遅咲きの松田先生

『ひとびとの精神史』の松田道雄論にとりかかっています。
松田先生は『育児の百科』しか知らない方も少なくないですが実は約百冊の本を出しています。
コンプリートにはほど遠いけれど、おもな本を年齢を計算しながら並べてみました。
すると50代、60代から本格的な執筆が始まっていることがわかりました。こんなに遅咲きの人だったとは!
『私は女性にしか期待しない』は女性の労働について今こそ読みたい本でこれまでも強く支持されてきた岩波新書ですが、80代で、あのようにパワフルな、みずみずしい文章を書かれていたのです。70代後半で書かれた『日常を愛する』などそのほかの晩年の本も素晴らしいです。 2015/07/01


シーナからもらったもの

6月23日、NHKラジオ第一放送「午後のまりやーじゅ」という番組で一時間半という長いトークをさせていただきました。確か、このあたりに「屋根裏」があったよねえ、なんて思いながら渋谷駅から今日はあえてセンター街を通ってNHKへむかう。

尺が長いけれど、ディレクターさんは、以前「ラジオ・ビタミン」という番組でフルに一年間ご一緒した方(三児の母!)なので安心。・・・と思っていたら、私のことを知りすぎている彼女は、何と、私が二十歳の頃のことからしゃべるという提案をしてきたのでした。

例えば、1986年に私が初めてお産を取材した時のこと。

これは、講演などではよく話しているのですが、青森の下北半島で80代のお産婆さんと90代のお産婆さんをたずねたのです。

当時、26歳で第一子を出産したばかりの私は、富士山まで見えちゃう都心のマンションの10階に住み、公園でのママ友トークしかない世界で日々を過ごすことに強い閉塞感を感じていました。それまでしていた雜誌のカメラマンの仕事を、育休だと思ってお休みにしていたのです(フリーだから自分で決めるんですけれどね)。

今も、そんな生活をしているママはたくさんいるのだと思います。そして、それが子どもにとってはママがいつもそばにしてくれるから一番いいことなんだ、という風潮が、日本には根強くあります。でも、はっきり言いましょう。私の考えですが、こと核家族の場合、それはまったくの錯覚です。なぜなら、人間は社会的な存在だからです。1日中、お話もできない子どもとふたりぼっち。時々ふたりぼっちの人同士がおしゃべりする程度。そのことの、一体どこが理想的な子育てなのか、私にはさっぱりわかりませんでした。

だから私は、どこでもいい、私に自分がしていることとはまったく違う風景をみせてくれるどこかへ、私が生き生きとした姿を子どもに見せながら笑いながら子育てをするために必要な何かを探しに、どこかへ行きたかったのです。

そんな時、驚くべき年齢の現役産婆さんの存在を知り、気がついたら私は、当時話題を呼んでいたマタニティ向け雜誌の編集長に会っておりました。そして抽象的な自分の現代育児への疑問をぶちまけ、取材費として、聖徳太子から福沢諭吉に変わってまもないお札を10枚いただき青森に飛んだのでした。

そして、空港まで迎えに来てくれた80代のお産婆さんが「今晩、自宅でお産する人がお産になりそうなんだけれど、来るか?」と突然言い、そこから24時間位の間に、昔ながらのお母さんと赤ちゃんが生まれてからいっときも離れないお産、そして町中の年齢もさまざまな女性たちが赤ちゃんが最近生まれたおうちに大勢集まってきてお産婆さまの到着をわくわくしながら持っている沐浴など、それまでの私には想像もつかなかった地域社会の世界を一気に経験したのです。

興奮して帰京した私は、見てきたお産婆さんの仕事をルポルタージュにまとめ、それに当時日赤医療センター産科部長だった医師のコメントをつけてまとめました。それが私が初めて書いたお産の記事です。私が見たものには、これは、もう絶対に何かがある。私はお産をこれからずっとやっていくことになる、そんな気持ちは、青森を発つ時には、もう自覚していました。

そして、その記事の掲載号が郵便受けに入り、開封した時、私は息をのんだのです。なぜなら、その表紙にいたのは、シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠・シーナ夫婦と3人の子どもたちの家族写真だったのだから。

