介護と老人医療

新年度に入ったという話の次が夏休みというおさぼり日記となってしまいました。その言い訳ではないのですが、今年の春はプライベートで大変でした。何が大変だったかというと同居している実母の介護です。

「大変なんだってね・・・」と遠いことに感じていると、ある日突然目前にやってくるのが介護です。ただ私は二十歳そこそこで父親を看取っているので、親の介護は初めてのことではありません。

ただ、今の時代は在宅ケア時代。父の時はずっと病院だったのですが、この差はとてつもなく大きいものです。テレビや新聞からは絶えず介護にからんだ殺人事件が報じられていますが、そういうものを見ていると、思わず介護ライターになってしまいそうです。

母の場合はしばらく介護保険のお世話になり、デイケアとかショートステイ、ヘルパーさんなどが助けてくれた時期もありましたが、内科疾患と認知症の進行というダブルパンチにより介護サービスの人たちの手に余るケースとなってしまいました。かといって受けてくれる病院も見つからず、介護と内科と精神科の狭間に陥ってしまいました。

今の医療・福祉は機能別に細分化し、しかも連携とは名ばかり。だから複合的に全身が弱っていく老人にはとてもかかりにくいものでした。どこも「その部分が、うちでは責任がとれない」と言うのです。

そんな大変な春だったのですが、半月ほど前にやっと受け入れてくれる病院があって入院させてもらうことができました。

精神科救急のお世話になるに至ったことで、やっと受け入れてもらえたのでした。しかも、そこで素晴らしいドクターと出会えて精神科も内科も診てもらえるようになりました。これは大変な幸運でした。

ホスピスという所は人の老いて死んでいく姿をありのままにとらえる画期的な場だと思いますが、そこにたどりつくまでの道のりをどう歩けばいいのか。わが家では奇跡的に感謝すべき出会いがあって糸口がつかめつつあるのですが、同じ悩みを持つ人がたくさんいることを思うと本当にみんなどうしているのだろう、と思います。 2008/07/29


助産所の医療バックアップについて

無事に新年度が明けました。子どもの小学校が新築された校舎になり、壁がない学校になりました。隣のクラスの声は、当たり前ですがよく聞こえるそうです。算数の倍数の勉強で、みんなで世界のナベアツのまねをして盛り上がっているようなのですが、大丈夫なのかな・・・

最初の保護者会に行けなくて残念でした。横須賀市うわまち病院という、国立病院が公設民営となった病院に取材に行っておりました。最近、国の医療改革というか、戦後の医療政策の推移についての勉強を一度ちゃんとしたいと思っています。うわまち病院は、そのためのいい刺激をくださいました。

4月はまた、助産所の嘱託医療機関の問題で助産師さんの世界は大変でした。助産師さんたちは何とかこの問題を乗り越えましたが、本当にお疲れ様でしたという気持ちです。そして、助産所出産する女性たちも、です。かかっている助産所がぎりぎりまで提携先が決まらず、自宅出産か?転院か?と気がもめていた知人もいました。

助産所の安全性については、医師も同様ですが、助産師の免許が一度取ったらそれで終わりという終身免許であることからして課題はまだたくさんあると思います。先進的な医療を打ち出せている国では、免許は更新制が多いはずです。

ただ安全性を社会に示すと言うことは、当事者にとってはとても大変なことだし、理不尽なこともいろいろ起きます。

今回の法改正は、助産院の安全性について特定の施設、あるいは医師個人が担保するというイメージ(実はイメージに過ぎないのですが)があって、そこが、医師にも負担だし、助産所にもひとつ間違えば納得のいく評価がされない可能性があるという問題があったと思います。

また提携先かどうかに関わらず地域に縦横無尽に張り巡らされるべき救急ネットワークと、この提携のかねあいがあちこちで混乱していました。今回、この複雑な法改正をクリアするために払われた膨大な労力が地域ネットワークの進化のために使われていたら、と思ってしまうのは私だけではないでしょう。

