「早く産まないとだめですか」

2013年5月22日 ·
『女性セブン』(小学館)5月30日号 堂々7ページの特集「早く産まないとだめですか」で出産年齢や育休についてコメントしています。典型的な未産の35歳女性としてA子さんを想定し、彼女の素朴な疑問、憤り、迷いなどでいろいろな人のコメントをつなげていくという構成。読者はとても身近な問題として昨今の出産年齢をめぐる問題(不妊治療助成の年齢制限、国の少子化対策)を考えられるようになっています。
記者の方がすばらしくて、私はこの取材を受けた時自分の話をテープにとっておけばよかったと思うくらい話ができました(誌面にはほとんど載っていませんが・・・)記者さんは,某男性向け週刊誌の卵子老化ものを電車で食い入るように見ていた女性を見たことがあって、その時「今、女性誌ががんばらなくてどうする!」と思ったのだそうです。記者さんの想いは、重要です!
 2013/05/22


福島県いわき市への旅

福島県いわき市へ二日間の旅をしていました。いわき市立総合いわき共立病院新生児科の本田義信先生に『助産雑誌』の取材でした。
私は『卵子老化の真実』に本田先生が診ていらした13トリソミーのお子さんがお母さんと弟さんと津波にさらわれてしまったことを書いています。そして、本を書き終わったら,必ずいわきに行きたいと思っていました。
そして今朝は本田先生と、残されたお父様のところへおまいりにうかがってきました。お父さんは、夢のような楽しい時として、13トリソミーだったお子さんと、最愛の奥様と、その次に生まれたお子さんとの日々のことを話してくださいました。
お父さんは最初はチューブがたくさんついていたわが子をこわいと感じたのに,お母さんは、事実を告げられ対面すると,泣きながら笑っているような顔をして、すぐに赤ちゃんを抱き、絶対にこの子を守っていくとかたく決心されたそうです。そして、その決心の通りに、津波が迫って来た時、お母さんは13トリソミーのお子さんを最後の最後まで守ろうとして流されてしまいました。
塩屋崎灯台を超えて少し先、このきれいな海がたくさんの人の命をのみこんでしまいました。
本田先生とご一緒することができたこの海の、あの潮騒と、ひんやりした優しい潮風のことをいつまでも、いつまでも忘れることなく覚えていたいと思います。
そして、このお父さんの心にともり続ける幸せな時間のことを、そして、その幸せの始まりにとてもあたたかい医療があったことを、折に触れ、書いて行きたいです。
 2013/05/15


卵子の個人差

4月29日夜、卵子老化を考える会
http://ameblo.jp/ransinorouka/entry-11517712119.html
のお勉強会で。
いつもとっても明るくキャハハと笑っている代表の森瞳さんです。森さんはとっても若々しくてお綺麗な35歳の女性ですが、卵子の在庫を表すアンチミューラリアンホルモンの値が非常に低いのです。
卵子老化の取材はすればするほど、現代の出産年齢に対する感覚が現実とは違うという認識を深めることになります。来ていた方の中にも、まだそんなに高齢でもないのに早々と卵子が減っているとわかっている方が何人もいらっしゃいました。
私は最近「何歳まで編めるか」といった知識はあまり意味がないような気がしています。それは全然あてにならないから。それよりも、女性の卵巣には驚くべき個人差があると知られる事が必要。
「個人差があるから」は「大丈夫よ」の意味に使われることが多いけれど、逆の意味になることもある、ということを忘れてはいけないのです。現実を受けとめて行動している勇気ある女性たちにたくさんお会いできて、よかった!また、どこかでお会いしましょう。 2013/04/29


『卵子老化の真実』にレビューを戴いて

『卵子老化の真実』が発売になってから十日間。読み終わった方から数々のうれしいご感想をいただいています。

一番最初にいただいたのはAmazon.comのブックレビュー。Amazon.comトップレビュアーのおひとりが書かれたもので、このレビューは本当にお見事で、びっくりしました!夫に「この人の文章はすごい。かわりにこの人に書いてもらえばよかったな」と冗談を言われましたが私も同感だったりして・・・。