実は、私が出産前にやっていた写真業の被写体はミュージシャンが中心。その中でも、福岡から、東京に勝負をかけようと上京したばかりだったシーナ&ザ・ロケッツは、ライブにことごとく行っていた時期がありました。映像関係の仲間みんなですごく熱く応援していて、みんな下北沢周辺に住んでいたし、ライブが終わった後は一緒にそのライブのVTRを見て飲んで食べて夜が更けて・・・ということをしょっちゅうやっていました。

イエロー・マジック・オーケストラのステージにも誠ちゃんが客演するようになって、昇り龍の勢いで有名になっていくシーナ&ロケッツ。でも、そんな上昇気流の中で、シーナが時々見せていた、すごく悲しそうな顔に私はすごく驚かされていました。「子どもがおらんと」シーナは、そう言って,時々すごく悲しそうにするのです。その時、誠ちゃん、シーナ夫婦は、まだ小さかった双子の子どもふたりを、福岡のシーナの実家に預けて上京していました。

子どもって、そんなにいいの?

当時、子どもの可愛さなど何もわかっていなかった私にとって、シーナの母性愛、家族愛はそんな風に感じられました。自分に回路がまだないものだから、驚きの対象だったのです。ライブの後のミュージシャンは、それはそれは、皆きれいです。しかも、シーナは、ふつうにしていてもきれいなので、ライブのあとは本当に「どうして」と思うくらい、きれい。そしてどんどん世間の注目をあびるようになっているのに・・・それなのに、そんなに悲しいなんて、子どもって一体どういうものなのだろう? と思いました。

その後、私は諸事情からその仲間たちとは離れてロケッツとも疎遠になってしまうのですが、フリーのカメラマンとして仕事が増えたころ、ふと編集部から薦められてシーナのインタビューに行ったことがあります。シーナの初のソロアルバム「いつだってビューティフル」(1982年)が出た時で、それが、私の初インタビューになりました。そしてこの時、シーナは妊娠中だったのです。私は「お腹に赤ちゃんがいるのってどんな気持ち?」という恥ずかしいような質問をしました。

そして、シーナが、それは特別に素晴らしいことだと連発するのを聞いて、私の中に妊娠への好奇心と憧れがむくむくと持ち上がったのでした。

その3年後、私は自分も産んで、そしてお産婆さんと出会い・・・そして、あの雜誌インタビューの時お腹にいた赤ちゃんが、可愛い女の子になって、誠ちゃんに抱っこされているのを見ることになりました——右上写真の掲載誌の表紙で。

すごく長くなってしまって、これは確実に自然体日記始まって以来の長さですが、あと少し。

今回、ラジオの台本のおかげで、生放送前の数日間シーナ&ザ・ロケッツをずいぶん聴くことになりました。はじめはシーナの曲を一曲かけてもらおうと選ぶだけのはずだったのに、一度聴き始めたら、シーナの声の創りだす強い磁場に吸い込まれてしまったのです。それで生放送の前の晩、フェイスブックでつながっていた誠ちゃんにメッセージを入れると、誠ちゃんは私が撮った35年くらい昔の写真をひっぱり出してきて、その画像ととも全国のフォロアーの方たちに放送のことを紹介してくれた。

私は、音楽写真の仕事は、また戻るのではないかと思いながら自主的な「育休」に入ったのですが、結局、戻りませんでした。そして分娩が終わった後の産婦さんや助産師さんに、あの、ライブのあとのバンドと同じ輝きを見つけるに至りました。

もともと家系には医療関係者が多く元の鞘に収まった面もあります。思えば育休前から、たくさん音楽写真の仕事をしていた時から、周囲にいる音楽ライターやサブカル誌・音楽誌編集者たちの音楽に対する造詣のあまりの深さに「自分はあそこまで行けるのだろうか。行く気があるのだろうか」という自問があったことは確かです。私はどこかで、他の何かを探していました。

でも、探していた何かが青森でいきなり見つかって、それを元へ元へと辿って行くと、そこにはシーナと誠ちゃんの作った素晴らしい家族の姿が浮かび上がります。

しかも、最初の記事が出た雜誌の表紙にまで、ちゃんと居てくれた。

子どもがここにいないと泣いていたシーナ、着物着てみんなで撮った七五三の写真を嬉しそうに見せていたシーナ。あなたのような、愛も、夢も、胸にあふれている女性、他の女性にまで愛する力、夢みる力を与えてしまうような女性がもっと増えればいのに。心からそう思います。

