じ大学病院で人間ドックを受けています。おすすめかどうかはわかりませんが、2年続けて同じところで受けてみて、初めて良さを感じました。

1年目は、検査項目にけっこう疑問が。人間ドックってどんな高度な検査をするのかと思いきや、身長・体重・腹囲、肺活量など学校の検査のようなものも入っています。それでいて、あんな優等生検査である子宮頸がん検診などは別料金。(病院によって違いがあるようですけれど)これではパスしてしまう人もいますよね。受けたい検査がいくつもセットに入っていないし、逆に「おつきあい」と感じてしまう検査もあるんです。

でもやっばり、全身をざっくり調べるための選択肢としては人間ドックということになるのかもしれません。毎年行くと慣れるので、検査に行く時の、あの、どうしても起きてしまう憂鬱な気分がなくなります。また自分の昨年の記録とも比較できて、だんだん「かかりつけ」の雰囲気になってきます。

私がとてもお世話になっていたある国際結婚のご夫婦は、毎年聖路加国際病院で毎年そろって人間ドックを受けていらっしゃいました。そして最後に2人でおいしいものを食べて、人間ドックの1日を夫婦がお互いの健康を気遣い合う1日にする。これはかなり正しい人間ドックの受け方ではないでしょうか。

今日も、そんな感じのご夫婦受診が何組もいらっしゃいました。また、1人で来た人も、検査後に結果説明を待つお昼休みには明るい階上ラウンジで本を読んだり、うとうとお昼寝をしたりして癒しタイムであったことと思います。私もホントにほや〜っとのんびりしました。

空は、どことなくもう秋の空でした。明後日から、2学期かぁ・・・

小さな声でつぶやいているテレビでは民主党の代表選が繰り広げられていましたが、病院の最上階では雲の上で仙人たちがお昼寝です。なんだかんだと言っても命あっての物種だという当たり前のことを思い出しながら。

予防医学がもっとよくなるといいですね。検査項目がもっとカスタマイズできて(もちろん、カスタマイズのための情報や相談窓口もちゃんとあって)、検査費用がもっと安ければ・・・そうしたら、私ももう少しせっせと受けると思います。 2011/08/29


夏休みの生活

先日、夫の夏休みを利用して私も仕事を一週間やめて、うち中の要らないものをかつてない深度で、やりました。断捨離です。

今年三十回忌になる父の蔵書を、本当に大切に感じていたものだけ少し残して売却、処分しました。父は日本文学の初版本のコレクターで直筆原稿なども持っていたのですが、私よりも価値のわかる人に持っていただけるならと思って売りました。

続いて、ロフトに分け入り納戸にも突入しました。いや、もともと一人っ子で今や親きょうだいのいない私には、何といろいろな過去が一身に背負わされていたことでしょう。さまざまなジャンルの古物商の方と関わり、いろいろな世界があるんだなあとちょっとした社会見学にもなった一週間でした。

息子が独り立ちして、続いて愛兎を失って、震災の影響もあってなんとなく鬱々としがちなこの春だったのですが、家の中に増えた「空間」からすごく力がもらえている感じがします。そこから新しい風が吹いてくる気がします !

末娘は、この夏は高校受験。塾通いにお弁当を持って行きなさいと言ったら、みんなおにぎりしか持って来ないからいやだ〜と言います。そこで、いろいろなおにぎりを編み出すことにしました。今日は鮭と枝豆。その前は鳥の唐揚げや竜田揚げ。きんぴらごぼう。ついに、タマネギと鶏挽肉の入ったオムレツなども包んでみましたが、どーにかなりますな。最近はやや面白くなってしまっており、「お弁当箱ってもしかして要らないかも」などと思うに至っています。

でも、娘ぱかりがんばらせていないで、私もせっせと働かねば。先週末は恵比寿のガーデンプレイスで女性誌「FRAU」主催の「妊活ミーティングに行き、先ほど同イベントの関連サイトにレポート記事を入稿しました。

300人の妊活したい女性やパートナーが集結し「高齢出産になると妊娠率はこれくらい」などと医師の話を聞く様子はNHKの7時のニュースで流れたのでご覧になった方も多かったと思います。私には、なかなか感慨深いニュース画面でした。「あぁ、ここまでオープンに語られる時代が、ついに来たんだな」と。うれしかったです。 2011/08/05


うさぎさんのこと

わが家にはハッピーとという名のうさぎがいました。一番下の子と一緒に欲しくなってネットで探し、それはそれはうさぎのことがよくわかっているブリーダーさん(うさぎ屋さん)に会えたのでいただいてきた子でした。そのハッピーが、6月4日に息を引き取りました。

胸腺が大きくなってしまう胸腺腫という病気が昨年わかって療養中で、最近はもう一緒にいられる時間はそんなに長くないのかと思ってはいましたが、いざその身体が消えてしまうと本当にさびしいです。

この子を飼うまで、うさぎを飼うなんて、思ってもみませんでした。実は私は子どもの頃の夢は「獣医さん」でした。しかし10歳の頃に突然激しい犬猫アレルギーが出て、その夢は断念。以後ほ乳類はハムスターくらいしか飼っていなかったのですが、ふとうさぎを抱いてみたら、何ともなかったのです。