しかし・・・今回の高いハードルによって、助産所が得られたものも大きいと思います。それは、助産所は医療とちゃんとつながっているのだと社会に伝えられたことです。

助産所で2度の出産をお世話になった者として、この法改正のクリアに尽力してくださった助産師の皆さん、そして医師会、行政の方々に感謝申し上げます。新規開業の支援も含めて今後も有床助産所の灯火を守ってください。 2008/04/18


花寒

今年の桜は寒い日や雨の日が多くて、私には好みの花です。「三寒四温」とか「花寒」といった素敵な日本語をじっくりと味わえたのが今年の春ではないでしょうか。

「AERA with Baby」が校了間近。今回は産後セックスレスをとりあげ、356人の子育て中の女性から声をいただきました。子どもの年齢が1〜3歳くらいの方たちでしたが、セックスレス率は4人に1人、性欲がない、あるいはかなり落ちていると答えた人は6割にのぼりました。非常に目立った言葉は「めんどう」でした。しかし、ごく少数の人たちは、子どもの出現で夫との関係をぐっと強め、性においても発展していました。発売をお楽しみに。

今月は雑誌の仕事に少しゆとりがあり、これぞ千載一遇のチャンス!と滞っていた単行本仕事に流れをつけました。湘南鎌倉総合病院の井上裕美先生や助産師さんたちと作ってきたお産百科は、出版元の春秋社さんに会社の一室に缶詰にしていただいたおかげで何とか脱稿。早く校正が見たい!

そしてイメジェリーの本も終えるはずだったのですが、こちらは残ってしまいました。しかし、このチャンス期、4月第1週まで続く感じなので今週は集中力をふりしぼらなければ!と思っています。

子どもの学校が始まる頃には気持ちよく新年度を迎えられそうです。今年は出したい本が何冊もあるので、うまく時間を作りたい・・・。 2008/03/31


新しい食卓と2月の仕事

2〜3年間考えていた食卓の買い換え、ついに完了。春みたいな大風も吹いていて、いい土曜日です!

下の子の週末の宿題が「お掃除をすること」だったのも絶妙でした。朝、お掃除したいところを2人でリストアップして、ひとつずつつぶしながらカリモクの新しい机が我が家へおいでになるのを待ちました。お昼ごはんは新しい机で。どっしりした木で、落ち着く〜!

忙しくなればなるほど、家がちゃんとしていることがエネルギー源となることがわかります。新しい机に癒されつつ春もがんばろう・・・

2月はベビカムとの共同プロジェクト「産科医不足と妊婦健診をめぐる実感調査 1100人の妊婦・母親の声」の報道資料約20ページの作成を中心に動きました。
http://www.digiboutique.or.jp/pub/pdf/PR080201_SankaFusoku.pdf

All About 「出産医療・産院選び」の関連記事もかなりたくさんのアクセスがありました。
◆お産難民にならない方法
http://allabout.co.jp/children/birth/closeup/CU20080131A/index.htm
◆妊婦健診を受けない人の気持ち
http://allabout.co.jp/children/birth/closeup/CU20080207A/
◆35歳異常の羊水 本当は透明できれいです
http://allabout.co.jp/children/birth/closeup/CU20080208A/

助産雑誌の連載は、本邦初の欧米型バースセンター開設を今週に控えた済生会宇都宮病院を取材しました。病院の最上階に並ぶ広々としたLDR4部屋は、私が12年くらい前にシアトルで見たバースセンターとそっくりでした。専用のクラスルーム、診察室、当直室など妊娠から産後までに必要なすべての施設が助産師ユニット専用のものとなっています。これまでの院内助産院のイメージ「産科医不足の対抗策」をがらりと塗り替える未来指向の大型ミッドワイフリーサービスがいよいよ登場です。

NHK大阪「もっともっと関西」にスタジオ出演し、その足で関西取材もしました。六甲の亀田マタニティレディースクリニックには予想通りのゆるやかな自然出産時間が流れていました。最近新しいクリニックへ行くと、院長のコンセプトがはっきり現れていて、日本のお産の近未来を教えてもらえる感じがします。