そしてすぐにふたつ目のレビューもいただいたのですが、これも、また「まさに、このように読んで欲しい」と願っていたとらえ方をなさっいたので万歳をしたくなるほどうれしかったです。

「伝わった」という手応えがガツンと感じられる瞬間は執筆の疲れがほどけていくような,何もかもが溶けていくような最高の瞬間なのです。

その後もたくさんのご感想をメールやフェイスブックなどでいただいています。その中にはもちろん今後の課題を示してくださっているものもありますが、どのご感想も伝えたかったところを読み取って下さっていて、不思議です。特に、情報や知識ではない、書いてないところが伝わるのが不思議。特に見ず知らずの、どなたか分からない方にビビビッと伝わるというのは、もうわけがわからないほど不思議!人間ってすごい!ちょっと「不思議がり」がすぎるでしょうか。

Twitterでは、また違う皆さんの反応がわかります。「本屋さんで『卵子老化の真実』という本を見たので手にとってみたら目次でこわくなってそっと戻した」とツイートしている方もいました。

その方には、思わず「こわくないですよ。勇気が湧くと言ってもらっています」と突っ込んでしまいました。著者がいきなり何か言ってきたのでびっくり仰天させてしまったと思いますが、Twitterは何でもできてしまうんですね。この方は「今度は勇気を出します!」とお返事をくれましたが、その後どうしているのかな。

Twitter、facebook ブログなどソーシャルメディアが発達してから本を出すのは初めてなので、それも大変興味津々な、新しい体験です。

こんなにダイレクトに読者の方とつながることができるなんて、とても楽しいです。 2013/03/29


『卵子老化の真実』目次

3月19日に発売になる新刊『卵子老化の真実』(文春新書)の目次立てを、編集担当者の方がまとめてくれました。先週から、こんな感じの書類をお会いした方にお渡しして本のご紹介をお願いしています。出産年齢の上昇にともなう妊娠前〜育児までの問題をほぼ網羅し尽くした内容となっていますので、さまざまな立場の方に読んでいただけたらと思います。

『卵子老化の真実』

はじめに  外見は若くなっても卵子の老化は止まらない 
 
第一章 何歳まで産めるのか  

体外受精でも卵子の老化は救えない
日本の体外受精実施数は世界一、しかし妊娠率は50カ国中45位
生涯新しく作られない卵子、毎日一億個作られる精子
最終選考に残れない卵子
35歳の妊娠力は20代の半分
信じられない数の高齢出産をしていた明治女性

49歳の自然妊娠 /白樺八駙さん(27歳、29歳、47歳で出産)
乳がん克服、そして妊娠 /渡部麻由さん(36歳、47歳で出産) 

第二章 妊娠を待つ   

実際に35歳以上で出産した人の妊娠方法は?
不妊治療の落とし穴
知らない間に卵子がなくなりかけている!
高齢出産こそ究極のアンチエイジング?

36歳で「46歳のホルモン値」と言われて / 匿名(36歳妊娠中) 
500万円かかった不妊治療 / 門脇昌子さん(39歳、44歳で出産)
転勤で妊娠が遅れて / 匿名(39歳、43歳で出産) 

第三章 高齢出産        

流産や染色体異常は年齢と共に上昇
「出生前診断」みんなはどうしている?どう思っている?
高齢出産にふさわしい産院選び

ダウン症の女の子を授かって / 匿名(42歳で出産) 

第四章 高齢母の育児   

実家の老親に頼れない
平均値から外れた親は孤立しやすい
元キャリア女性が陥りがちなパターンとは
高齢出産の子どもは発達が良好でけがや入院が少ない

きょうだいが欲しい / 匿名(41歳で出産) 
仕事だけでは満たされない世代 / 匿名(38歳、41歳で出産) 