子うさぎが生まれたと聞いて見に行ったら、カゴの中にはおはぎみたいなのがいっぱいいましたが、ハッピーは7匹きょうだいの中で一匹だけ圧倒的に大きい巨大おはぎで、違う種類のようでした。他の子はみんな死んでしまいました。お母さんが育児放棄だったのです。

それでもブリーダーさんに人工乳でかわいがられて、生まれながらの体力もあったハッピーは、うちに来て昨年秋までは病気は何一つせず、元気に過ごしてくれました。

珍しいことらしいのですが、ハッピーは人に撫でられると撫でてくれた人をなめるという「なめうさぎ」でした。うさぎが人になつくことはほとんど知られていませんが、うさぎは犬や猫とはまったく違う形で人によくなつきます。ハッピーは身体の触れあいが好きなうさぎで、ふと寂しくなって走り寄ってくることがよくありました。

私が毎日ヨガをするようになると、ヨガマットを敷いた途端にピョーンとマットに飛び込み、ずっとじゃまをしてくれました。シャバアーサナ中にぴったりくっついているのが好きでした。

体調を崩してからは、特に撫でてあげることでなぐさめられているようでした。忙しくバタバタしている暮らしの中では、うさぎ時間を十分にとることができないことがつも心に引っかかっていました。それでも最後の夜にゆっくりと撫でてあげるとこができて、もう力がなくなった舌で何回もなめてくれたのが私には慰めです。

身体は何のためにあるのでしょう。意識が魂の本体ならば、身体は何のために。ハッピーの身体が消えて今ふと思うのは、身体は苦しみ痛むためにあるのではないかと思いました。それをいたわった私たちの苦しみは、今ハッピーとのより深い絆となっています。

苦しかった本人が楽になったことに安堵する気持ちと共に、身体があったから関われたことに気づき、ありがとう、という言葉になります。

また、お産に助産師さんが必要なように、このうさぎさんを飼った日々にはずっとおつきあいの続いたブリーダーさんの存在がありました。それがまた感謝です。

そのショップに挨拶に行きました。偶然なことに、そのお店の看板犬のわんちゃんも亡くなっていたので花かごを持って。12歳だったそうです。その小さなうさぎ屋さんは、その犬の写真と、お客さんからのたくさんのお花でいっぱいでした。「写真はいいんですよ。写真をいると、まだいるような気がして、心の痛みがやわらぐから」といいことを教えてもらいました。

一緒に行けなかったのですが、ハッピーが来たときに小学2年生で、今は中3になった娘の手紙を渡すととても喜んでくださいました。

娘と一緒に大きくなり、うちで生涯を過ごしてくれた一匹のうさぎさん。息をひきとったのも、娘が中学で一番がんばった陸上競技の最後のレースを走り終えた、まさにその時刻でした。一緒に育って、とても仲良しでした。

今までも、そして心の中ではいつまでも、うちの大事な家族です。 2011/06/12


NHKラジオ「ラジオビタミン」

缶詰が終わり(まだ書き終わっていないんですが中休み)、自宅に帰って日常が戻ってきました。

4月から、毎月月はじめにNHKラジオセンターに行って「ラジオビタミン」という番組に毎月第1金曜日の9時30分頃(原則)から生出演をしています。「みんなで子育て」の一部を成す15分ほどの小さなコーナーですか、毎回お産のさまざまなトピックについてお話します。明日はその3回目で内容メモを見ています。

リードをしてくださるのはこの道の大ベテラン、テレビでも「おはよう日本」のキャスターとして活躍されていた村上信夫アナウンサーと、私が第一子を産んだ頃に毎朝「おかあさんといっしょ」の歌のお姉さんとしてブラウン管でお会いしていた神崎ゆう子さん。

スタジオにいる方も、ゲストに来て控えておいでになる方々も本当に洗練された方々なので、整然とした空気がとてもすがすがしいスタジオです。そして、はじめびっくりしたのですが、この13階のスタジオには大きな窓があります。そこから、代々木公園の緑が一望の下!これは、ちょっと贅沢な空間です。

初回は震災の直後に出産された方のお話をして、2回目と明日の3回目は「出産施設のいろいろ」について。前回は病院と個人の先生の診療所、そして今回は助産院と自宅出産について話します。

村上さんは取材の中で出会ってきた方々(日本の文化をリードしてきたそうそうたる方々)との心の触れあいをとても大切にされていて、何冊も本を書いていらっしゃいます。私にも、お会いしてすぐに「高齢出産のことを書いているなら」と49歳で出産された白樺八駙さんという声のパフォーマーをしている方をご紹介くださいました。頭、下がります・・・。

私も、村上さんには足下にも及ばないですが、取材で出会った方との絆をもっともっと大切に慈しめる者になりたいです。

今では現役ママである神崎さん、お孫さんがもう何人もおいでになるという村上さん、両方のフォローをいただけるグッド・バランスですので、老若男女を問わない幅広い方たちに今のお産のことがわかっていただけたらいいな。