大阪府立母子保健総合医療センターでは、今度小児救急の取材をするのでそのリサーチにご協力いただき、また英国にいらした先生からは英国のNICEというところで出している正常出産取り扱いガイドラインについて教えて頂きました。 2008/02/23


桝添大臣と長野県飯田の1日

昨年11月から妊娠・育児サイト「ベビカム」とやってきた産科医不足実感アンケートがほぼまとまり、かねてより「医療砂漠をゆく」シリーズで取材を受けていた「読売ウィークリー」にデータを紹介してから、新宿駅西口の高速バス乗り場へ。

長野県飯田市で開かれた桝添厚労大臣と地域住民との対話の会に行ってきました。真っ暗な飯田駅におりたち、まずは飯田市民病院の山崎先生へごあいさつに。

一夜明け、朝は飯田市立病院の視察から始まりました。50人ほどの報道陣が待ちかまえる中、桝添さんのワゴンが到着ここでも、そしてそのあとの対話の会でも、桝添さんは産科医療の危機を重大な問題と受けとめている様子がありありとみえました。

対話の会では産科の問題を中心に、地域の関係者や一般人が次々に発言。印象的だったのは、最後にあった「臨床研修医制度から産科崩壊が始まった。元に戻して欲しい」という発言に対して、桝添さんは「とんでもない!日本でひどいのは銀行と病院。研修医でかろうじて保っているような、そんな病院にあなたたちはかかりたいですか」と語気を強めたことでした。

目先のことでいっぱいになるのが専門家というものですが、日本という単位でものを考えていく政治家ならではの視点を感じ、桝添さんは小泉改革の継承をしっかりやっていこう考えておられるのだと思いました。壊されたあとに草木も生えないような改革であってはならない、しかし改革は改革であるように、と。

それから、対話の場に長野を選んだのは、医師数に恵まれないのに先進的な予防医学があり、国内有数の健康県であることだそうです。「これからの医療は予防が大事」それなら、もう少し助産師を増やさないと!です、大臣!

飯田の1日。いろいろなことを考えましたが、今は桝添さんの、試合中のアスリートのような気迫が非常に印象に残っています。

この一泊の旅では、最後に伊那赤十字病院にも行きました。対話の会で妊婦さんの気持ちをしっかり伝えた「心あるお産を求める会」の皆さんに連れていっていただいたのです。ここは産科医一名でお産をほとんどやめていましたが、「どうしてもここで」という方だけを受けていました。心あるお産を求める会も署名をして院内助産院構想もあったのですが、立ち上がることにはなりませんでした。

その最後の医師がこの春去るので、お産がまったくなくなります。その最後のお産が、おたずねしたとき折しも陣痛のクライマックスのよう・・・産まれたあと、写真を撮らせて頂きました。

またひとつ、産み場所の灯火が消えてしまいました。

おひな様をしまうような寂しさです。

プロフェッショナルなあたたかい助産師さんが守っている病棟。最後のお母さんがこれから入り、そして一週間したら花束をもらって、そのあと病棟は多くがお年寄りの過ごす静かな毎日になるのでしょう。 2008/01/20


産む人にできることって何だろう

新年早々、仕事の立てこんでいる今月です。今年は、まともに生活して地に足の着いた落ち着いた日々にしたいということが目標なのですが、早くも危うし。

この連休前後は宝島社「インレッド」の取材でセックスレスをテーマに「となりの寝室事情」など数々の著書やネットワーク活動で知られる二松まゆみさんにお会いし、そして昨日は親子のスキンシップについてやはり多くの著書を持つ山口創氏にお会いしました。

親子のスキンシップと男女のスキンシップは基本構造は同じだろうと思いつつ今ひとつ確信が持てない感覚を残していた私ですが、山口氏の著書などを読むと社会生活を営む動物の進化の歴史によって愛撫の歴史が説かれています。そこには、世の中では相対するものとされている親子のスキンシップと男女のスキンシップが、なーんだ、ほとんど同じじゃないか、と思われるなかなか楽しい世界があります。もっと言えば、チンパンジーの毛づくろいと同じということになりますが。