シーナは、音楽に決して妥協はしませんでした。TVの歌番組に出演するようになって、いつものように皆で録画を見ていた時も、シーナは自分が思うように踊れていないと言ってひとりで怒っていた。

ものすごいロマンチストで、とんでもないイマジネーションの持ち主。愛している人の腕の中で死ぬのってすっごくロマンチックで、想像するとドキドキしてくると言っていました。

シーナが死んだと聞いた時、しばらく私はよくわかりませんでした。でも、とりあえずネットを開いてみると、シーナは誠ちゃんの腕の中で息を引き取ったことがわかりました。

あの時、自らの死の場面すらもときめきに変えていたシーナの夢見の力に私は身震いがしたけれど、本当にその、思ったとおりの死を遂げた、パーフェクトな、シーナの命。

若い日にあなたのような女性のそばにいられたことを本当に幸運だったと思います。その幸運を、今度は私が誰かに渡したい。

ありがとう、ありがとう、シーナ。
2015/06/24


NHKラジオ「午後のまりあーじゅ」

「午後のまりやーじゅ」聞いて下さった方、ありがとう!今日の生放送のために力を貸してくれたまこちゃん,みとちゃん,本当にありがとう!私の左がパーソナリティーの杜けやきさん、右が仕掛け人で三児の母の広瀬ディレクター、そしてまりやちゃん+道谷アナウンサーでお送りしました。
一時期毎月通っていたスタジオは、代々木公園の緑を望む絶景は何も変わらず。
本番寸前にかけられなくなってしまったシーナの「この道」は「Main Songs」というCDの中に入っています。you tube でも聞けます。他の名曲も一杯なのでゆっくり聞いて下さい。

やっぱり
ラジオはいいなあ。

●この道
https://www.youtube.com/watch?v=2fml9WAXI2g
●午後まりブログ
http://www.nhk.or.jp/gogomari-blog/

2015/06/23


時事通信社の書評

時事通信社にこんな立派な書評をいただきました。許可を得て転載します。ベテランの男性記者さんが書いてくださったそうです! このように正面からすうっと内容をとらえてくださったことがとてもうれしくて思わず転載を申請しました。

◎「出生前診断」 河合 蘭著
胎児の段階で染色体異常などの可能性が分かってしまう出生前診断。その技術革新の歴史と出産現場への影響を、当事者である女性の視点から徹底検証した。現場の医師たちの苦悩を読むと、「命の選別」といった発想だけで割り切れる問題か、疑問も頭をもたげる。妊婦だけに重い負担を強いてきた社会の側も変わる必要が痛感される。
(朝日新書・886円) 2015/06/23


誠ちゃんが探し出してくれた写真

本日のNHKラジオ第1「午後のまりあーじゅ」の出演をまこちゃん=鮎川誠さんです!がフェイスブックで紹介してくれました。

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シーナ&ロケッツが1978年活動をスタートして最初に友達になった東京のアーティスト仲間の一人、新宿ロフトでこの写真を撮ってくれた河合蘭ちゃんは現在は出産ジャーナリストとして活躍されていて本日火曜日、NHKラジオ第1「午後のまりやーじゅ」(1Pm-5Pm)のゲストで生出演されます。出番は午後2時すぎから1時間半、シーナのこともお話しされるそうなのでぜひお聞きください!!
俺もとてもうれしいです、蘭ちゃん、絶対聴くけんね!

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まこちゃんがフェイスブックにアップしてくれたこの写真は、独身時代に私が宝島を中心にカメラマンをしていた時に撮ったものを探しだしてスキャンしてくれたそうです。
当時の私が、いつも撮っていたのがこのシナロケでした。そしてシーナは、二十歳の私に家族を持つ楽しさをたっぷり見せてくれた最初の女性です。ラジオでは、シーナのこともお話します。何にもわからない子どもだった私のことをちゃんと覚えていてくれて、本当にうれしい。 2015/06/23