お産は、お母さんだけ物知りになっても、ひとりでは産めないですものね。

 2011/06/02


缶詰め中です

先週末から、いわゆる「缶詰」中です。

出版社の用意してくださった机とベッドだけの部屋に立てこもって高齢出産の本書いています。人とお会いしたりするお出かけ仕事は、この部屋から行って、この部屋に帰ってきます。

昨晩はTBSテレビて゜放映中のドラマ「生まれる。」脚本を書いている放送作家の鈴木おさむさんのラジオ「考えるラジオ」(TBSラジオ)に出てきました。「48歳の妻が妊娠して産みたいと言いだした・・・どうする?」というテーマでした。ジャガー横田さんのご主人の電話出演なども入り、今50歳での第二子出産を考えているとのことでした!

リスナーからの反応はおおむね「賛成」「命をさずかるのはすばらしいこと」という声。うれしかったです・・・私は田中美佐子さんと同い年なのですが、いやーこの年齢になって命を授かったら、それはもう命に代えても産みたいでしょう。私にとっては取材してきたことが裏付けられたようでとてもうれしく、ほっとした一夜でした。

その数日前は、JICAのプロジェクトでおこなわれているアフリカの助産師さんの講習会に行ってお話ししました。アフリカの助産師さんにフリースタイル出産の良さや女性がそれ求めてきたムーブメントのお話をしました。「なんで」と思うかもしれませんが、実はアフリカのお産は、とても堅い分娩台の上でのあまりケアのないお産なんだそうです。

そんなことをして、また誰もいない空間に帰ってきます。子ども3人いて家事に追われ・・・という生活をしてきた私にとって、ここは宇宙船のような異空間です!

キッチンなどはありませんし、ナッツやフルーツ、生のにんじんなんかを近所のスーパーで買いつつも基本的には外食に行きます。でもまあ、座っているので大してエネルギーは要りません。

とても静かです。少しおさまっていた余震がこのところ多くなって、地震になると「ギーコオ、ギーコオ」と何かが鳴る部屋なのですが〜。

お散歩にも行けます。写真のように、けっこう木とふれあえる場所もあります。知らなかったのですが、こちらはJR四谷駅から見える上智大グラウンドを見下ろす散歩道です。かなり大きな桜の木が続きます。

窓の外は都心のビル街です。今日はなにやら警官がたくさん出ています。朝、皇居まで散歩してみましたから、ショキング中の人もたくさんいましたが、右翼の方の車なども。車のあとからついていくパトカーや白バイに「ばかやろー、なんでついてくるんだ」と怒鳴りながら走り去っていきました。しかし、日曜日のオフィス街で起きていることはそれくらいで、とても静かです。

とめどがない仕事の流れ、そして震災という心を奪われる出来事もあり、一番大切なことであるはずの本の執筆が、なかなかできないでいた最近の私。ともかく話す仕事が増えていて、職業が不明になってきそうでしたが、これではイカンです。話すことはいくらでも話したいし人にお会いできる仕事も大歓迎なのですが、それで書く体制が守れていないのは職業ライターとして誠にはずかしいことでした。

本来の仕事、ガンバリます。 2011/05/22


女性たちの被曝

震災以来、私はニュースについてはテレビ、ネットの割合が減って、雑誌や新聞を読んでいる時間が増え、ラジオにも少し目覚めつつあります。テレビとネットの刺激が強すぎて何だかもう数日で疲れてしまったからなのですが、やはり週刊誌や月刊誌など昔からあるメディアはいいなあと思うのです。

その中で、昨日電車の中で何度も読み返してしまったのは『文藝春秋』(2011年6月号)の「原爆の広島で子育てをした女たち」。江刺昭子さんというノンフィクション作家の方が書かれたのですが、子ども時代、女学生時代に広島で被曝した女性がその後の結婚や出産・育児などでどんな日々を送ってきたかがていねいに聞きとられていました。ご自身も、広島育ちなのだそうです。

今週は、日本産科婦人科医会の記者懇談会がある週で、ちょうど広島の胎内被曝のデータを説明してもらったところでした。データはただの数字。その数字さえ衝撃的な事実なのですが、さらに、その数字に含まれるひとりひとりの母親には、怖ろしい被爆体験や結婚の時に「ピカにおうとる」と言われて味わった差別、「私が子どもを産んでいいのだろうか」と迷いながらの出産など大変な苦しみがあったことがこの記事でよくわかりました。

でも、記事に出てくる方々はみなさん半世紀のあいだ前向きに生きてこようと、幸せになろうとしてきました。そして子宝に恵まれてきました。これはデータもあるのですが、広島では、被曝二世には染色体異常などの増加は見られていません。

でも、広島と較べると線量がまったく違う福島原発の事故さえ、今の母親たちには受け入れることがとても難しいです。それを思うとき、広島にいた女の子たちの、何も知らされず、誰にも助けてもらえずに生きてきた彼女たちの強さと悲しさには、思わず泣けてきてしまいます。
 2011/05/12