あとがき   
参考文献
  
   2013/03/10


本を書き終わったあとは

「自分を研究して自分がいちばん大切に思っていること、辛いと思っていること、嬉しいと思っていることを書く」

この言葉は、最近また見始めたツイッターで出会った井上ひさしさんの言葉(井上ひさしさんが天国からツイートしているのではないですよ〜「bot」と言って、著名人の言葉を少しずつ配信する仕組みがあるのです)。これが、今の私にはとても響いています。

これこそ物を書く人間がいい物を書くためのとても大切なコツだなあ・・・と思いました。そして、ひとつの不思議さが、心に浮かび上がってきました。それは、今回私が書いた本は晩産の本だったということです。それなのに、なぜ、26歳で母親になった自分が、このテーマを「自分がいちばん大切に思っていること、辛いと思っていること、嬉しいと思っていること」と感じて書いていたのだろうか。それが、とても不思議なのですが、今の自分には、産みたくても産めない人がたくさんいるという事実は確かに自分の大切な,つらいと思っていることに違いないのでした。

本を何冊か書いてきて、自分の本が書き上がる時のプロセスがわかってきています。分娩も何人か出産した人は自分の陣痛のパターンがわかってきますが、それとまったく同じことです。

私は書き始めは気負いがあって、あれも、これも書きたくて、やがてその山に埋もれる時期がきます・・・このあたりがとてもきつい。しかし、それでは、編集者さんが会社で困るだろうと考え(正しくは、自分のためにそう考え)、我慢し続け、最悪なものを書き綴り続けていると、ある日、ふと雪解けのように楽になる日が来るのです。

そこが、素材と、自分の中にもともとあった「自分がいちばん大切に思っていること、辛いと思っていること、嬉しいと思っていること」の融解点なのでしょう。それは、ただの化学反応なので何がどのように融解したのかも肉眼では見えないけれど、そのあとは、もう大丈夫になります。あぁ、この本は書ける、と思えて、推敲の段階が深まるほどにいくらでものめり込み、「あら、もう?」という感じで期限がやってきておしまいになります。

取材させていただい方たちの人生がしっかりと自分事になったとき、本当に書くということができるようになります。そこからは、私のような取材をして話を書くことが中心のジャンルでも、どこか小説と同じように、寝ても覚めても登場人物たちと暮らし、喜びや悲しみを共に感じながら書くことになります。

私は文筆業でありながら、普段は、特にたくさん文章を書くわけではありません。こうして日記もろくに書かないですし、どこからどう見ても筆まめとは言えません。

それでも、本を書き終わる時は、普段とはまったく違っています。そして、そんな時は他の人が書いた文章が、また面白くてしかたがないのです。深みのある文章が持つ、剥いても、剥いても、まだ現れる新たな織り模様を大量に感じたい。そこにある人の心の喜びや悲しさや寂しさを、とてもいとしいと思えるのです。

・・・と、まあこんな調子で、本が手から離れ、見本刷りができるまでの時間を過ごしているのでした。タイトルは『卵子老化の真実』となりました。 2013/03/01


暮れゆく「卵子の老化」の年

紅葉も北風に散らされるようになり、いよいよ今年もおしまいムードです。今年はこちらの日記を本当に書いていなくて、時々見に来て下さってきた方たちには申し訳ないことをしてしまいました。それでも,今日こうして久々にこちらに来ると、フェイスブックやツイッターの画面とはまったく違う白い、白い余白に、紙に鉛筆を持って向かっているようなホッとするものがあります。もう、こんなブログはかなり貴重になってきているのではないでしょうか。