獨協大で「出産とはどんな体験か」を講義

今日は獨協大学の全学総合講座「ジェンダーで眺めてみれば」のゲスト講師として「出産とはどんな体験か」というお題の授業をしてきました。医療系ではない大学の講義は初めてで半数近くが男子学生。陣痛の話に誰かが苦しい気持ちになってしまわないかとひやひやしましたが、生理的なプロセスからオキシトシンやリラクセーションのこと、無痛分娩、晩産化、不妊治療、出生前診断のことまで一気に話してきました。
伝えたかったのは、お産はひとりひとり違うものだということ。
最後に、新しい命を迎えるとはどういうことか伝えるために、International Down Syndrome Coalitionの下記の動画をyou tubeから再生したのですが、これはかなり学生さんたちの関心を集めたようです。私が、『出生前診断−出産ジャーナリストが見つめた現状と未来』を書いていたときに時々見ていたものです。

◆International Down Syndrome Coalition WDSD March 21, 2012

International Down Syndrome Coalition WDSD March 21, 2012

女子学生はもとより男子学生もほとんど寝てしまうような学生はいなくて、乗り出して聞いてくれた子も少なからずいたように思います。お産の話を聞く機会はかなり貴重なはずで、私も「産みたくなるまで、この話、頭の片隅にとっておいてね!」と強く思いました。 2015/06/11


妊娠教育が少子化社会対策大綱に

今春、少子化社会対策大綱に「妊娠・出産の医学的・科学的に正しい知識の教育」が入りました。

『助産雑誌』(医学書院)5月号、と出たばかりの6月号 連載「やっぱり知りたい少子化のはなし」は前後編2回に分けて「出産年齢と妊孕性について伝える方法」について書きました。少子化大綱がそうなったということは私がこの約10年間やってきたことにとってひとつの区切りと私は感じましたので、これまでの流れをまとめてみたのです。

前半は、私が2003年に『アエラ』の取材で初めて体外受精の年齢別データを見て驚いたことから始まり、女性ファッション誌での企画や『卵子老化の真実』関連の仕事を通じて考えてきたことなど、個人の努力、民間の活動で広報活動が行われていた時代について。

後半は、大分県、岡山県のケースを通じて国、自治体が動き出し、助産師さんたちも晩産化に対応していくことを強く求められてきた様子をお知らせしています。
2015/05/31


樫の木を伐る

子どもが小さいとき、おそらく、私か子どものポケットか何かに運ばれてやってきた1個のドングリ。それがわが家の庭の壁ぎりぎりの所に根を張り、二十年くらいの時を経て枝を広げ、生い茂っていました。

それは二階にある私の仕事部屋の高さになり、そして、そこからさらに、もっと高くなって、私の仕事部屋のベランダは木の中にいるような状態になっていました。

この数年は毎年のように小鳥が巣を作り、仕事中、春は巣から聞こえてくる絶え間のない小鳥のおしゃべりが聞こえていました。こうなって初めてわかったのですが、鳥は夜中でもよく鳴きます。

風の日は、森の音がしていました。

秋になると、きれいなグリーンのドングリが玄関先に落ちてきて、秋の始まりを知りました。

落ち葉とドングリの季節ともなると、これは、もう住宅地にはあり得ない様子となって体力勝負そのもの。1日何回掃いても、まったく追いつかないありさまでした。

やがて、いかにも大きくなってきて壁が割れてしまう怖れも出てきたので、伐採を考え始めたのはもう何年も前のこと。それから、どこかで大きな高い木がのびのびと枝を広げているのを見る度に、うちの木もここに生えることができればよかったのに、とそんなことばかり思っていました。

好きなだけ、空に枝を広げる木の姿は本当に素晴らしいものだと思います。

昨年に見積もりをとって、でも出生前診断の本を仕上げようと思っていたので、伐ることに耐える自信と余力がありませんでした。

でも今年は、小鳥の声が全く聞こえなくなって巣を落としても大丈夫だと確信できたことを好機として水落さんという植木屋さんにお願いしました。長女と長男が学校で一緒だったおうちのパパなんですが。

何か準備しておくことはありますか?