奥多摩の入り口にある公立病院の院内助産院の取材にも行きました。今年は医学書院の専門誌「助産雑誌」で院内助産院を毎月訪ねる連載をします。

ここは、医師ひとりになってしまったことをきっかけに院内助産院が始まったのですが、その後に医師が2名赴任。そこで院内助産院がどのように残れるかというところで、助産師さんたちがんばっています。

助産師さんたち、本当にがんばっていました。でも決め手は、産んだ人の投書があいついだことだったそうです。院内助産院のフリースタイル出産や母乳育児ケアがとてもよかった・・・ふたりめも同じようにここで産みたいから、院内助産院をなくさないで、という声が病院のご意見ポストや市に届き続けたのだそうです。

投書を見せて頂いたとき、不覚にも泣きたくなりました。なんだか特別なうれしさでした。

上田市で取材をして、なかなか署名運動が実を結ばないことを見てきました。産む人にできることなんてあるのかな、とご本人たちも、そして応援したい私にも、そんな不安は大いにあるのです。でも、黙っていたら、やっぱり、そこでおしまいなのでは。結果が出なくても、言いたいことがあれば言うべきなのでは・・・

そんなことを考えながら、夜更け、上田市の取材をした「AERA with Baby」を校了にしました。 2008/01/16


不思議な一本の糸

気がつけば今日で御用納めの方も多い12/28になりました。ああ、今年も本当に忙しかったです。

この12月は、「AERA with Baby」で産科医不足についてカラー8ページに取り組み、取材に歩き、ネットを使った1100名近い調査を試みてかなりの日々を費やしました。そして驚きのハプニングも体験しました。

10月から産科が閉鎖され都心にお産難民が出てしまった東京大田区の病院を取材し、医療崩壊の構図を医師から描いた医療ノベルを書いたということで「ノーフォルト」昭和大の岡井崇教授を訪ね、そして上田市産院存続運動のあった上田市のバースセンター設立要請運動を取材しに行ったのですが・・・

なんとその直後、昭和大が、上田市産院の搬送先である長野病院から医師全員を引き上げるというニュースが。しかもそれは大田区の病院で産科を再開するためためのひきあげだったのです。

昭和大が長野に医師を派遣していたとは想像もしていませんでした。まったくの奇遇により、今回の取材先は一本の糸でつながっていたのでした。

大田区にも、上田にも多数の母たちを知る私には、医師奪い合いの悲しい現実が身にしみる思いでした。本当に貴重な取材体験をしました。ニュースの数日後、長野病院のことについて上田市へ、その翌日には昭和大に再取材へ。

そんなことがありましたので、今回はかなり興奮して書きました。ほかに日医大多摩永山病院のオープンシステムや湘南鎌倉総合病院を取材しています。湘鎌は妊婦健診の待ち時間が3時間となっていましたが、助産師さんたちが大健闘でした。

校正がぎりぎりで来るか来ないか。待ちながら年内駆け込みの用件に追われております。 2007/12/29


冬の到来

週末を安曇野で過ごしました。松本の助産師さんたちに講演依頼をいただいたためですが、前日土曜日の朝に出て初冬のアルプスをたっぷりと拝もうと決めました。

子どもは結局都合がつかなかっのたで夫と行ってきました。おそらく私たちには親となって以来初めてのふたり旅だったと思います。

持続可能な農業「パーマカルチャー」を紹介しているペンションに宿泊して、秋が終わって冬に向かう野山の空気に触れました。部屋に入ると真ん前の林が落葉の最後で本当に寂しく、自然の中で暮らすということはこの寂しさに毎年耐えることも含まれるのだなと思いました。でも夜の漆黒の闇はとても落ち着くもので、灯りは持参した蜜蝋キャンドルひとつにし、i-Podのボリュームを最大にしてバッハを聞いてみたり。

