「科学ジャーナリスト賞2016」をいただきました

この度、昨年春に出した『出生前診断−出産ジャーナリストが見つめた現状と未来』が日本科学技術ジャーナリスト会議から「科学ジャーナリスト賞2016」という非常にありがたい賞をいただきました。
歴代の受賞者や審査員の方たちのそうそうたる顔ぶれを拝見すると、いまだに信じられないという思いです。NHKの科学報道番組や大手新聞社の受賞作が居並ぶ中で、フリーランサーの本が認めていただけたことに、まず驚きました。出産に関する仕事がいただいたのも、初めてではないかと思います。
この本は、私か書いた本の中で最も切なく、悔しくて、でも一番温かい思い出も残っている一冊です。お話が来た時には「そんな、難しいテーマの本は書けない」と思ったのですが、今は、あの時に挑戦して本当によかったと思っています。
はじめの取材のことは、きのうのことのように生々しく私の心に残っています。初めての取材は長崎大学でおこなわれた夏休みの子どものための遺伝教室でした。私は、これについては本のあとがきにしか書いていないのですが、山と海、出島、そして原爆の遺構や長大など、長崎は、命の科学である出生前診断の主要なテーマがすべてそこに具現化されて在る舞台装置のように私には思われました。
そして二度目の取材が、福岡県の太宰府に、日本における羊水検査の草分けである斎藤仲道先生をおたずねし、斎藤家の古い柱時計の音を何度も何度も聞きながら長い悩みの物語をお聞きしたインタビューでした。医師も、こんなに苦しんでいたのか。太宰府天満宮の梅が、まさに咲き始めた頃でした。斎藤先生は、名物の梅ヶ枝餅を買ってくださっていて、それを温めて出してくださいました。
斎藤先生を知ったのは、当時、問題になっていた着床前スクリーニングの臨床試験開始をめぐる学会主催シンポジウムの会場でした。会場から発言した斎藤先生の話に何故か強く他の医師にはない視点を感じた私は、会が終わった時、人混みの中で斎藤先生を追いかけました。その後、斎藤先生が送ってくださった資料を開けて私はあっと驚きました。私はそこで初めて、自分は米国で羊水検査の黎明期に立ち会った人に出会うことができたのだと知りました。
そして最後の取材は、実際の医療施設で出会ったあるご夫婦の涙でした。何と悲しいものを人間は作り出してしまうのか。出生前診断を安易に命の選別だと非難するのは簡単ですが、そこには人間がいないと思います。いかように理屈を言ってみても、一皮むけば矛盾に満ちた悲しい存在である人間が。私の取材は、その悲しい存在である人間が、いつしか、愚かであるからこそ愛しい存在だと思うようになって終わりました。
フリーランサーの取材というものは経費も自腹であることが多いし、語り合える同僚もいない天涯孤独なものです。でも、こうして思い出してみると、よいことは、自分の純粋な直感に従って動くことができるということでしょう。そうやって会う人、会う人に次々と惚れ込んでいくうちに本は形が見えてきます。非論理的なものは、合わさって、いつしか論理を織り始めます。
ただ、どんな形で活動していても、人の心に何かを伝えることができるジャーナリストであれば、ひとりの人間として仕事をしているのではないかとも思います。賞をいただいた時、すぐにメールを下さった方の中に前年度の大賞受賞者である毎日新聞の須田桃子さんがいました。今年の大賞受賞者の阿部豊さんを須田さんが取材していらしたので、その記事を読みました、と私が書き送ったところ、須田さんは作夏のその取材への想いについて返信してこられました。阿部豊さんはALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症され、3年間かけて執筆されたと受賞された著書『生命の星の条件を探る』にあります。
なんでもないことですが、それで私は、やはり取材者は立場は違えど、やはり情景のようなものに反応し、人への想いをたくさん使って仕事をしているのだと思いました。科学ジャーナリストとは、科学と人のジャーナリズム。
立派な方たちと共にいただいたこの賞の名に恥じないように、これからもものを書いていきたいと思います。
『出生前診断−出産ジャーナリストが見つめた現状と未来』を書くためにお力を貸してくださった方たちに改めて、心よりお礼を申し上げます。
科学ジャーナリズム賞
http://jastj.jp/ 2016/04/22


暴れる必要

先にアップした長良医療センターの写真を撮っていた時、偶然ご一緒した名古屋テレビさんのニュースが6日に放映されていました。「UP!」という番組でさすが地元の局、丹念な取材で川鰭先生の早期退職への想いがよくわかりました。

産科医不足という言葉、昔よく報道でやってたよね…という感覚になってはいないでしょうか。団塊世代の大量退職に始まる危機の本番はこれから。
これから産科のマンパワーは、地域によってはガクッと急な減少を起こします。
全国でたくさんの人が”暴れる”必要があります。
「UP!」特集バックナンバー
http://www.nagoyatv.com/up/special/entry-5954.html


九州の赤ちゃんのための募金です

私が『安全なお産、安心なお産』の取材でお世話になった新生児科の先生たちが全国的に展開している集中募金運動です。ご協力よろしくお願いいたします。
----ここからはちらしの文章です-----
「熊本を中心とした大震災で被害を受けた九州の NICU の赤ちゃんとご家族を支援する目的で下記のように募金を受け付けております。
集まった寄付金を日本新生児成育医学会『震災緊急対策委員会』に集中寄付し、より確実かつ効果的に NICU の赤ちゃんとそのご家族の支援に充てて頂くことになります。」
【郵便局からの振込】
記号 14200
番号 1114841
名義 アカチャンセイイクネットワーク
【他金融機関からの振込】
ゆうちょ銀行
店名 四二八(読み ヨンニハチ)
店番 428 預金種目:普通口座
口座 0111484
一般の方:入金額はいくらでも結構です。
医師の方:1 口 1 万円でお願いします。
協力機関:赤ちゃん成育ネットワーク、日本周産期・新生児医学会、 日本新生児成育医学会、九州新生児研究会、日本小児在宅医療支援研究会
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ちらしのpdfはこちらから

http://www.baby-net.jp/wp-cont…/…/2016/04/h28_nicu_bokin.pdf
赤ちゃん成育ネットワークのウェブサイト
http://www.baby-net.jp/