紅葉を見ていると、ちょうど一年前のこんな頃、名古屋に顕微授精の第一人者である浅田義正医師を訪ねたことを思い出します。その訪問はその後、当時、これから卵子の老化についてシリーズ報道をやっていきたいんだと言っていたNHKディレクターさんも同席してくださった4時間にも及ぶ大変熱い取材につながりました。そこで、ようやくつかめた確かな手応えをにぎりしめて、何とか新書を書き上げました。ようやく、その新書も来年の3月刊が正式に決定しました。

この1年は、NHKの卵子の老化報道をはじめ、新しい出生前診断の上陸など、高齢出産をめぐる話題が吹き荒れた1年でしたが、こうした議論の起きたあとの社会に向けて上梓できることが嬉しいです。

人の命は永遠ではないこと、そして生まれてくる命にも完璧な命などあり得ないこと、そうしたことに社会が気づいていくのはすご〜く大事なことです。

内容は、35歳以上の妊娠から育児まで。加齢による変化、不妊治療、出産、出生前診断、産後、育児などその時々に起きる不安や迷い、誤解などについてその道の第一人者や国内外の報告、経験者の声などを集めています。

たくさんの35歳以上出産の方にお話を聞いて参考にしましたが、あまりにもドラマを持つ方が多かったのでちょっと言葉を引用させていただくだけではもったいなくなり、ストーリーで登場していただく頁も作りました。ここが多分、読む方にはかなり伝わるものがあると思います。不妊治療が必要になっても、帝王切開が増えても、先天異常の確率が増えても・・・それでも、子どもを得た人たちには「だから何ですか?」と言えてしまうような満たされた時間が流れていました。「人にはすすめません」と言いながらも、自分の出産には本当に納得していることがはっきりと伝わってくる、スケールの大きな女性たちにお会いすることができました。

先週は母性衛生学会という産婦人科と助産師さんの作る由緒ある学会で、この本の内容について一足早く、1時間も講演をさせて頂くというありがたい機会がありました。新しいパワーポイントのスライド50枚作り、晩産時代に向けて産婦人科がどのように変わっていってほしいか、女性から汲み上げたものを精一杯お伝えしてきました。

いよいよ師走。年があければ時間はつるつるっと過ぎてしまうでしょうから、年内にできるだけこの一冊を進めなければなりません。新しい出生前検査についても妊婦さんの声をどんどん出そうといくつかの企画が進行中なので、そのことと、でき得れば今年中に新書のゲラを手にしたいということが年内の目標。 2012/11/27


伝説のフリースタイル出産

「伝説のフリースタイル出産 Tシャツ」なんて銘打ってしまって、REBORNで久々のグッズ販売です。

日赤医療センターの助産師さんたち中心に結成されたネットワークJIMON(ジモン)とREBORNのスタッフは、かつて「分娩台の上で姿勢を固定されない自由な出産を広めたい」とワークショップなどいろいろなことをいたしました。そのころ、ジモンで作ったこの Tシャツを、みんなで着ていたものです。

私もあのころはバースポジションにとっても熱い気持ちを持っていて、生後三ヶ月の第三子を片手に抱いて助産院に寝泊まりし、フリースタイル出産のビデオを撮りまくったりしました。

あれから15年以上経つのだけれど・・・

いまだに多くの方から「最近は分娩台に寝ないお産もあると聞いてびっくり」と言われます。

でも、これも院内助産院の浸透と共に、状況はじわじわと変わっていくのでしょう。よろしければ、 Tシャツご利用下さい。

こちらから
http://rebornshop.cart.fc2.com/ca3/57/p-r3-s/
 2012/07/04


小鳥の巣を見つけた日

五月の連休、高枝ばさみで大きくなった庭木の剪定をしていたら、巣らしきものをしげみの中に発見。最初は蜂の巣かと思いましたが、ちょっと様子が違い、落ち着いて下ろしてみると、まぁ、何とも可愛らしい小鳥の巣でした。

手のひらに収まるほどの大きさなので、とても小さい鳥だったのだと思います。昨年使用していたものらしく、もう何も入っていなくて、お掃除をしたようなきれいさでした。枝に巣をとりつけるには自然素材ではなくビニールのひも(写真では手前の部分)が使われていて「おお、小鳥も化学製品の丈夫さがわかるのか」と感心しました。

うちにいた子なのでひいき目になるのかもしれませんが、お椀型の丸みも驚異的にきれい。こんなものが嘴だけでできるなんて信じられません。すごい賢いお母さんだったと思います!