電話でそう聞いた時に、水落さんは「お塩を杯一杯くらい」と言いました。それを聞いただけで、もう胸が締め付けられるようでした。

その日の朝が来て、水落さんはまず道具の準備をすませ、そしてお塩を私から両手に受けて木の根元にふりかけ、木と話をしてくれました。水落さんはクリスチャンなので、お祈りはアーメンで終わりました。

水落さんは、見たことがないような、本当に丁寧に方法で、少しずつ枝をはずし、幹を小さくしていきました。最小限のチェーンソー、手のこ、そしてロープの作業。陽ざしの中を、木挽きの粉が小雪のように舞い続けました。

うれしいことに、幹がもう一本根元から別れていて、それは残すことができました。太い木に押されて曲がっていましたが、曲がっていないところまで切り戻してもらい、手を入れてもらいました。

そして、今は季節がよいので、切り株からも、新しい芽が吹いてくるだろうということでした。それは、剪定していけば、もう同じことは繰り返さなくてすみそうです。

大好きだった大きな木。大きな木と一緒に暮らすことができて本当によかった。木がくれた風の音の記憶や、隣にいるように暮らした小鳥たちの記憶はいつまでも消えることはありません。

大きな木が一本あるだけで、そこで生き物たちは命をはぐくむことができ、人は癒やされます。そのことを教えてくれて、そして私にいつまでも続く安らぎを心の深くにくれた一本の私の樫の木に、心からありがとうと言いたいです。そして、新芽が吹くのを待ちたいと思います。
2015/05/27


日本ダウン症協会は出生前診断に反対か

17日、日本人類遺伝学会教育推進委員会、遺伝カウンセリング学会遺伝教育委員会によるシンポジウム「遺伝医療関係者と報道関係者による合同シンポジウム 「メディアに求めること、メディアが求めること」に行きました。

日本ダウン症協会の水戸川さん、日本ダウン症協会のメディアの影響に関する説明に『出生前診断−出産ジャーナリストが見つめた現状と未来』に納めた玉井さんの言葉を「この本が一番よく書かれているから」といっぱい使ってくれてありがとう。うれしくて今までのいろいろなこと、ぐるぐると思い出しました。

それにしても日本ダウン症協会は大変でしたね。『出生前診断−出産ジャーナリストが見つめた現状と未来』に詳しく書きましたが、取材陣が猛烈に押しかけてきた時は、協会は新型出生前診断に反対していたわけではないのに「怒って見せてくください」と要求する局もあったそうです。

こうした「対立構図」を演出する報道が続いたために、同協会は高齢出産の娘さんを持つご家族などから激しい抗議を受け続け、報道合戦の間、会員に危害が及ぶ恐怖に陥っていたのです。そして協会の出生前診断に対するデリケートな想いをじっくり聞き取り、伝えたマスコミは、ありませんでした。

上のお子さんにダウン症候群があった場合、次の妊娠で検査をどうするかという問題は、簡単には理解することができないほどとても繊細な問題です。私も何人もの方の涙に触れて、やっと、不十分だとは思いますが、少しずつ理解しました。

報道のあり方は難しい問題ではあります。いつもそう思います。取材される方が出して欲しいことと、報道が出したいことが違う。でも少なくとも、報道は、報じられる者に害を与えてはいけない。完全に防げる報道など無いのだけれど、ミニマムに、という努力はとても大切なことだ。
それを改めて確かめた日でした。私も日頃自分勝手な取材をやっていることと思いますが、お気づきのことは、どうぞ私の方にストレートに言って下さい。学びますので。  2015/05/19


日赤助産師学校でイメジェリーの授業

日本赤十字社助産師学校でイメジェリー(Guided Imagery )の講義4時間。毎年やっていますが、今年は学生さんたちに「分娩」「産後ケア」いずれかを選んでもらい、グループワークでイメジェリーを創作してもらいました。板書は学生さんたちの作品です。

●赤ちゃんが海の中から太陽の光にむかって浮上していく だんだん大きくなるバブルリングをくぐりながら 太陽の方に手を伸ばしながら
●赤ちゃんが楽しそうに虹を上っていく 上り詰めたらそこから滑り台を滑り降りて一気に生まれる
●波が陣痛を表し、波に揺られながら光の方に近づいていく赤ちゃん
●温かい風と陽の光の中、お母さんの身体が温まります その熱が伝わって赤ちゃんが温まります お母さんと赤ちゃんは一心同体です そして赤ちゃんがごくごくと音を立てておっぱいを飲み始める
●乳腺は何本もの河川 光の方へ蕩々と流れ、そしてそこから放射していく
●授乳は”パワールーム”の中で赤ちゃんとお母さんがパワーの交換をすること

どのイメージも、とってもすばらしいですよね。(なので黒板消すのがもったいなくなり、皆さんの許可を得てこちらにご紹介します。荻原先生、ありがとうございました。) 2015/05/16