写真は急に冷え込んだという朝の空。天気予報は雪でした。里の方には降りませんでしたが、山には降ったのでしょうか。

下の子が小五、私たちの子育てもかなり仕上がりつつあるのかも。帰ったら子どものベッドのあたりにコンビニ食事の痕跡がありましたが・・・まあ、たまにはいいか。こんな風にゆるーく母をしています。 2007/11/19


小学生どうし

近所で、ちびまる子ちゃんのロケが来る、という情報がありました。子どもたちはもう大興奮。一日目はガセネタでした。でも翌日にはついにロケ隊が現れ、小学生ドラマを撮るのを、ホンモノ小学生たちが見守り(?)ました。

子どもの話によると、豆粒にしか見えない距離で、スタッフのお兄さん2人にせき止められていたそうです。向こう〜の方にお母さんとまる子ちゃんがいて、なぜかまる子ちゃんが泣くシーンがありました。それがなかなか伊藤綺夏ちゃんが演じられず、原因は「見られていて恥ずかしいから泣けない」だったとか。小学生は小学生に見られるのが恥ずかしかったのでした。それで、小学生たちは一瞬動揺したものの、やっぱり居座ったようです。

終わりに、小学生たちは、自分たちをせきとめていたお兄さんをついに取り囲み、自由帳を差し出して「サインください!」とねだりました。すると、優しいお兄さんは「まる子スタッフ コージ」とサインしてくれたのでした。

帰宅後、そのサインを家族みんなにみせびらかす娘。「コージって誰や」と思う母であった。・・・というまる子ちゃん調のナレーションが頭で響いてしまう私でした。 2007/11/13


講演会が続きます

10月に入ってから毎週講演やワークショップが続いています。いただいたテーマは『未妊−「産む」と決められない』『助産師と産む−病院でも、助産院でも、自宅でも』の2冊の本に準じた内容です。

月はじめはモーハウスが仕事と子育ての両立をテーマにした「二兎を追う者は三兎を得る」に行き、光畑さんと子育て&仕事についてトーク。私は母がフルタイム勤務だったため、かつて「両立どうしたらいいんだろう?」と考える小学三年生だったりしました。そのため、このテーマはきらいではありません「AERA with Baby」編集部にいて四児の母でもある猪熊さんも来てくれて保育園情報も充実の1日でした。

大葉ナナコさんのナナコNAVIナイトという夜噺企画の第1弾で呼んでいただいた夜もあり、ここでは未妊真っ最中、未妊OGの女性が集まり、参加者の方にもたくさん話して頂いて濃い一夜となりました。

昨日は午前中に湘南の「お産カーニバル」で、湘南は会場が江ノ島。20年ぶりくらいで片瀬江ノ島の駅をおりるとそこはもう海でした。波を見たり、磯の美味を焼くお店が並んでいるのを見てなんだかとてもリラックス。江ノ島の参道や弁天様も実は妙に好きなんですよね。子ども連れて遊びに来たかった〜。しかし。

話し終わって五分後には会場を飛び出して午後は多摩地域のお母さん、助産師さんが作るイベント「多摩らんなぁ」へ行きました。「お産カーニバル」も「多摩らんなぁ」も長く続いている地域のお産イベントで、ベビー連れの家族が1日遊べるお祭りです。いずれもREBORNが昔始めた「いいお産の日」が火つけ役になっているそうです。どちらのイベントでも、私はホールで産科危機のこと、助産師さんの役割について話しました。

来週はREBORNイメジェリーの出前で仙台へ行き、さ来週は性と健康を考える女性専門家の会へ、その次は長野へ行きます。出会いが一杯です。仕事に、産む人生あるいは産まない人生に、悩み、また夢を見て、自分なりの幸せを探す女性にたくさん会っています。

この秋が深まり、空気が冷たくなっていく中で、来年の仕事プランをかためていこう。 2007/10/22