そして実はこの巣は、この巣を見つけた、まさにその日に叔父が亡くなったので、お花のひとつと考えて棺に入れてもらいました。

私は以前、この叔父から、野鳥や野草のことをよく教えてもらっていました。

兵庫県の丹波が出身地で、野山に育った叔父は、家庭環境が複雑だったこともあってとても長い時間を山野の中で過ごしたそうです。

何度か一緒にピクニックに行きましたが、もう、この叔父はどこでも降りて行っちゃうわ、と思えば今度は登っちゃうわ・・・そして、この人には知らない植物、知らない鳥はないのでは?と思うほどの博学でした。食べられるもの、お茶にできるもので、帰り道は袋が一杯になりました。丹波にも行きましたが、そこは、もう、見たこともない大自然! 毎日が夢の中のような日々でした。

東京の郊外に住み、80代で亡くなるその日まで、愛犬の甲斐犬と近くの山を歩いていた叔父。私は、自分は自然や動物が大好きだけれど両親は戸外の遊びにまったく興味がなかったので、思えばこの叔父の影響がとても大きいと思います。

少子化で、きょうだいがいない人が増えていますが、これは叔父、叔母、いとことなどの親戚もいない子どもたちをたくさん作り出しています。私たちのような高度経済成長時代に育った世代は祖父母世代がまだ子だくさんだったのでさまざまな大人とふれあいながら成長することができました。特に私は母親が忙しかったのでいろいろな人の家で暮らした経験があり、そのことを本当によかったと思っています。

叔父には、本当にたくさんの楽しい特別な思い出をもらいました。

ありがとう、おじちゃん。
 2012/05/18


被災地の方からお話を聞いて

『AERA with Baby』被災地だより取材を、引き続き東京から電話で。気仙沼の方三人にお話を聞きました。

はじめにお話ししたのは「ピースジャム」という団体。粉ミルクや紙おむつが買えなくなったお母さんの様子に緊迫感ある危機を感じた佐藤賢さんという男性が、たまたまポケットに入れて避難していたお金で物資を買い、避難所や自宅避難の親子に物資を配り始めたのがピースジャムの始まりでした。現在は赤ちゃんがいても仕事をしたい、しなければならなくなったたくさんのお母さんのために母子支援の雇用を創出しようと、子連れで働けるジャムの製造、販売を開始しています。

そして、そのピースジャムから支援を受けていたお母さんのお話も聞きました。また、そのお母さんと避難所で同室で、子ども同士もとても仲良くなった方のお話も聞きました。この方は「ガソリンが満タンになるやいなや、ふと」脱出するという選択を思い立ったそうです。今は沖縄に移住していらっしゃいました。

とても海に近かった小学校では、生徒数は約半数に。役所にお聞きすると、気仙沼市では、昨年、津波で亡くなった方たちより遙かに多い数の方が気仙沼を去りました。

行く人もいます。残って、何かしようとしている人もいます。また、残って何をしない日々をただパチンコで送っている人もたくさんいます。行っても、心がふるさとに残っている人もいるし、もうふるさとと別れようとしている人もいます。

みんな、みんな本当の話をしてくださったと思います。

その前には仙台でもたくさんの方からお話を聞いたし、福島や山形のお話も聞いてきました。

テレビで1年間繰り返されてきた「感動ドラマ仕立て」ではない、本当の声に触れて、限りある時間でもこの取材ができて本当によかったと思いました。

これから原稿書きます。 2012/02/11