自然志向と妊娠率

今月は、浅田レディースクリニック院長・浅田義正先生との共著を書き上げるということで、かなり椅子に座っているあんまりよろしくない生活です。本は講談社ブルーバックスで、この夏に出ることになりました。
日本はART(体外受精、顕微授精など)で妊娠する人が急増していますが、海外と比較して、実は妊娠率がとても低いのです。それはなぜか。ひとことで言えば、この本はそういう本です。
理由のひとつは、晩産化はいわずもがなですが、どうやら、日本の女性には「できるだけ薬を使わないで自然な妊娠をしたい」と願う自然志向が強くあるようなのです。そして、薬を使わないようにつとめれば、妊娠率は下がります。自然○○というものは、おしなべてお味噌と同じ、「待つ」ということがポイントですから、時間がかかってもいいという覚悟が要ります。その結果、待っても妊娠せず、40代になり、タイムアウトになってしまう人も出ます。
薬を使わない場合、頼みになるものは健康法の数々です。そこで女性たちをとりまく妊娠、出産に関する情報は、「冷え」の解決法やよい食事についてのものばかり増えて、医療についての情報は減るばかりです。
浅田先生は、とても面白い言い方ですが「患者さんは癒やしを求めているが、僕は妊娠を求めている」と言います。確かに、妊娠しなくてつらい状況では癒やしがどうしても必要。でも、そんなに癒やしが必要なのはなぜかというと、それは、妊娠しないから。
今のARTは治療期間が短期化する傾向にあるので、一定期間は全力で取り組むのもいいのではないかと私は考えています。無理のない範囲で軽く治療するだけと決めるのならそれもひとつの選択肢だけれど、それなら不妊治療はしないという手もある。
「卵子の老化を誰も教えてくれなかった」と言う人は減りましたが、その先はまだまだ情報が少ないと思っています。2016/04/19



撮影した赤ちゃんと再会

ファン助産院で臨月クラス。終わったら、ご出産を撮影させていただいた方が3ヶ月になる赤ちゃんを連れて遊びにいらしていました。
出産直後を撮らせていただいた赤ちゃんって、笑うようになったらどれだけ可愛いかって、もう。あの生まれたての時って、赤ちゃんから何かが出ていてつながっちゃうんてしょうねえ…と確信。


放送大学の放映スタート

私は橋本洋子先生の周産期の枠にゲストでうかがった放送大学の講座「心理臨床と身体の病」の放映が今日からスタート。
全体としてはがんをはじめ主な疾患の心理臨床がひととおり学べる全10回の講義となっています。
◆「心理臨床と身体の病」
毎週土曜日 午前10:30~11:30
放送大学が受信できるテレビがあれば自由に見られます。
テキストはAmazonで購入できます。


川鰭先生の「卒業」

今日は4月1日。今日は岐阜もさくらが満開のことでしょう。ただ今日から長良医療センターには川鰭先生はいません。でも、今朝も、長良の先生たちは着席してスタッフの方たちの詳しい朝の申し送りを共有していらっしゃると思います。これも川鰭市郎先生の、水面下でのこだわりのひとつでした。
自分がいなくなっても、病院からなくなるものは何もない。そんな病院をつくることができてとても満足だと川鰭先生はおっしゃっていました。
病棟のお母さんたちとの接触も少しずつ小さくしてきたそうです。笑顔がたくさんの病棟に湿ったものは持ち込みたくないと配慮をされたのだと思いました。そして先生ご自身も、いつもの明るい長良から卒業していきたかったのだと。
きのう私がupした写真は川鰭先生の最後の帝王切開でした。松波総合病院での新しい形のお仕事でも、ひとりでも多くの赤ちゃんを救う、人間的な周産期医療をさらに深めてくださると思います。<>2016/04/01


長良医療センターで

国立病院機構長良医療センターで、2日間、妊婦さんとおかあさん、ご家族を撮影させていただく。先端の胎児医療が行われていることで全国に知られるハイリスクの方だけの病院。

336でも、そこでは帝王切開の手術台の上でお母さんが両手で赤ちゃんをしっかり抱きしめ、頬ずりをしていました。ほとんどの方が搬送や紹介で、不安いっぱいで来られるところだからこそ、ハートフルである事がとても大切にされているのです。

丸2日間、切迫早産で入院中の方や、とても小さく生まれてきたお子さんが大きく成長された姿を見せに来られた方など、たくさんの方にお会いし、お話しして、写真を撮らせていただきました。2016年3月現在、このウェブサイトでは写真が一枚ずつしか見ていただけないのですが、そうした写真群をどなたに、どのように見ていただいたらよいか、考えています。

帰ってきてから写真をお送りしたお母さんたちからは「こんな形の出産もある事をたくさんの人に知ってほしい」という言葉を何人もの方からいただいています。

温かい病棟の空気を思い出しながら、続いていく想いのやりとり。

2016/03/31


明るい春の日に

春の光が、しめていたカーテンからも透けていた。

素敵なお天気だったこの週末に、昨年から連続して撮らせていただいてきた方の赤ちゃんが生まれました。写真を読み込みながら、ご夫婦の涙に思わず私ももらい泣きしています。

お父さんの涙がお母さんの顔にぽたぽたと落ちて、それに気付くこともなく無心に泣いてたお母さん。

2016/03/28